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第二章
いざ、一歩目へ(一)
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「ようし。じゃ、やろっか」
「よろしくです!」
おじぎをすると、頭を下げる瞬間に肩から下が水であることに気づく。しかし気づいた頃には、もう顔面が水面に突入していた。
慌てて顔をあげると、水泳部の主将さんがアハハと笑う。
水着などを一通り揃えたボクは、早速水泳部の練習に参加していた。初心者だということを伝えると、主将さんがボクに泳ぎ方を教えてくれることになったのだ。
プールは六つのコースに区切られており、贅沢なことにその内の一つを使わせてもらっている。隣ではもちろん、先輩の人たちが練習をしている。その中には当然と言うべきなのか、翔の姿も。
「取り敢えず水谷さんには四泳法をちゃんと泳げるようになってもらわないとね」
「四泳法?」
「うん。バタフライ、背泳ぎ、平泳ぎ、クロールのこと」
「ああ」
それなら小学生の頃、スイミングスクールで一通り習った。
ただ……。
「一応一通りは泳げると思うんですけど、バタフライが苦手なんですよね……」
「あー。バタフライは特に難しいよねぇ」
主将さん————確か名前は氷室さんだったか————眉を下げて苦笑いを浮かべる。
この人は、よく笑うというか常にニコニコしている人だなぁ。強豪と聞いてたから多少緊張してたけど、この人の柔らかい雰囲気が、そう身構えることも無かったかなと思わせてくれる。
「競技だと殆どはみんな一つの種目に絞るんだけど、練習でその種目しか泳がないってわけでもないからさ。どうにか泳げるようになって欲しいんだよね」
「へー。じゃあボクもおいおい絞らなきゃいけないんですね」
「そうだね。まあ、今はあんまり深く考えなくてもいいよ。自分が大会でどの種目に出るかの指針みたいなものだから、正式な取り決めみたいなものもないし」
なるほど。まあ、満遍なくやる必要がないなら、どれかに絞った方が効率的なのは確かだ。
ともあれ、その専門種目とやらを見つけるためにも、まずは四つの種目をマスターしなければならない。
あ、そういえば。
「あの、主将」
「なに?」
「翔……一年の塩原の専門は何なんですか?」
昨日、薄情にもわたしをスポーツショップに置いていった同居人。そして、ボクが倒すと決めたライバル。
倒すと決めたのだから、やっぱりアイツと同じ種目じゃなきゃダメだ。
ああ、と主将はボクたちの所とはちょうど反対の、一番向こうの端のコースを見やる。
ボクもそちらを見ると、翔はクロールを泳いでいた。一昨日見た時と変わらない流麗さで。
ゆったりと泳いで、水しぶきはほとんど飛んでいないのに、流れるようにスイスイと進んでいく。
「彼女は……多分、フリーだよ。ああいや、自由形……じゃなくて、クロールだね」
「フリー……」
水泳の授業で一番最初に習う種目。
それなら私も多少は泳げる。苦手意識のある種目じゃなかったのはラッキーだ。
「ん?多分ってなんですか」
なんでそんなイマイチ自信なさげなのか。まだ知り合って間もないからとか、そういうこと?
「いや、元々は個ンメ……あ、個人メドレーってのを泳いでたんだよね。最近になってフリーばっかり泳いでるから転向したんだろうけど……」
彼女が今も悠々と泳いでいる翔に目を向ける。
相変わらずきれいな動き。思わず見惚れてしまうような……でもなんか、ずっと見てると一周回って腹立ってきた。
ボクは絶対に翔を負かす。でないと、あの日以来ずっと胸の内でメラメラと燃えている炎がボク自身を飲み込んでしまう。
この炎が何なのかは分からない。怒りなのか、あるいは焚きつけられた熱意なのか。それとも……嫉妬とかそういう、後ろ暗い感情なのか。いずれにせよ、自分には過去に一度も経験のない感情だった。
けれど、今はそんなことどうでもいい。鎮めた後に存分に考えればいい。
今はただ、さっさと翔に追いつきたい。そして追い抜いて、負かしたい。そうしなければいけない。
だから早く————
「友だちなの?」
「へ?」
突拍子もない質問に、思わず変な声を上げてしまう。
何かの聞き間違いかな。……友だち?友だちって、ボクと翔が?そんなまさか。
けどじゃあ、どういう関係なのかって言われると困る。同居人とか?いやでもなぁ。隠すつもりはないけど、改めて言葉にするとなんだかなぁ。喉に魚の小骨が引っかかているような気分になる。
「ただの知り合い……ですかね?」
「なんで疑問符ついてるんだろ」
困ったように笑う主将さん。
指摘はもっともだけど、残念ながらボクにも分からないのだから仕方ない。ただまあ、それでもハッキリと言えることはある。
「向こうはどう思ってるか知らないですけど。ボクはただ、翔に水泳で勝ちたいって思ってるだけです」
昨日は本人に宣言して怒られたけど。
この気持ちはきっと揺るがない。いや、揺るがせてはならない。それはボク自身が許さない。
「いいね、そういうの」
グッド、とでも言うように、親指を立てる主将さん。
なんか微笑ましくてボクも親指を立てると、お互いに笑みがこぼれた。
「よろしくです!」
おじぎをすると、頭を下げる瞬間に肩から下が水であることに気づく。しかし気づいた頃には、もう顔面が水面に突入していた。
慌てて顔をあげると、水泳部の主将さんがアハハと笑う。
水着などを一通り揃えたボクは、早速水泳部の練習に参加していた。初心者だということを伝えると、主将さんがボクに泳ぎ方を教えてくれることになったのだ。
プールは六つのコースに区切られており、贅沢なことにその内の一つを使わせてもらっている。隣ではもちろん、先輩の人たちが練習をしている。その中には当然と言うべきなのか、翔の姿も。
「取り敢えず水谷さんには四泳法をちゃんと泳げるようになってもらわないとね」
「四泳法?」
「うん。バタフライ、背泳ぎ、平泳ぎ、クロールのこと」
「ああ」
それなら小学生の頃、スイミングスクールで一通り習った。
ただ……。
「一応一通りは泳げると思うんですけど、バタフライが苦手なんですよね……」
「あー。バタフライは特に難しいよねぇ」
主将さん————確か名前は氷室さんだったか————眉を下げて苦笑いを浮かべる。
この人は、よく笑うというか常にニコニコしている人だなぁ。強豪と聞いてたから多少緊張してたけど、この人の柔らかい雰囲気が、そう身構えることも無かったかなと思わせてくれる。
「競技だと殆どはみんな一つの種目に絞るんだけど、練習でその種目しか泳がないってわけでもないからさ。どうにか泳げるようになって欲しいんだよね」
「へー。じゃあボクもおいおい絞らなきゃいけないんですね」
「そうだね。まあ、今はあんまり深く考えなくてもいいよ。自分が大会でどの種目に出るかの指針みたいなものだから、正式な取り決めみたいなものもないし」
なるほど。まあ、満遍なくやる必要がないなら、どれかに絞った方が効率的なのは確かだ。
ともあれ、その専門種目とやらを見つけるためにも、まずは四つの種目をマスターしなければならない。
あ、そういえば。
「あの、主将」
「なに?」
「翔……一年の塩原の専門は何なんですか?」
昨日、薄情にもわたしをスポーツショップに置いていった同居人。そして、ボクが倒すと決めたライバル。
倒すと決めたのだから、やっぱりアイツと同じ種目じゃなきゃダメだ。
ああ、と主将はボクたちの所とはちょうど反対の、一番向こうの端のコースを見やる。
ボクもそちらを見ると、翔はクロールを泳いでいた。一昨日見た時と変わらない流麗さで。
ゆったりと泳いで、水しぶきはほとんど飛んでいないのに、流れるようにスイスイと進んでいく。
「彼女は……多分、フリーだよ。ああいや、自由形……じゃなくて、クロールだね」
「フリー……」
水泳の授業で一番最初に習う種目。
それなら私も多少は泳げる。苦手意識のある種目じゃなかったのはラッキーだ。
「ん?多分ってなんですか」
なんでそんなイマイチ自信なさげなのか。まだ知り合って間もないからとか、そういうこと?
「いや、元々は個ンメ……あ、個人メドレーってのを泳いでたんだよね。最近になってフリーばっかり泳いでるから転向したんだろうけど……」
彼女が今も悠々と泳いでいる翔に目を向ける。
相変わらずきれいな動き。思わず見惚れてしまうような……でもなんか、ずっと見てると一周回って腹立ってきた。
ボクは絶対に翔を負かす。でないと、あの日以来ずっと胸の内でメラメラと燃えている炎がボク自身を飲み込んでしまう。
この炎が何なのかは分からない。怒りなのか、あるいは焚きつけられた熱意なのか。それとも……嫉妬とかそういう、後ろ暗い感情なのか。いずれにせよ、自分には過去に一度も経験のない感情だった。
けれど、今はそんなことどうでもいい。鎮めた後に存分に考えればいい。
今はただ、さっさと翔に追いつきたい。そして追い抜いて、負かしたい。そうしなければいけない。
だから早く————
「友だちなの?」
「へ?」
突拍子もない質問に、思わず変な声を上げてしまう。
何かの聞き間違いかな。……友だち?友だちって、ボクと翔が?そんなまさか。
けどじゃあ、どういう関係なのかって言われると困る。同居人とか?いやでもなぁ。隠すつもりはないけど、改めて言葉にするとなんだかなぁ。喉に魚の小骨が引っかかているような気分になる。
「ただの知り合い……ですかね?」
「なんで疑問符ついてるんだろ」
困ったように笑う主将さん。
指摘はもっともだけど、残念ながらボクにも分からないのだから仕方ない。ただまあ、それでもハッキリと言えることはある。
「向こうはどう思ってるか知らないですけど。ボクはただ、翔に水泳で勝ちたいって思ってるだけです」
昨日は本人に宣言して怒られたけど。
この気持ちはきっと揺るがない。いや、揺るがせてはならない。それはボク自身が許さない。
「いいね、そういうの」
グッド、とでも言うように、親指を立てる主将さん。
なんか微笑ましくてボクも親指を立てると、お互いに笑みがこぼれた。
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