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第二章
ライバルだと証明するために(五)
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「よっす」
床に敷いたビート板の上に座っていると、クールダウンを終えたリンさんに声を掛けられた。硝さんと同じく、彼女もまた物好きな人の一人だ。
「お疲れさまです」
「うーい。もーちかれた」
よっこいせとリンさんは隣に腰掛ける。もちろん、お尻にはビート板を敷いて。
「そりゃあ、疲れますよね。400メートルって」
「まぁね。我ながら正気の沙汰じゃないねぃ」
言いながらスポドリをぐびぐびと飲んで、ぷはぁと声を上げる。
「でも、ま、自分に向いてんだから仕方ないね」
「そーいうもんですか」
「そーいうもんだよぉ」
「……結果はどうでした?」
「結果?まー、ボチボチだね。インハイの標準記録には届かなかったけど、まあそれでも三秒くらいだし」
喜べるような結果ではなかったみたい。十分凄いとは思うけど。
「次の種目って200メートルの個人メドレーですか?」
「そだよー。2個メね」
2個メは一番最後の半フリの一つ前だったハズ。ということは、リンさんもしばらくは出番がないことになる。
「さてさて、お次は硝だねー」
200メートルのバタフライ。硝さんが専門としている種目だ。
硝さんの他には、三年の男子が三人。二年の男子が二人と、女子が一人。
スタート前の硝さんの表情は、どこか険しかった。いつもの柔らかい雰囲気が、まるで見て取れない。
笛が鳴り、各々がスタート台へ。
位置について、を意味する英文が告げられ。笛が鳴った次の瞬間、一斉に飛び出す。そして浮上した皆が一様に、両腕を羽のようにして泳ぎ始めた。
最初の五十メートルの時点で、男子の三人は女子よりも抜きん出ていた。この時点でも身体一つ分くらいの差はある。
どんなスポーツでも大抵は男女で分けられるけど、こうして隣で泳いでいるのを見るとその理由がありありと分かってしまう。
必然的に、男子は男子だけで、女子は女子だけで比較して見ることになる。
硝さんの比較対象はというと、隣で泳ぐ二年の女子以外には居ない。確か名前は、立花……先輩だったっけ。
50メートル地点では殆ど同じくらいだった。
しかし……。
「硝……」
リンさんが不安そうに呟く。
徐々に二人の差が開いていく。遅れているのは硝さんの方だ。
100メートルでは身体一つ分の差が。後半に差し掛かるにつれ、どんどん距離が開いていく。動きは精彩を欠いていき、腕や身体を重そうにしながらも、懸命に泳いでいるのが伝わってくる。
結局、200メートルを泳ぎ切る頃には、立花先輩と十秒近いくらいの差が出来ていた。
肩で大きく息をする硝さん。
そんな水泳部の主将を、先にプールサイドに上がっていた立花先輩は、息を乱しつつも冷ややかに見つめていた。
あの二人の間にも、何かしら因縁めいたものでもあるのかな。少なくとも、立花先輩は硝さんのことをあまり良く思っていないんじゃないか。
息もからがらにプールから上がると、トボトボとした足取りでこっちに来る。
「お疲れさま」
リンさんが声を掛ける。
「うん。全然ダメダメだったけどね……」
「なに言ってんのさぁ。ベストとほぼ一緒だったじゃん、さっきの」
「それはまぁ……そうなんだけどね」
けれども、硝さんは腑に落ちていない様子だった。力なく笑いかけると、リンさんの隣にゆっくりと腰を下ろす。
「硝が気にしてることも分かるけどさ。硝は硝のペースで上達していけばいいんだよ」
「……そうだね」
「何でそんな落ち込んでるんですか?」
良くわからなかったので率直に聞いてみる。
一瞬目を丸くして、二人がこっちを見る。
それから、リンさんは気まずそうに硝さんの方を見やり、硝さんは曖昧に笑った。
「まあ、なんていうのかな。まだまだ未熟だなぁって。そう思っただけだよ?」
「……はあ」
無理に作った明るい態度、そして具体性を欠ける回答に、気の抜けた返事をしてしまう。
「てか硝ってば、取り合えずダウン行って来たら?」
「ああ、うん。でもなんか身体動かす気になれなくって」
「ダメだってば。歩くだけでも全然違うんだから、行っといで」
「……そうだよね。じゃあ、ダウンしてくる」
硝さんがリンさんの提案を受け入れる。ダウン用のレーンへと入って、緩慢と泳ぎ始めた。
次の組のレースはとっくに始まっていて、ボクはそっちに目を移す。ぼんやりとそれを見ながら、さっき感じたことを口にしてみる。
「リンさんって、結構優しいんですね」
「え。なんだいなんだい、急に」
リンさんが照れくさそうに声を上げる。
「さっき、硝さんのこと、すっごい心配そうにしてたから」
「えー。別にそんなことないけどなぁ」
「そんなことありますって」
だって、今と雰囲気が全然違ってたし。
「にゃはは、まー、そんな風に思ってくれるのは嬉しいけどねぃ」
硝さんとはまた違う軽快な笑み。しかし、それが一瞬だけ翳る。
「でも、ま。本当に優しい人っていうのは、アタシみたいなんじゃないけどね」
目を細め、静かにそう呟く。
「優しいって言葉が似合うのは、アタシよりも硝の方だよ。アタシじゃあとても比較にならない」
「…………そうですか」
いつもとは少し違う、どこか硬い声色だった。なんか、地雷踏んじゃったかな。
「なんてね」
ニシシ、と歯を見せて笑みを浮かべる。
よぎった心配も、束の間のことだった。次に瞬きをした時には、またいつもの軽々としたリンさんに戻っていた。
床に敷いたビート板の上に座っていると、クールダウンを終えたリンさんに声を掛けられた。硝さんと同じく、彼女もまた物好きな人の一人だ。
「お疲れさまです」
「うーい。もーちかれた」
よっこいせとリンさんは隣に腰掛ける。もちろん、お尻にはビート板を敷いて。
「そりゃあ、疲れますよね。400メートルって」
「まぁね。我ながら正気の沙汰じゃないねぃ」
言いながらスポドリをぐびぐびと飲んで、ぷはぁと声を上げる。
「でも、ま、自分に向いてんだから仕方ないね」
「そーいうもんですか」
「そーいうもんだよぉ」
「……結果はどうでした?」
「結果?まー、ボチボチだね。インハイの標準記録には届かなかったけど、まあそれでも三秒くらいだし」
喜べるような結果ではなかったみたい。十分凄いとは思うけど。
「次の種目って200メートルの個人メドレーですか?」
「そだよー。2個メね」
2個メは一番最後の半フリの一つ前だったハズ。ということは、リンさんもしばらくは出番がないことになる。
「さてさて、お次は硝だねー」
200メートルのバタフライ。硝さんが専門としている種目だ。
硝さんの他には、三年の男子が三人。二年の男子が二人と、女子が一人。
スタート前の硝さんの表情は、どこか険しかった。いつもの柔らかい雰囲気が、まるで見て取れない。
笛が鳴り、各々がスタート台へ。
位置について、を意味する英文が告げられ。笛が鳴った次の瞬間、一斉に飛び出す。そして浮上した皆が一様に、両腕を羽のようにして泳ぎ始めた。
最初の五十メートルの時点で、男子の三人は女子よりも抜きん出ていた。この時点でも身体一つ分くらいの差はある。
どんなスポーツでも大抵は男女で分けられるけど、こうして隣で泳いでいるのを見るとその理由がありありと分かってしまう。
必然的に、男子は男子だけで、女子は女子だけで比較して見ることになる。
硝さんの比較対象はというと、隣で泳ぐ二年の女子以外には居ない。確か名前は、立花……先輩だったっけ。
50メートル地点では殆ど同じくらいだった。
しかし……。
「硝……」
リンさんが不安そうに呟く。
徐々に二人の差が開いていく。遅れているのは硝さんの方だ。
100メートルでは身体一つ分の差が。後半に差し掛かるにつれ、どんどん距離が開いていく。動きは精彩を欠いていき、腕や身体を重そうにしながらも、懸命に泳いでいるのが伝わってくる。
結局、200メートルを泳ぎ切る頃には、立花先輩と十秒近いくらいの差が出来ていた。
肩で大きく息をする硝さん。
そんな水泳部の主将を、先にプールサイドに上がっていた立花先輩は、息を乱しつつも冷ややかに見つめていた。
あの二人の間にも、何かしら因縁めいたものでもあるのかな。少なくとも、立花先輩は硝さんのことをあまり良く思っていないんじゃないか。
息もからがらにプールから上がると、トボトボとした足取りでこっちに来る。
「お疲れさま」
リンさんが声を掛ける。
「うん。全然ダメダメだったけどね……」
「なに言ってんのさぁ。ベストとほぼ一緒だったじゃん、さっきの」
「それはまぁ……そうなんだけどね」
けれども、硝さんは腑に落ちていない様子だった。力なく笑いかけると、リンさんの隣にゆっくりと腰を下ろす。
「硝が気にしてることも分かるけどさ。硝は硝のペースで上達していけばいいんだよ」
「……そうだね」
「何でそんな落ち込んでるんですか?」
良くわからなかったので率直に聞いてみる。
一瞬目を丸くして、二人がこっちを見る。
それから、リンさんは気まずそうに硝さんの方を見やり、硝さんは曖昧に笑った。
「まあ、なんていうのかな。まだまだ未熟だなぁって。そう思っただけだよ?」
「……はあ」
無理に作った明るい態度、そして具体性を欠ける回答に、気の抜けた返事をしてしまう。
「てか硝ってば、取り合えずダウン行って来たら?」
「ああ、うん。でもなんか身体動かす気になれなくって」
「ダメだってば。歩くだけでも全然違うんだから、行っといで」
「……そうだよね。じゃあ、ダウンしてくる」
硝さんがリンさんの提案を受け入れる。ダウン用のレーンへと入って、緩慢と泳ぎ始めた。
次の組のレースはとっくに始まっていて、ボクはそっちに目を移す。ぼんやりとそれを見ながら、さっき感じたことを口にしてみる。
「リンさんって、結構優しいんですね」
「え。なんだいなんだい、急に」
リンさんが照れくさそうに声を上げる。
「さっき、硝さんのこと、すっごい心配そうにしてたから」
「えー。別にそんなことないけどなぁ」
「そんなことありますって」
だって、今と雰囲気が全然違ってたし。
「にゃはは、まー、そんな風に思ってくれるのは嬉しいけどねぃ」
硝さんとはまた違う軽快な笑み。しかし、それが一瞬だけ翳る。
「でも、ま。本当に優しい人っていうのは、アタシみたいなんじゃないけどね」
目を細め、静かにそう呟く。
「優しいって言葉が似合うのは、アタシよりも硝の方だよ。アタシじゃあとても比較にならない」
「…………そうですか」
いつもとは少し違う、どこか硬い声色だった。なんか、地雷踏んじゃったかな。
「なんてね」
ニシシ、と歯を見せて笑みを浮かべる。
よぎった心配も、束の間のことだった。次に瞬きをした時には、またいつもの軽々としたリンさんに戻っていた。
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