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平成に入って

平成最初の大会

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平成最初の大会となった1989年の第71回大会。青森県勢が昭和44年以来の甲子園勝利に秋田と宮城が東北勢として史上初めて同時にベスト4進出など東北勢の活躍が目立った大会となった。仙台育英が決勝戦まで勝ち進むも帝京の前に敗戦。優勝旗が白河の関を超えることはなかった。
この年のしんがり校は神戸弘陵。初出場。
5日目第1試合終了後に行われた2回戦の残りの組み合わせ抽選でまだ試合の行われていない5日目第2試合の勝者との対戦となりまた待たされることになった。神戸弘陵の初戦の相手は佐賀商。佐賀商の選手の中には後の駒大苫小牧の香田監督がいた。試合は出口の先頭打者ホームランなどで6-2で勝利。初めて2年続けてしんがり校が初戦を突破した。3回戦は尽誠学園に1-3で敗戦。尽誠学園の守備に負けた。

_b_大阪の府立校 _b_

1990年の第72回大会は天理が2回目の優勝。準優勝の沖縄水産は1点に泣いた。
イチローが3番レフトとして登場も天理に6-1で敗戦。1安打を記録している。
この年のしんがり校は初出場大阪の渋谷高校。現時点での大阪の府立校として最後の出場校である。初戦は宇部商相手に延長にもつれ込んだものの4-8で敗戦。延長10回に満塁ホームランを打たれた。

_b_初戦の相手は絞られたけど……。_b_

1991年の第73回大会は沖縄水産が2年連続の準優勝。沖縄に深紅の優勝旗があと一歩のところまで行った。優勝は大阪桐蔭。戦後7校目の初出場初優勝を遂げた。創部からわずか4年で夏の甲子園優勝は今も残る最短記録である。2年生のゴジラ松井を要する星稜がベスト4に、センバツ準優勝で上田投手を要する松商学園がベスト8に進出。3回戦での四日市工戦の延長16回の死闘で星稜戦までに疲労が回復しなかったのが惜しまれた。
この年から49番くじの高校が対戦相手が決まらないのは不公平と抽選会で一回戦から登場する高校の一塁側から登場する17校がくじを引いた。この年のしんがり校は坂出商。エースが怪我をしたものの甲子園に春夏連続出場。対戦相手は福井と帝京の勝者。8-5で帝京が勝ち坂出商の対戦相手は帝京と決まった。試合は0-13で帝京の勝利。エースが怪我をしていた坂出商には帝京は荷が重かった。
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