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Summer Camp
第58投
しおりを挟む練習を終えてへとへとになって家路に着く。この合宿期間は日没まで当たり前に続き。玄武大学の練習を中心にメニューが組み立てられ、ノックの最中に菜穂が顔を出すとさらに厳しさがました。
芙蓉との自主練の後はふらふらしながらなんとか家に着く。
「ただいまぁ」
玄関先で腰を下ろし大きくため息を吐く。すると玄関先で出迎えた父と目が合う。
「お父さんおかえりなさい」
「ただいまって遅くまでよくやるなぁ」
呆れたように笑みを浮かべ父は早くそこをどくように促す。
「久留実はやくお風呂に入ってきなさい」
母にどやされてから返事をした。今すぐにでもベッドに入りたかったがかるく湯船に浸かると倦怠感が抜け一気に眠気が飛ぶ。そうするとだんだんお腹が減ってくる。そういえば今日は唐揚げだった。寝巻に着替えてリビングに戻ると父はプロ野球をテレビで観戦していた。
「ジャイアンツ勝ってるんだ」
「うん先発ピッチャーが昨年のドラフト1位で七回までヒット3本だって、これは完封だな」
神宮球場のマウンドで躍動するピッチャーは緊張した面持ちでキャッチャーのサインをのぞきテンポよくバッターに投げ込む。威力あるストレートに差し込まれたバットが折れて内野ゴロに仕留めた。
「146キロだってよくこんな球が投げられるよな」
「お父さんって野球好きなのにどうして高校野球をやらなかったの?」
唐突な質問に不意を突かれて父は一瞬戸惑っていたがきっぱりと言った。
「俺には才能なかったからな」
「やっぱりそうなんだ、でもおじいちゃんに野球を教わってたんでしょ」
「そうだよ、じいちゃんは俺をプロ野球選手に育てようと思って物心つく前から強制的に野球をやらせてたな」
「え、だったらおかしいよ。おじいちゃんって私が小学生になる前まで社会人で監督やってたんでしょ。その英才教育を間近で受けていたお父さんが才能ないわけないじゃん」
はっきり否定する。父は手元にある缶ビールの封を開け一口飲んだ後天井を見上げながら笑みを零す。
「久留実は知らないと思うが、じいちゃんああ見えて当時は無茶苦茶な人だったんだぞ。小学生の俺に現役バリバリの自分がやってるメニューやらせたり、放課後は友達と遊ぶ時間がないくらい特訓させたり、今だったら近所で虐待と通報されそうなことばかりだった」
「え、あの優しいおじいちゃんが?」
意外だった。誰に対しても温厚で嬉しそうに野球を教えてくれた人だった。
「そんなことが続いて俺は野球が嫌いになって、高校受験をきっかけに親父と喧嘩したんだよ。『俺はあんたの操り人形なんかじゃない』ってグラブを投げつけてね」
「おじいちゃんはどうしたの?」
「ぼこぼこに殴られたよ。『ふざけたことを言うな』って、それが発端でそれから親父とは口も利かなくなって、大学進学をきっかけに完全に疎遠になったな」
これまた久留実は驚いた。父と祖父は二人でよく自分の試合を見に来てくれたし、観戦中に野球談議に花を咲かせていたこと知っていたからだ。
「うそだぁ、だってあんなに仲良かったじゃん」
「まぁな。そのきっかけを作ってくれたのが久留実なんだよ」
「わたし?」
久留実はそう言いながら自分を指さした。父は深く頷く。
「小学生の時、久留実が体育で球技を選択したからと言って投げる練習しただろ。その時ちょっと教えただけですぐに速いボールが投げられるようになった。そのうちもっと上手くなりたいって言われたら困るなと思ってじいちゃんに電話した。『久留実に野球を教えてやってくれって』そこからだな過去のわだかまりが解けたのは」
「二人にそんな経緯があったなんてびっくり……」
「そうだよな、久留実には感謝してるよ。あの人は野球でしか家族とコミュニケーションがとれない不器用な人だったから。そんなことより最近根詰まってないか?」
「なにが?」
咄嗟にとぼけてみたが、父が何を質問してきたかわかっている。
合宿に入ってからというもの久留実は毎日思いつめた表情で家に帰ってきていた。父は父で、再び野球を始め毎日楽しそうにしていた娘が浮かない顔をしていることを不審に思っていたのだろう。
「最近笑顔が少ないなって思ってさ」
父は久留実を見つめたまま言った。
「そうかな」
笑いつつ返事をしたが、上手く笑えた自信が久留実にはなかった。
「なんとなくあの時といっしょな気がする」
あのとき。父がそう言うときはどの時なのか久留実には分かっている。高校の野球部を退部した時のことだ。
「男子野球部を辞めた久留実が女子野球部に入部して辞めるまでの三か月。久留実は全然笑わなくなって、あの時は力に慣れなくて悪かったなと思う。じいちゃんの体調も悪くなって来た時だったからその分お前にかまってあげられなかった」
「別にお父さんが悪いわけじゃないよ」
久留実は野球部を辞めてからというもの、人と関わることを避けていた。もしかしたら自分のふがいなさにただ逃げているだけだったと思う。しかし十代の久留実には大好きな野球を失うことは精神を病む理由として十分だった。とてもじゃないが一人で乗り越えられるものでもない。学校の友達が慰めに他の部活に誘ってくれても気持ちは晴れなかった。
そんな時久留実を勇気づけてくれたのは祖父だった。病に侵された体で久留実を訪れると、「キャッチボールをしよう」と外へ連れ出した。何を言い出すのかと腹立たしかったが、久留実は自分がどうしようもなく野球というスポーツを好きだと思い知らされる。祖父の命の灯が消えるまで続けられた秘密特訓で磨き上げたストレート。しかしその力を試すことなく高校を卒業し、あんこに巻き込まれる形で再びあのマウンドに立てている。
「久留実がいつも話してくれるあんこちゃんだっけ? 彼女のおかげで笑顔を取り戻した。俺はそう思っている」
「そうかな」
久留実は自分でもそうだと分かっているのに認められなかった。
「そうさ、だからそんなに悩む必要もないと思うぞ。久留実は野球が好きでグラウンドに行けば同じように野球が好きな子がいるんだろ、少々のわだかまりや悩みなんていくらでも解決できるさ」
「簡単にいうけどさ……」
お腹の底から湧き出たようなため息とともに弱音がはき出てきた。
「なんでもすぐにできるようにしようとは思わないことだよ、志は高く、目標は小さく。その日できる最低限のやれることを続ければいいんだ」
父はテレビの中のジャイアンツが追加点をとったことに拍手して喜び缶ビールを飲み干すと母にばれないように二本目を取りに行く。冷蔵庫までの道すがら唐揚げを運ぶ母と鉢合わせしてその夢は呆気なく断たれた。
だからこそ久留実は焦りに襲われる。久留実はもう過去の自分に戻りたくはないのだ。
マウンドこそ自分の居心地の良い居場所であり、不器用な自分だから祖父から受け継いだたった一つの才能を今度こそ生かしたい。
明日は合宿最終日。チームのため、家族のためにも足掻かなければいけない。
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