夜明け待ち

わかりなほ

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はつしぐれ

少年の話 Ⅰ

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 突然入り込む冷たい風に、一週間前におろしたばかりのコートの襟元をかき合わせた。
「寒…」
もう11月も半ばに入り、秋の気配などどこにも残っていない。エアコンはかかっていないにせよ、とりあえず風が入ってこないだけでもましだろうと足早に教室へ向かった。
自身の席に着き、リュックを置いていると背後から軽く肩を叩かれた。振り向けば、鼻の頭を赤く染めたハヤトが立っていた。
「アキラー。おはよ。今日も寒いな」
「うん。もうすっかり冬だよなぁー」
「あっそういえばさ、今日から進路相談始まるね」
ハヤトが何気なく零した言葉に思わず憂鬱になった。
「ハヤトはやっぱり生物系?」
「うん。そのつもり。昨日、いくつか行きたい大学ピックアップしてたら寝るの遅くなっちゃってさ。アキラはやっぱり文系?」
「…そうだね。俺、数学全然できないし」
「何系めざしてるんだっけ?」
「日本文学系。小説好きだし」
「そっか。どの時代の作品が好きとかあるの?近代とか源氏物語くらいとか」
素直なハヤトの疑問に即座に言葉が出て来なくなった。別に時代にこだわってる訳ではないし、小説が好きという割に文豪作品なんてほとんど読んだことはない。
「これといって好きな時代とかがあるわけじゃ無いんだけど…」
「じゃあ、とにかく『本』自体が好きってこと?」
さっくりと自分の考えを言葉にされて、その通りだと思った。だけど、僅かな対抗心からか本心とは裏腹に自分の口からは「そんな感じ」という曖昧な返事が漏れた。俺の、「小説が好き」という発言から、それはつまり「本自体が好き」ということなのだと綺麗に結論づけ言語化したハヤトが眩しく見えた。将来をしっかり見据えていて頭も良いハヤト。そんなハヤトに正面から向き合えず変な対抗意識を持ってしまう自分が嫌になる。当のハヤトは、俺の「そんな感じ」という返事に納得したように頷き笑う。その真っ直ぐな笑顔から思わず視線を外した。

 進路相談を放課後に控えた日の昼休み。後輩に部活のプリントを渡そうと1年生のクラスへ踏み込んだ。弁当を食べていた後輩が顔を上げ、軽く会釈をする。
「白川先輩!こんにちはー」
「こんにちは。このプリント、今度の部活で使うから渡しておくね」
「分かりました!ありがとうございます」
すると、後輩のクラスの女子たちの笑い声が聞こえた。あまりにも楽しそうな声に思わず視線を向ける。
「ねー、もうホントにかすみ面白いんだけど!」
「かすみちゃん、お化け苦手なのに何で『検索してはいけない言葉』とか見たがるのー?眠れなくなっちゃうじゃん」
かすみと呼ばれた黒髪の女子生徒が恥ずかしそうに笑う。
「だって皆とみたら怖くないかもって思ったんだもん」
「道連れか!私も震えが止まらなくなっちゃったじゃん」
「リコも苦手だもんね。そういうの」
けらけらと笑う彼女たちを見て、ふと自分が1年生であった頃を思い出した。俺も、あんな風に毎日が楽しくて仕方ないとはしゃいでいた。中学では許されなかった寄り道ができるのも嬉しくて仕方なかった。今みたいに進路についてぐるぐると考えることもなかった。

彼女たちが羨ましい。何の悩みも無くて、いいな。俺もあの頃に戻りたい。


 放課後、先生から呼ばれ進路指導室に行った。机を挟んで向かい合う。
「白川さん。進路希望調査票を見せて貰いました。第1希望は文学部ということですが、第2希望は理系学部になっているのは何か理由があるんですか?」
「…文学に興味があるのはそうなんですけど、この大学の園芸学部にも惹かれてるんです」
「そうなんですね。白川さんは植物とかにも興味がある?」
「はい。道ばたの植物を見たり、キノコを観察したりするのが昔から好きで、そういうことも学びたいなと思ってます」
「なるほど。確かに第2希望の方はそういう興味によく合ってると思うよ。それにこの学部は完全な理系ということではないから、文系寄りの君もチャレンジするのは難しくないんじゃないかな」
「…でも、二次試験で数学Ⅲが必要で、自分に出来ると思えないんです」
先生は俺の言葉にゆっくり瞬きをして頷いた。
「数Ⅲについてはそんなに心配しなくても良いと僕は思いますよ。数Ⅲっていうのはつまり、今まで習ってきた数ⅠAとか数ⅡBとかの総まとめ的なものなんですよ。だから凄く難易度が上がる訳ではありません。もちろん、僕も例年通り数Ⅲの補講を長期休業中に開く予定なので、視野に入れてみてはどうかな?」
数学を担当している担任にそう言われると、それもいいかなと思いそうになる。
「それに、第1希望の方の試験科目はもう調べてるだろうから知っていると思うけど、最近の文系学部は数学を選択科目にしても受けられるんだよ。実際、理系の子が、数学で文系学部の試験を受けるというのも意外によくあります」
頷く。確かに第1希望に据えている大学以外の文系学部の試験科目も調べたが、国語と英語に加え、選択科目で数学を選んでも問題ない所が多かった。
「だから、もしも園芸学部に行きたい気持ちがあるなら、3年からの授業選択は理系にした方が無難だと僕は思います。まだまだ時間はあるのでゆっくり考えてみて下さいね」
その言葉に返事をし、進路指導室を後にした。



 帰り道。理系を選択した時の自分の姿を考えてみた。でも、あまりピンと来ない。当然だ。1年生の頃から俺は数学が苦手だった。高校最初のテストでは人生初の赤点を取り、そこから先の定期考査でも40点や50点辺りをうろうろしていた。いつも平均点以下。そんな俺が、理系に進んでやっていけるのだろうか。素直に文系に進めば良い。でも、植物とふれ合いながら学んでいく将来を捨てきれない。
俺は、どっちを選べば良いんだろう。
ぐるぐる考えていれば、あっという間に家の近くの皐月公園にさしかかっていた。

不意に、皐月公園の向かいにある森にある木の階段に目を奪われる。

あれ、前からこんな階段あったっけ?

どうにも気になり、気づけば階段に足をかけていた。すると、階段の脇の地面からひょっこりと顔を出す、小さな赤いキノコを見つけた。
「え?この時期にキノコ?何のキノコだ…?」
じーっと観察していれば、そのキノコは階段の奥までずらっと並んでいることが分かった。
「うわっ!すご…」
キノコを辿るように歩いて行けば、キノコに混じって小さな花も見え始める。光を受けて煌めく青。透き通るような薄紫。雪のような白。そんな色を持った花たちが、階段の上へ自身を誘い込むように顔を出している。
少し不気味だが、それ以上に好奇心が上回った。ひたすら階段を上っていくと、突然目の前が開け、今度は石畳が現われる。
「まさか、人ん家?」
ぎゅっとお腹が痛くなる。不法侵入などするつもりはなかったのに。その場で呆然と立ちすくんでいると、向かい側から誰かが歩いてくるのが見えた。びくりと肩が震える。まずい。きっとこの家の人だ。怒られる。
逃げなくては。いや、謝らずに逃げるのは、自分が「不審者」だと宣言するようなものではないか。

そこまで考え、「間違えて入ってしまったのだ」と素直に事情を説明しようと決めた。
だが、その決意は早くも揺らぐ。正面からこちらに歩いてくるシルエットは長身の男性らしかった。さらに、シルエットの耳元で、陽の光を受け何かが光っている。もしやピアスか?
ピアスをつけた長身男性。この条件だけで、俺は怖くて仕方なくなってしまった。突っ立ったままでいると、男性らしき人が近くで立ち止まった。もう駄目だ。
「ご、ごめんなさい!」
早い者勝ちとばかりに、その男性が何かを言う前に謝り頭を下げる。頭上で、「は、」と困惑したような声を聞いた。




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みんなの感想(4件)

よく吠える犬

暗い話が急に明るくなってどうしたどうした!?ってなったと思ったら、、、
ニチニチソウの栞の説明が意味深すぎる!!!!!

わかりなほ
2024.02.12 わかりなほ

コメントありがとうございます!
ニチニチソウの栞にはどんな秘密があるのか?
続きも読んで頂けたら嬉しいです。ありがとうございました

解除
あおみどり
2024.02.06 あおみどり

書き手さんは女性なのかな?
繊細な描写があったりして、とても丁寧に描かれている印象。
お爺さんの話、1話毎にサラサラ涙が出た。
夫婦の死別ってどこにでもきっとあって、すぐ傍でもきっと起こっている様な話なんだろうけど、こう自分事の様に描かれると誰かを亡くした人にしか解らない様なやるせなさというか何と云うか、自分の記憶が呼び覚まされました。
書き手さんも誰かを亡くした事があるのかな。
お爺さんの後悔が救われて本当に良かった。

わかりなほ
2024.02.06 わかりなほ

あおみどりさん

感想ありがとうございます。
繊細な表現など言って頂けてとても嬉しいです!
私自身は祖父を亡くしたことがありまして、お爺さんの章は、祖母や私自身のことを振り返って書いてみたものです。
私もお爺さんの後悔を昇華することができてよかったと思っております。
素敵なコメントを下さり、ありがとうございました。

解除
2023.12.28 ユーザー名の登録がありません

退会済ユーザのコメントです

わかりなほ
2023.12.28 わかりなほ

私の未完成な作品にこんなに強い思いを伝えて下さりありがとうございます。
まだまだ初心者も初心者でこの物語をしっかり完結させられるかは不安でもあります。
でも、まくらぎさんの感想をエネルギーに、この物語にしっかり向き合い、いつか書き上げられたらと思います。
改めて、素敵な感想をありがとうございます。とても励みになりました。

解除
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