暁を願う

わかりなほ

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洒涙雨

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 「誰だ。てめぇ」
玲がふらつきながらも立ち上がり、私を庇うように前に立つ。
突如現れた存在は、その言葉にくつくつと笑い出した。
徐々に冷静さが戻ってくると、目の前の存在がよく見えた。
恐らく男。全身に漆黒のローブを纏い、さらには顔を隠すような狐の面。
それは、ひどく奇妙な出で立ちだ。
「聞いたことぐらいあるだろう?我は憑鬼ひょうき
その名に一気にぼやけていた意識がクリアになる。
ゆっくりと立ち上がり、玲の隣に並ぶ。
「てめぇが噂の憑鬼か」
低い声。チャキ、と刀を構える音がした。
私も弓矢を向ける。
「妖怪退治屋の名にかけて、貴方を倒す」
「…くくくっ、はははははははははっ!!」
戦闘体勢をとる私たちに対し、憑鬼は派手な笑い声をあげる。
「なにが、おかしい」
「倒す、か。お前らに我が殺せるか?」
怪訝な顔をする私たちに構わず、憑鬼は狐の面に手をかける。そして、素顔が現れる。

その顔は。

「え…? 」
「は…?」

するすると力が抜けた手元から刀が落ち、地面に突き刺さる。

嘘だ。


こんなこと。


声が出ない。


狐の面の下から現われた、顔は。


鋭い金色の瞳。
記憶よりもやや伸びた無造作な黒髪。
その精悍な顔立ち。
そして、深い青色の雫があしらわれたペンダント。
それが、何よりの証拠だ。忘れたことなど無かった。彼は。
瞳の色こそ違えど、私たちが信じ続けた、探し続けた、大切な人。

夜月 恭哉やづき きょうや。その人だった。

「きょう…さん」
「きょう…や」
乾いた声が重なる。息が、苦しい。
「その通り。くくっ…。久しぶりだな。玲、雪。…なんてな。良い顔してくれるじゃねぇか」
「なんで…恭さんがっ」
恭さんの口調を真似るような仕草に吐き気がする。こんな人は知らない。
「ああ。もうその人格はねぇよ。夜月恭哉…いや、『黒鬼くろおに』と言った方がいいか?そいつの人格なんざもう無い」
『黒鬼』。それはその容姿と強さから恭さんにつけられた通り名だった。
「なにを、言っている?」
玲が問いかける。
「教えてやるよ。百聞は一見に如かずだ」
パチンと、憑鬼が指を鳴らす。突如、目の前の光景が変わった。




 「死ね。憑鬼」
冷たく響く声。それは、恭さんが憑鬼と戦っている光景。どちらも血に染まり、恐らくこの一撃で勝負が決まる。それを離れた所から見る私たちの姿は、2人には見えていないようだ。
「さすがは黒鬼。だが、お前は我に勝てない」
凄まじい風が吹き荒ぶ。世界が闇に染まる。憑鬼の姿は消え失せていた。
「…な…」
不意に、恭さんの影が生き物のように蠢く。
「くくく、やはり、強い者の影は居心地が良い。ずっと探していた。我に相応しい器を」
じっとりとした低い声。
「き…さ…ま」
グイッと影が恭さんの首を締め上げる。
「さあ、我にお前の全てを寄越せ!」
その言葉と共に、影が恭さんの胸元を貫いた。
「ぐっ…あ…あああっ!」
頭を押さえ込んだまま、その身体はがくりと地面に崩れ落ちる。
彼の叫び声に耳を塞ぐ。玲も唇を噛み震えている。
やがて、ゆっくりと倒れ伏した身体が起こされる。ゆらりと開いた青の瞳は金に染まり、口元には歪んだ笑み。
「ついに手に入れた。最高の器だ!」
そしてまた場面が切り替わる。

 「ははは。最高だなぁ」
真っ赤な血の海に立ち尽くし、享楽に浸るように笑みを浮かべる恭さんの姿をした憑鬼。
「そんなっ…」
ここに至るまでに、憑鬼の支配が進んだのだろう。不意に瞳が青に戻る。
「はっ…?俺…は、何を…」
真っ赤に染まる手と刀を見て、彼はきつくきつく唇を噛んだ。
「…すまねぇ…すまねぇっ!」
彼の呻くような懺悔の声が、刺さる。こんなことを毎日体験していたのか。2つの人格を行き来して。気づかぬうちに誰かを傷つけて、止めたくても自分ではどうにもできない。
「そんなこと…」
さらに、場面が変わる。目を逸らすことは、もうできない。

 そこは、どこかの家の中の様だ。あぐらをかき、座っている恭さんの姿がある。その全身から並々ならぬ覚悟と気迫が伝わってくる。
「…お前は、何をしようとしている…?」
玲が呟く。
「これ以上誰かを傷つけるのは、御免だ」
彼は、ゆっくりと刀を手にした。
「恭さん…?」
まさか。
「なぁ、憑鬼。俺もろとも消えろ」
刀の刃を首に当て、ぐっと力を込める。
「これで、おさらばだ」
ボタボタッ 真っ赤な血が彼の手を伝い落ちていく。そして。

ピタリとその血は止まった。

「なっ…」
3人の声が重なった。
「ははははっ!くくっ、はははははっ!」
恭さんの影から、笑い声が溢れ出す。
「無駄だ!随分と男らしい決断だったが、我は刀傷ごときじゃ死なない。そんなもの、すぐに回復できる!なぁ、黒鬼?お前は、自分の意志で死ぬことなどできやしない!」
彼の身体から力が抜ける。カランと刀の落ちる音。その目に光は無い。その表情は、目に焼き付き離れない。
「あ…、あああっ…くっそぉ…!」
絞り出すような声は、憎悪か。悔恨か。
「ははははははっ。お前がどう足掻こうと我からは逃れられないんだよ」
耳に纏わり付く哄笑が響き渡った。


 そして、元の世界に戻る。
「これで、分かっただろう?」
私と玲はその場に崩れ落ちる。
「嘘でしょ…そんな…」
「っ…!なんで…!」

「これが真実だ。くくく!顔が見たかった」

憑鬼は私たちを見下ろして笑う。嗤う。

「冥土の土産になっただろう?こちらももう用は無い。さあ、死ね」
銀の刀が迫ってくる。私は、その光景をただぼんやりと眺めていた。

突然耳元で響いた鋭い音にハッと我に返る。
憑鬼の刀が、ちょうど私と玲の間の壁。つまり、顔の真横に突き刺さっていた。
「…ちっ。クソが。…さらばだ」
一瞬顔を歪めた憑鬼は、その場から姿を消した。
しんと沈黙が下りる。そして緩慢な動作で立ち上がった。
「帰る…だろ。歩けるか?」
「玲こそ、大丈夫?」
お互いの肩に腕を回し、支え合うようにして歩き出す。
「ねぇ、玲」
「どうした?」
「恭さんは、あの日に覚悟を決めていたのかな」
「!」

私たちの脳裏に浮かぶのは、あの人が消える前日。2年前の6月30日の夜のこと。
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