暁を願う

わかりなほ

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遣らず雨

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 「まだ、抵抗するのか…! 」
絞り出すような声。迫っていた刀は、首に触れるか触れないかの位置で止まっていた。カタカタとその剣先が震える。
「邪魔するな…!」
呻き声。刀が落ちる。憑鬼は頭を抱え込む。
「ぐっ、ああっっ」
苦しげな声がしたと思うと、ピタリと動きが止まった。
静寂が訪れる。
「…?…」
「…俺がこの人格を保っていられるのは15分が限界だ…」
唐突に切り替わった一人称に息を呑む。身体を縫い付けていた刃が落ちた。
頭を抱え、顔を覆うようにしていた手がゆっくりと離れる。

そこにあったのは、狂気に満ちた金の瞳ではなく、海のように深い青色の瞳だった。

朝から降り続けていた雨の音が遠ざかる。

「恭…さん?」
は、懐から煙管を取り出し咥えた。
「ああ。そうだ」
やっと、声が届いた。
「…馬鹿野郎。忘れろって書いただろ。俺のことなんざ忘れて幸せになってくれって…。なのに、何で来ちまうんだよ。何でっ…お前らは…」
苦しそうに言葉を吐き出していく。
「当たり前じゃ無いですか」
「お前は、俺らをずっと守ってくれた。だから、次は俺らの番だろ」
くくっと恭さんが笑う。
「2年は、長いな。雪も玲も、大きくなりやがって…。来てくれて、ありがとな」
最後の方の声は、震えていた。
1度瞳を閉ざし、彼はもう一度瞳を開けた。その視線が射貫くようなものに変わる。
「なぁ、よく聞いてくれ」
小さく頷いた。
「憑鬼の弱点は、ココだ」
彼は、雫のペンダントの下に隠れる、黒い石がはめ込まれた飾りを指す。ブローチの類いだろうか。
「この石を壊せば、こいつは死ぬ」
彼は、自嘲するような笑みを浮かべ、さらに続ける。
「もう、俺は多分ダメだ。完全にこいつに呑まれた。2度と『夜月恭哉』に戻ることは出来ねぇ。ごめんな。どうしようもない野郎で」
その悲痛な表情に胸が痛くなる。
「俺の心臓ごと、この石を貫いてくれ。お前らの手で、終わらせてくれ。頼む」
深く深く恭さんは頭を下げた。
「…貴方がそれを望むなら、私たちは何でもします。でも、もう一度戦うことは出来ませんか」
「恭哉。お前がいない世界は、苦しいよ」
玲は弱々しく笑う。分かっている。どれ程残酷なことを言ってるかなんて。でも、どうしても一緒に居て欲しかった。もういなくならないで欲しかったのだ。
顔を上げた恭さんは、グッと眉根を寄せる。苦しそうな表情だった。
「それ…は」
彼の冷え切った手を、そっと握る。
「私たちも頑張るから。戦いますから。貴方もどうかっ…どうかもう一度っ…」
涙が溢れた。玲も小さい子どものように涙を零す。止まることの無いソレには構わず続ける。
「俺たちは、まだお前といたい。もう何も失いたくないんだよっ!」
感情に言葉が追いつかない。その距離を埋めるように、強く強く恭さんの手を握った。
不意に握りしめていた手がほどかれる。代わりに、確かな温もりを頭に感じた。彼は、私たちの頭に手を乗せたまま何も言わなかった。ただ、柔らかな色を瞳にのせ、穏やかに笑ったのだ。
「…離れていろ」
優しく身体が離される。そして、深い青は狂気の金に染まっていく。
「ああー。やっと戻れたぜ。とっととお前らを殺して終わりにしねぇとな」
もう一度。進む力を。刀を構えた。
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