チート火消に憧れて、火消になってはみたけれど

落花生

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憧れの真似をしたら、屋根から落ちました

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 再び、鴉が失った片腕の袖が風を孕んで膨らんだ。
 春は鴉を追うように、地上の道を走った。だが、民家の屋根から屋根へと飛び移る鴉には追いつけない。
「くそっ!」
 春は積み上げられた木材を足場にして、民家の屋根によじ登る。思ったより高い視線と不安定な足場に、春はよろめく。板ぶきの屋根は思ったより滑るために、常に踏ん張っていないと地面にまっさかさまだ。しかも、隣の屋根との距離は離れている。それでも顔を上げると、遠くには鴉がいる。
 さらに遠い場所には、出現した鬼の姿があった。
 江戸のどんな建物よりも高く、天にまで届きそうな鬼の姿。一歩彼らが歩くだけで、江戸の町並みは失われる。それを防ぐために、鴉をはじめとする火消たちが鬼の元へと集まってくる。
 春は、隣と屋根との距離を確認して息をのむ。
 やはり、予想以上に離れている。
 春も身体能力には自信がある方だが、足場が悪いことも手伝ってちゃんと飛び移ることができるかどうかは分からない。鴉はいつもこうやって現場へと一番乗りをしているのだ、と春は生唾を飲み込んだ。
「よっしゃ!!」
 春は気合を入れて、屋根から屋根へと飛び移るために跳んだ。
 ――そして、落ちた。
 隣の屋根にはかすりもせずに、まっさかさまに落ちた。
 民家と民家の隙間の狭い路地に落ちたから醜態をさらすことにはならなかったのが、せめてもの救いであった。
「いたたたた……」
 春は起き上がろうとするが、足に力が入らない。
 どうやら、挫いたらしい。
「ちくしょう!」
 春は、苛立ちのあまり拾った石を壁に投げつける。せっかく鴉に自分の実力を見せる良い機会だったというのに、この足では現場にたどり着くことすらできない。
 あまりに情けない自分の姿に、春は嫌気がさしてきた。青龍隊では成績優秀で首席で卒業できたのに、鴉隊でやっていることと言えば草むしり。隊長には顔と名前を憶えられていない上に、屋根から落ちて足を捻挫。
「……なにやってるんだよ、俺」
 すべてを失った日に、それを覆すような憧れを見た。
 夢には近づいたはずなのに、憧れは遠ざかったような気がする。
「そこにいるのは、火消か?」
 誰かが、春に声をかけた。
 声からして若い男で、同業者からもしれない。情けない噂が立つことを恐れて、春は道の奥へと逃げ込もうとする。
「こら、逃げるな」
 声の主が、春の肩を捕まえる。
 春が振り向くと、予想に反して町人らしい服装の男がいた。春と同年代ぐらいの若さで、心配そうな表情で春を見ていた。
「火消と思ったが、違うのか?」
 男は、首をかしげる。
 思えば、春は鴉隊の火消の半被を着ていない。手に持っているのも草刈りの鎌であり、自分はこのまま現場に行って何をする気だったのだろうかと今さらながら呆れてしまう。
「足、怪我してるのか。これは捻挫だな」
 ちょっと待っていろ、と言って男は自分の袖を裂いた。転がっていた枝を拾い上げて、それを使って春の足を固定する。
 着物は、どんなものだってそれなりに高価だ。
 布を作るのに手間がかかるせいであり、躊躇なくそれを引き裂くだなんて、この男はよっぽどお人よしなのだろう。
「送っててやる。家はどっちだ。安心しろ、俺は定火消だ。朱雀隊の霧人っていう」
 半被も帯刀も鉄砲も持っていないのに、と思わず春は呟く。江戸の治安維持のために定火消は非番のときでも刀と鉄砲の携帯を許される。
「……非番の時ぐらいは身軽でいたいんだよ。ほら、手をかせ」
 春は、霧人の手を取る。
「それで、俺はお前をどこまで送ればいいんだ?」
 そう尋ねられて、春は自分が定火消であることを明かさなければ鴉隊の定火消屋敷に帰れないことに気が付いた。醜態を見せたことで名乗るのには抵抗があったが、このお人よしの男ならば悪い噂は広めないだろうと春は腹をくくることにする。
「鴉隊の春だ」
「……今年の首席は変わり者だと聞いていたが、お前だったか」
 霧人は、まじまじと春を見た。
「噂になってたか。鴉隊を選んだ、馬鹿な奴って」
「お前本人の噂よりも、鴉隊長が新人を入れることを初めて承認したって方が噂になっているかな。あの人は今まで誰が望んでも、新人が入るのを許可しなかったから」
 おそらくは、予算の都合だろう。
 そして、春の入隊を許可したのは予算に都合がついたからであろう。なんとなくだが、春の入隊を許可したのは、鴉ではなく四十万ではないかと春は思っている。鴉は新人が入ることに微塵も興味がなさそうであるし、事務的なことは四十万がすべて取り仕切っていることはこの三日で実感した。
「鴉隊長に憧れて……鴉隊に入ったんだ。でも、俺には才能がなかったかもしれない」
 隊長のように屋根をつたって走ることができなかった。
 それを聞いた霧人は、笑いだした。
「気にするな。年に何人かは、鴉隊長の真似をして怪我する奴がいるんだ。おかげで、こっちは手当がすっかり上手くなったよ」
 どうやら、できもしないのに屋根に上った馬鹿者は春だけではないらしい。
 安心したような気持ちと馬鹿者の集団に仲間入りした恥ずかしさがない交ぜになり、春は霧人の顔を見れなくなった。
「そっ、それにしても鬼が出ているのに、随分と静かだな。半鐘の音も聞こえないし」
「……そういえば、静かだな」
 霧人は、足を止めた。
「おい、霧人」
 背中に虎の模様が入った、白い半被。
 それを着た火消二人が、霧人に声をかける。白い半纏は白虎隊の目印であるが、霧人の知り合いなのであろう。定火消はそれぞれの隊に分かれているが、人事異動は盛んにおこなわれる。しかも、新人は一番最初に青龍隊で教育を受けるために、同世代であるのならば隊が違っていても顔見知りであることはよくある。
「なんだ、こっちは今日は非番だぞ」
 霧人は、若干嫌そうな声を出した。
「分かってる。それより、鬼を見なかったか?」
「人の非番を『それより』扱いするなって。鬼って、あっちの方向に出現したんだろう」
 霧人と春は、そろって鬼が出現した方向を指差す。
 しかし、そこには何もいなかった。
 天に手が届きそうなほどに大きな鬼は、どこにもいなかった。江戸の空はいつもどおりに晴れていて、平和な青空に雀が飛んでいる。
「さっ、さっきまであっちに鬼がいたよな!」
 思わず声を裏返して、春は叫んだ。
 その声に驚いたのか、霧人が春を支えていた手を離す。春は途端に体勢を崩し、地面に転がった。
「すまん!ちょっとびっくりして」
「……鬼が、どうして鬼が消えるんだよ!!」
 地面に伏した状態でも、春は動揺していた。鬼が倒されるにしては早すぎるし、なんの音も聞こえなかった。
「それが鴉隊長が来た途端に、鬼が消えちまったんだよ。どろんって……こんなことは初めてだから、今は現場にいた火消全員で鬼を探している」
 霧人の知り合いの火消の話によれば、鴉が現場に到着した途端に鬼は消えてしまったのだという。むろん、そんなことは初めてだった。
「どういうことだ?」
 春が青龍隊で習った座学でも、鬼が突然消えるという現象はなかった。鬼になった人は、もう人間には戻れない。
「そんなの現場に行った俺たちのほうが聞きたいって。それじゃあ、霧人。非番のところ悪かったな」
 朱雀隊の火消たちは、忙しそうにその場を去って行った。
「よかったな、あいつら忙しくて」
 倒れた春に手を貸しながら、霧人は笑う。
 その手を取りながら、春は「なにが?」と答えた。
「あいつら、おまえが鴉隊だって気が付かなかった。醜態をさらしたくなかったんだろ」
「あ……」
 鬼が消えたという話を聞いて、春はすっかりそちらに気を取られていた。
 だが、よく考えてみれば自分は結構な醜態を現代進行形でさらしている。
「自分のことより鬼のことを考えられるんだから、春は良い火消になる。まぁ、火消歴がまだ短い俺が言えたことじゃないかもしれないけど」
「……やっぱり、少ししか歳は違わないのかよ」
 霧人の方が先に現場に立っていたせいなのだろうか、霧人には妙な頼りがいがあった。
「悔しがりながらそんなことを言われるってことは、俺も成長したってことかね。じゃあ、新人。これから頑張れよ」
 鴉隊の屋敷の前で、霧人とは別れた。
 バツが悪い思いをしながら、春は草刈り鎌を持ったままで鴉隊の定火消屋敷へと戻った。屋敷には四十万がいて、草刈り鎌を持ちながら足首を負傷した春の姿を見て――大体何があったのかを悟ったのであった。
「まぁ、毎年何人かはやることです」
 四十万は、そう言った。
 霧人が毎年何人かは挑戦すると言っていたことは、嘘ではないらしい。
 かぁ、と春の頬が熱くなった。
「すみません。せっかく、鴉隊に入れたのに馬鹿な真似をして……」
「一つ聞きたいのですが、あなたは鴉隊長の真似をしたいんですか?」
 四十万の問いかけに、春は呆然とした。
「俺は……隊長に憧れて」
「それは知っていますけど。憧れと真似をしたいでは違う問題でしょう。憧れるだけならば、私も隊長に憧れています」
 背筋をまっすぐに伸ばした四十万は、書類から目を離すことはなかった。
「私が隊長と出会ったとき、私はすでに三十代。身体能力の限界は見えていましたから、隊長のように飛び跳ねて鬼と戦うなんてことはできませんでした。ですが……あの圧倒的な速さには憧れた」
 鴉は、先々代の朱雀隊隊長の養子である。鴉の才能をいち早く見抜いていた先々代の朱雀隊長は、幼い鴉を鬼が出現する現場によく連れてきていた。
 そのせいもあって鴉は、朱雀隊の見習のような立場になっていた。故に鴉は、普通の火消ならば最初に所属する青龍隊に所属していない。四十万は、そのころから鴉に憧れていたのだと言う。
 今の自分より幼いころから、鴉は現場で戦っていた。
 そう思うと春は、胸が熱くなった。自分の憧れているものが、より強くきらめいているのが嬉しくてたまらなかった。
「あなたは、どうなのです。本当に憧れているだけなのか、真似をしたいのか」
 改めて、四十万に問われる。
 その瞳があまりにも真剣であったために、春は返事ができなかった。鴉に憧れているのは確かであり、鴉のようになりたいという気持ちもある。だが、幼いころに見た鴉の印象が鮮烈すぎて、届かないのかもしれないという思うこともあった。
「……その」
「その場しのぎで答えなくてもいいです。この答えは、あなたが鴉隊に所属し続けるべきかどうかの問題にかかわりますから」
 無理がない範囲で草むしりをお願いします、と四十万は言った。
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