婚約破棄された伯爵令嬢ですが、辺境で有能すぎて若き領主に求婚されました

おりあ

文字の大きさ
2 / 40

2

 静謐な社交界の夜会が開幕した。柔らかな燭台の明かりが、薄紅色のドレスを身にまとった多くの貴族令嬢たちの顔を照らす中、ひときわ目立たぬ淡い水色の装いが一人——それがセリナである。

「次の案内をお願いいたします」

 軽やかな足取りで廊下を進む侍女の背に、小声でそう告げる。自身はジェスチャーひとつ、言葉ひとつにも慎重になり、誰の視線も最小限に集めぬよう心がける。感情を言葉に乗せるのは苦手でも、礼儀や動作の正確さには人一倍気を配るのだ。
 その夜の主賓は隣国の公爵。華やかな舞踏が始まり、音楽隊の弦楽が宮殿の高い天井に柔らかく反響する。男女のペアが軽やかにステップを踏むたび、周囲からは賞賛の声と同時にさざめきが起こった。

「おや、あのブルーのドレスは……」
「ええ、王太子の婚約者、伯爵家の令嬢ですよ」

 ささやきが耳を掠める。見渡せば、レオニス王太子は今夜も傍らにリーナ・エヴェレットを連れており、その堂々たる笑顔はまるで王国の未来を保証するかのように輝いていた。
 どうして、あの人の隣はいつもあの笑顔の令嬢なのだろう。
 胸の奥に苦い思いが巻き起こる。昨夜、密かに図書室で王太子が口にした言葉を思い出す。

「リーナは──光そのものだ。あの笑顔を見るだけで、心が晴れていくんだ」

 そのときも、静かに本を閉じたセリナの背後では、確かに喜びが灯っていたのだろう。しかしその輝きは自分には向けられていなかった。

「婚約者としての務めを全うしなくては」

 深く息を吸い込み、強く心を定める。会場中央に設えられた大きな花飾りの前で立ち止まり、手袋をはめ直してから、華やかな薔薇の一輪をそっと触れる。手のひらに伝わる花の柔らかさは、言葉にならぬ想いをそっと慰めてくれるようだった。
 次の瞬間、背後から軽やかな声が聞こえた。

「セリナ様、お久しぶりです」

 振り返ると、そこにはリーナがいた。深紅のドレスと対照的に、甘い笑顔を浮かべながら近づいてくる。周囲の視線は二人に集中し、まるで二人は舞台の主役であるかのようだった。

「ご無沙汰しております。今夜はお招きいただき、ありがとうございます」

 言葉は平静を装っているが、頬の内側には微かな熱があった。リーナの瞳がうれしそうに輝き、軽く頭を下げる仕草は、まるで本心をあらわに歓迎されているように思えた。

「お綺麗ですね、セリナ様」
「いえ、リーナ様のほうが、はるかに華やかで――」

 応答する合間に、王太子の視線が二人のそばへ向けられているのを感じた。踏み出すたびに心臓の鼓動は早まるが、言葉は滞りなく紡がれる。

「今夜の舞踏会は、公爵家と王家の友好を深める大切なものですから」
「そうですね。レオニス殿下もお忙しい中、お招きいただき光栄です」

 リーナの返しは軽やかで、胸元の宝石が灯火を受けてきらめいた。隣国の公爵がその場へ声をかけに現れ、リーナは軽やかに会話へ移る。一方でセリナには声がかからず、ただ傍らで微笑みを浮かべるだけの役回りに過ぎない。

 私は、ただの影に過ぎないのだろうか。

 そう自問しながらも、セリナは冷静さを失わない。目立たずとも、確かな存在感を示すにはどうすればいいか。控えめな声で、次の会話に花を添えるべく言葉を探す。

「公爵様、そのご所望の書類は、すでに貴殿の執務室へお届けしております」

 以前、文書整理の任をしていた経験がここで生きている。公爵は驚いた表情を見せ、言葉を詰まらせた。

「──それは助かる。確かに、本日中に確認すべき案件だった」

 伏し目がちな言葉遣いながらも、的確に要件を伝えるその冷静さは、社交界では珍しい才覚だ。僅かな沈黙の後、公爵は深く頷いて礼を述べる。傍らでそれを見ていたリーナが、改めてセリナに微笑みかける。

「さすが、セリナ様。いつもきめ細やかなお気遣いをありがとうございます」

 冷たいと噂されていた令嬢に、初めてかもしれない称賛の言葉が向けられた瞬間だった。胸を締めつけられるほど嬉しかったが、同時に複雑な心境が渦巻く。
 馬車が戻る時間が迫っている。夜会も終盤に差し掛かり、レオニス王太子はリーナを伴い、人々の輪を次々と移動していった。その後ろ姿を見送りながら、セリナは胸の内で静かに誓う。

 ――言葉が足りなくても、私には私のやり方がある。誰よりも相手を思い、行動で示すことができるはずだ。

 心に決めたそのとき、燭台の炎がひと際強く揺れ、白い影のように彼女を浮かび上がらせた。言葉にはならぬ静かな決意を胸に、セリナは夜の闇へと歩みを進める。

あなたにおすすめの小説

妹に全てを奪われた私、実は周りから溺愛されていました

日々埋没。
恋愛
「すまないが僕は真実の愛に目覚めたんだ。ああげに愛しきは君の妹ただ一人だけなのさ」  公爵令嬢の主人公とその婚約者であるこの国の第一王子は、なんでも欲しがる妹によって関係を引き裂かれてしまう。  それだけでは飽き足らず、妹は王家主催の晩餐会で婚約破棄された姉を大勢の前で笑いものにさせようと計画するが、彼女は自分がそれまで周囲の人間から甘やかされていた本当の意味を知らなかった。  そして実はそれまで虐げられていた主人公こそがみんなから溺愛されており、晩餐会の現場で真実を知らされて立場が逆転した主人公は性格も見た目も醜い妹に決別を告げる――。  ※本作は過去に公開したことのある短編に修正を加えたものです。

殿下に寵愛されてませんが別にかまいません!!!!!

さら
恋愛
 王太子アルベルト殿下の婚約者であった令嬢リリアナ。けれど、ある日突然「裏切り者」の汚名を着せられ、殿下の寵愛を失い、婚約を破棄されてしまう。  ――でも、リリアナは泣き崩れなかった。  「殿下に愛されなくても、私には花と薬草がある。健気? 別に演じてないですけど?」  庶民の村で暮らし始めた彼女は、花畑を育て、子どもたちに薬草茶を振る舞い、村人から慕われていく。だが、そんな彼女を放っておけないのが、執着心に囚われた殿下。噂を流し、畑を焼き払い、ついには刺客を放ち……。  「どこまで私を追い詰めたいのですか、殿下」  絶望の淵に立たされたリリアナを守ろうとするのは、騎士団長セドリック。冷徹で寡黙な男は、彼女の誠実さに心を動かされ、やがて命を懸けて庇う。  「俺は、君を守るために剣を振るう」  寵愛などなくても構わない。けれど、守ってくれる人がいる――。  灰の大地に芽吹く新しい絆が、彼女を強く、美しく咲かせていく。

侯爵家のお飾り妻をやめたら、王太子様からの溺愛が始まりました。

二位関りをん
恋愛
子爵令嬢メアリーが侯爵家当主ウィルソンに嫁いで、はや1年。その間挨拶くらいしか会話は無く、夜の営みも無かった。 そんな中ウィルソンから子供が出来たと語る男爵令嬢アンナを愛人として迎えたいと言われたメアリーはショックを受ける。しかもアンナはウィルソンにメアリーを陥れる嘘を付き、ウィルソンはそれを信じていたのだった。 ある日、色々あって職業案内所へ訪れたメアリーは秒速で王宮の女官に合格。結婚生活は1年を過ぎ、離婚成立の条件も整っていたため、メアリーは思い切ってウィルソンに離婚届をつきつけた。 そして王宮の女官になったメアリーは、王太子レアードからある提案を受けて……? ※世界観などゆるゆるです。温かい目で見てください

愛しい義兄が罠に嵌められ追放されたので、聖女は祈りを止めてついていくことにしました。

克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。  グレイスは元々孤児だった。孤児院前に捨てられたことで、何とか命を繋ぎ止めることができたが、孤児院の責任者は、領主の補助金を着服していた。人数によって助成金が支払われるため、餓死はさせないが、ギリギリの食糧で、最低限の生活をしていた。だがそこに、正義感に溢れる領主の若様が視察にやってきた。孤児達は救われた。その時からグレイスは若様に恋焦がれていた。だが、幸か不幸か、グレイスには並外れた魔力があった。しかも魔窟を封印する事のできる聖なる魔力だった。グレイスは領主シーモア公爵家に養女に迎えられた。義妹として若様と一緒に暮らせるようになったが、絶対に結ばれることのない義兄妹の関係になってしまった。グレイスは密かに恋する義兄のために厳しい訓練に耐え、封印を護る聖女となった。義兄にためになると言われ、王太子との婚約も泣く泣く受けた。だが、その結果は、公明正大ゆえに疎まれた義兄の追放だった。ブチ切れた聖女グレイスは封印を放り出して義兄についていくことにした。

婚約破棄された私は、号泣しながらケーキを食べた~限界に達したので、これからは自分の幸せのために生きることにしました~

キョウキョウ
恋愛
 幼い頃から辛くて苦しい妃教育に耐えてきたオリヴィア。厳しい授業と課題に、何度も心が折れそうになった。特に辛かったのは、王妃にふさわしい体型維持のために食事制限を命じられたこと。  とても頑張った。お腹いっぱいに食べたいのを我慢して、必死で痩せて、体型を整えて。でも、その努力は無駄になった。  婚約相手のマルク王子から、無慈悲に告げられた別れの言葉。唐突に、婚約を破棄すると言われたオリヴィア。  アイリーンという令嬢をイジメたという、いわれのない罪で責められて限界に達した。もう無理。これ以上は耐えられない。  そしてオリヴィアは、会場のテーブルに置いてあったデザートのケーキを手づかみで食べた。食べながら泣いた。空腹の辛さから解放された気持ちよさと、ケーキの美味しさに涙が出たのだった。 ※本作品は、少し前に連載していた試作の完成版です。大まかな展開や設定は、ほぼ変わりません。加筆修正して、完成版として連載します。 ※カクヨムにも掲載中の作品です。

婚約破棄を兄上に報告申し上げます~ここまでお怒りになった兄を見たのは初めてでした~

ルイス
恋愛
カスタム王国の伯爵令嬢ことアリシアは、慕っていた侯爵令息のランドールに婚約破棄を言い渡された 「理由はどういったことなのでしょうか?」 「なに、他に好きな女性ができただけだ。お前は少し固過ぎたようだ、私の隣にはふさわしくない」 悲しみに暮れたアリシアは、兄に婚約が破棄されたことを告げる それを聞いたアリシアの腹違いの兄であり、現国王の息子トランス王子殿下は怒りを露わにした。 腹違いお兄様の復讐……アリシアはそこにイケない感情が芽生えつつあったのだ。

「嫌われ者の公爵令嬢は神の愛し子でした。愛し子を追放したら国が傾いた!? 今更助けてと言われても知りません」連載版

まほりろ
恋愛
 公爵令嬢のアデリナ・ブラウフォードの人生は実母の死後大きく変わった。  公爵は妻の葬儀が終わって間をあけず再婚。公爵と後妻の間には、再婚前に作った子供までいた。  アデリナは継母と異母妹に私物を奪われ、「離れ」と名ばかりの小屋に押し込められる。  腹違いの妹はアデリナを悪者に仕立て、周囲はそれを信じた。  本来ならアデリナの味方にならなくてはならない婚約者の王太子も、異母妹の魅力に骨抜きにされ全く頼りにならない。  学園の教師も、生徒も、生徒の保護者も王太子と異母妹の味方だ。    そんなアデリナにも唯一の味方がいる。それはトカゲのクヴェル。クヴェルは美少年に変身し、家事も炊事も裁縫も完璧にこなす不思議な存在だ。  実はクヴェルはこの国の建国に携わる水竜で、アデリナは三百年前に水竜を救った初代女王の生まれ変わりだったのだ。  アデリナを蔑ろにする国に嫌気がさしたクヴェルは、アデリナを連れて旅に出る。  神に去られた国は徐々に荒廃していき……。  一方その頃、祖国の荒廃を知らないアデリナはクヴェルとのグルメ旅を満喫していた。  「ん~~! このアップルパイは絶品! 紅茶も美味しい!!」 ・人外×人間、竜×人間。 ・短編版は小説家になろう、pixivにもアップしています。 ・長編版を小説家になろうにも投稿しています。小説家になろう先行投稿。 「Copyright(C)2025-まほりろ」 ※タイトル変更しました(2025/05/06) ✕「卒業パーティーで王太子から婚約破棄された公爵令嬢、親友のトカゲを連れて旅に出る〜私が国を出たあと井戸も湖も枯れたそうですが知りません」 ✕「嫌われ者の公爵令嬢は国外追放を言い渡される。私が神の祝福持ちだと王家が気付いた時には国の崩壊が始まっていました」 ◯新タイトル「嫌われ者の公爵令嬢は神の愛し子でした。愛し子を追放したら国が傾いた!? 今更助けてと言われても知りません」 ・2025年5月16日HOTランキング2位!  ありがとうございます! ※表紙イラストは猫様からお借りしています。

婚約を破棄され辺境に追いやられたけれど、思っていたより快適です!

さこの
恋愛
 婚約者の第五王子フランツ殿下には好きな令嬢が出来たみたい。その令嬢とは男爵家の養女で親戚筋にあたり現在私のうちに住んでいる。  婚約者の私が邪魔になり、身分剥奪そして追放される事になる。陛下や両親が留守の間に王都から追放され、辺境の町へと行く事になった。  100キロ以内近寄るな。100キロといえばクレマン? そこに第三王子フェリクス殿下が来て“グレマン”へ行くようにと言う。クレマンと“グレマン”だと方向は真逆です。  追放と言われましたので、屋敷に帰り準備をします。フランツ殿下が王族として下した命令は自分勝手なものですから、陛下達が帰って来たらどうなるでしょう?