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「っ、あなた」
「しいら殿……?」


 人気のない聖宮の奥まったところまで来てしまったしいらは、そこで誰かにぶつかった。だが顔を上げて見えた金の髪に、また腹の底が一気に冷えていくのを感じた。その人物の隣に立っていたルーヴェの姿に気付かないほどに。


「こんな場所で何を……。それより、近頃の聖宮の重い空気は貴女が原因だと聞きました。一体どういうつもりなのですか」
「ガトリン殿、彼女を責めるのはやめてください……!」


 顔を合わせれば、ガトリンはいつもしいらを責めた。あれができていない、これができていない、それが足りていない、と。
 もううんざりだった。全てを捨てて身軽になった彼女は、ヤケクソになりながらガトリンを睨みつけた。


「なん、ですか、その目は」
「何度も何度も上から目線で指図してきて、逃げたあんたにそんなこと言われる筋合いはない」
「……!」


 その反応は明らかに図星だった。
 ガトリンは逃げ出したのだ。今のしいらと同じように。

 なぜ初対面で彼女と反りが合わないと思ったのか。答えは単純だった。
 同族嫌悪。苦難を前に逃げた者同士、だった。


「そんなに私が気に入らないなら、もう一回あんたが聖女やってよ。私はもう、できない、聖女なんて無理、もうここにはいられない」
「何を無責任なことを……!」
「あんたが聖女を辞めてなければ、私は死ねて楽になれたのに!」
「……死ねた、ですって……」


 しいらの口から出てきた言葉に、ガトリンは驚いたような顔をする。そしてどういうことかと隣にいるルーヴェの方を見た。
 けれどそれすらもどうでもよくて、しいらは最後の本心を、弱々しく言葉にした。


「あんたが聖女を、辞めなかったら……私がナシラのこと、好きになることも、なかったのに……」
「…………」


 崩れ落ちるしいらの肩をルーヴェが受け止める。そしてガトリンは彼女の悲痛な叫びに強く唇を噛んで、同じように俯いていた。


「そう先代を責めるな、メレフよ」


 遠くから聞こえてくる声に、しいらはゆっくりと視線を上げた。
 そこに立っていたのはガレアノだ。だがいつもは胡散臭いほどに優しい笑みを浮かべているというのに、そのときは難しそうな顔をしていた。


「やれやれ、今回も聖女の方が先に潰れるとは。存外、うまくいったと思っておったんだが」
「ガレアノ様、しいら殿を侮辱するような言葉はお控えください。いくら貴方でも見過ごせません」


 厳しい口調でルーヴェはガレアノを諌めようとするも、その老人が口を閉じることはなかった。忠告など無視して、じっとしいらを見つめている。


「だがメレフよ、まだお前にナシラへの情は残っているのだな? ならば、お前が知りたがっていたことを教えてやろうではないか」
「知りたがっていた、こと……?」


 その言葉を聞いたガトリンはさっと顔を青くする。そして慌てた様子でしいらを庇うように立った。


「おやめくださいガレアノ様、彼女にこれ以上重荷を背負わせるのは……!」
「いや、背負ってもらわねばならん。たとえ滅びる運命だったとしても、穏やかな時間というものは必要だ。そう、アイゴケロースの民にはな」


 突拍子のない言葉の数々に、しいらは思考停止する。
 滅びる運命。アイゴケロースの人々。それを背負うのが、聖女の役目だというのか。


「ルーヴェ、お前も知らなかっただろうが……今お前たちがナシラと呼んでいる者、あれは本物のナシラ・アルシャフトではない」
「なに、を……」


 しいらもルーヴェも、自分の耳を疑った。だがガトリンだけは、顔を青くして俯いていた。


「あれは英雄の複製じゃ。四番目の複製体、それが今のナシラ・アルシャフト」
「では、本物のナシラは、どこに……」


 咄嗟に出たルーヴェの問いに、ガトリンは息を呑む。それを一瞥しながら、ガレアノは言った。


「本物のナシラ・アルシャフト……オルトスは一年以上前に死んでおる」
「……え?」


 英雄の複製体。そして、本当の英雄の死。
 その言葉からしいらは理解してしまう。破滅の運命がどういう意味なのか、なぜ複製なんてものが作られたのかを。


「救国の英雄などというものは、とっくにこの世に存在しないのだ」


 この世界は英雄が死に絶えた世界だということを。




13 了
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