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10-05 欠けた英雄譚

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 演劇の内容はやはりかなり脚色されている。物語は戦争の機運が高まる王国に流浪の神族が現れ、宮宰の信頼を得ながら最後は大戦で敵国の原初の神族を倒す、という簡潔な筋だ。それを見ながらセーリスはヘニルと出会った時からその後のことを順繰りに思い出していく。

 酒場で何度も勧誘して、ようやく了承して貰えたかと思えば処女を差し出すことになった。仕官できたものの真っ先にデルメルの機嫌を取るために代償を払えと迫られ、その後もなし崩し的に身体を重ねた。訓練させるためだったり、彼の喧嘩っ早さを抑えるためだったり、身勝手に会いに来るのを制限して、魔術研究にも付き合わせた。本当にいろいろあったのだ。

 そんな回想をしていると、やはり彼女の記憶と演劇との大きな違いが目に付いてしまう。
 気になる点はやはり、ヘニルが最早別人レベルのただの良い人になっていることだろう。更に彼に大きく関わっていたはずのセーリスの姿は、最後の大団円のワンシーンまで影も形もない。

 これはヘニルは怒るかもしれない。いつ彼が暴れ出すかと冷や冷やしながら、セーリスは演劇が終わるのをじっと待った。



 ……



 英雄本人がその場にいると興奮する衆目に晒されながらも無事に閉演した劇場を抜け出し、二人は帰路に着く。案の定演劇の内容に大層不満を抱えたヘニルの機嫌はよろしくない。
 セーリスとしては、彼が劇場を出るまでお行儀良くできたことの方が演劇の内容よりも驚きだったが。


「そんなに拗ねないの。脚色が強かったけど、十分面白かったでしょ」
「面白いとか面白くないとかそういう問題じゃありませんよ、セーリス様」


 何がそんなに気に入らなかったのかと、そうセーリスは問いかける。ついでに城門の兵に挨拶をして、そのまま庭園を抜けて王城内へと進んでいく。


「だって! あんな風にセーリス様の影めっちゃ薄くされたら、噂程度しか知らない奴らはきっとセーリス様が俺に惚れたみたいに思うじゃないですか。先に好きになって、夢中になったのは俺の方なのに」
「あ、そこなんだ」
「大事です! 姫様はあんなテンプレ英雄に惚れるような方じゃないです解釈違いです。っていうか俺が姫様に振り向いてもらうためにどれほど苦労したか……ぶっちゃけテュールを仕留めるよりも難しかったんですよ!?」
「そ、そんなに……」


 そう言われれば確かに、ヘニルのあの苦労は理解されて然るべきだろう。といっても、やっていたことは正直健全とは到底言えないようなことなので、それを演劇に反映させろというのはどう考えても無理な話だとは思うのだが。


「俺の人生語ろうと思えば、もう九割はセーリス様が関わってくるんです。だからほんと、あの取ってつけたようなセーリス様の扱いだけは絶対許せません」
「ふふ、そうね」


 素直に怒りを表現してくるヘニルに、彼女は笑みを浮かべる。それほど自分のことを大事に想ってくれているのだと実感できて、なんだか胸が暖かくなる。


「それに……怒ってるのはそれだけじゃありません。実はあの演劇、一度デルメル様から内容確認しろって俺のところに脚本が来た時があるんです」
「そ、そうだったの……!?」
「はい。でもそん時はほんと全然興味なくて、長文読むのも面倒だったんでどうでもいいって突っぱねちゃったんです。ほんと、デルメル様に文句言うのも筋違いですよね、今めっちゃ後悔してます」


 今となってはもっとしっかり目を通して文句を言っていれば良かったと、そうヘニルは愚痴を口にした。いざ目の当たりにした演劇は彼にとって相当ショックなものだったのだろう。完全に落ち込んでいる様子のヘニルに、セーリスは何と声をかけていいか悩む。既に公演されてしまっているものなのだから、今更やっぱり内容を変える、というのは難しいだろう。
 これもしっかりと解決策を探しておこうと心に留め、足を止めると慰めるように彼の頬を撫でてやる。


「元気出して。私もなんとかできないか考えてみるから」
「いや、セーリス様のお手を煩わせるほどのことじゃ……」
「いいの、私がそうしたいと思ってるだけだから」


 そう念を押せばヘニルは渋々と頷く。これは今度念入りに慰めてやらねばなと、そうセーリスは思った。


「(その前に追い討ちかけるように悪いことが起こらないといいんだけど)」
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