最後の女王‐暗殺兵クロスフィルとテレシア女王による命の賭け。メアネル王家最後の血は誰に注がれる?王の時代の最終章‐【長編・完結】

草壁なつ帆

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一刻を争う決断

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 海のうねりを思い出す。レーベ海よりも穏やかな海で、静かな朝だった。気晴らしの旅行だと連れられて、知らない別荘の寝室から海は真下にあったんだ。
 何かの音で眠りから覚めて、目だけで部屋を見回したらそこに母の姿を見た。寝返りをしたりあくびをしたりして、起き上がったら誰も居なくなっていた。
 海の波がチャプチャプと鳴る音と、ベランダのカーテンが揺らす潮風だけがそこにある。
 死んじゃったのかな。なんて少し思った。母は父から道具以下の価値だって常々罵倒を浴びている。そりゃあこんな世界で生きていたって幸せなんてない。
 ひとりになった寝室で、次は駆け回る使用人たちの騒がしさで目が覚めた。使用人にシーツを剥がされて、冷たい足でベランダに出る。
 そこから一緒に海を見下ろしたけど、朝日を映してキラキラと輝くだけだ。向こうの浜辺には何人か散歩する人が見える。犬を連れていたり、並んで座って飲み物を飲んでいたり。
 誰が今死ぬとか、誰が今不幸だとか。そんなものは考えなくても良いんだなって、俺はその時に知ったんだろうな。
 だけど、そう思うようになってから人は離れていく。父だけはやけに嬉しそうな顔をしていたが。
『お前の母親は、お前に良い教訓を残していったようだ』
 初めてそれで頭を撫でられた。
「はぁ……」
 潮の匂いはしないものの、あの日みたいにカーテンは風になびいている。目覚めの悪い朝だ。嫌なことを思い出した……。


 タバコの匂いが染みつく部屋で、俺は起き上がる気になれずベッドの上で横になっている。任務失敗で帰還することに苛立つ気力も残っていない。どうせ戻るならセルジオ城じゃなくって、嫌な記憶が残ったあの別荘にするべきだったか。
「……」
 海に飛び込んだところでどうなる。アスタリカ軍勢が全員死ぬわけでもないだろ。
 うねる海の想像に重なるのは母の面影だけじゃなく。黄金色の髪と紫の布地も付いてきた。なんで女は海に飛び込みたがるんだ。
 するとノックが鳴る。俺のことを呼びにきた若い兵士だ。
「早いな」
 休息する時間も与えてくれない。
 俺が自分で上体を起こすと、兵士は俺のところにやってきて、ひたいのガーゼを取った。そこに冷たい消毒液をかけて、あとはクリームかパウダーか傷隠しの化粧を施してくれる。
「アルマンダイト様がお待ちです」
「はいはい……」
 手足が痛む体で起き上がると、兵士が先に部屋を出て俺の道案内をしてくれるらしい。そこまでして俺が逃げ出さないように手を回している。
 道中の廊下にも等間隔に見張りの兵士を置いていた。横道に入れるところにも若手の兵士が立っている。
 真っ直ぐに王間に来いということだ。セルジオの王が、いかに人間を信用していないかが丸見えだな。道草の小花を飾っている古屋敷の廊下とは大違い過ぎて笑けてくる。
 敵に探られないよう王間は廊下の途中にある。決して突き当たりの大きな部屋じゃない。なんでもない小さな書斎を二つ三つ経由してから、そこに俺の父アルマンダイトが居座っている。
 ノックをすると「入れ」と声が掛かった。
 俺は扉を開けた。最も重い扉と厚い壁に覆われた厳重な小部屋。作戦書を入れておく棚と机だけがそこにあり、もちろん窓は無いしシャンデリアを飾るような遊びもしない。
 そんな牢獄みたいな場所に鎮座する王の姿がある。利口に椅子に座って机の上で腕を組んでいる。
「……言い訳をするか?」
 戻った息子にかける一言がそれだ。

「私はお前にメアネル・テレシアを殺せと命令したはずだぞ。潜伏期間を設けたつもりもない。ズレていく予定調整をどうしてくれる。お前はいったい何をやっているんだ」
 王は確実に怒っているが、静かな口調で言い始めた。
 俺に尋問をするなら尋問官にさせるはずなんで、ここでは違う意図があるんだと分かる。残念ながら親子の勘だ。
「……アンタの命令通り、メアネル・テレシアを殺そうと模索してたんですよ」
「ふん、模索だ? 女の首を捻るのになんの模索がいる?」
 冠を被っただけのバカな王なら、自分の思い通りに事が進まないことを怒鳴るだけで気が済むだろうが。この、冠を被っていない王はどこまでも合理的に話を進める。
「安易に殺せない理由を知れたようだな。アレの首を持って来れない代わりに、それを私に献上したいのだろう?」
「……」
「だからお前は私のところに帰って来た。違わないな?」
 奥歯を噛み締めていると、ノックが鳴りディレイトが顔を出した。王に呼ばれて来たらしいが、ここに俺が居ると去ろうとする。しかし王が止めた。
「今から報告を聞くところだ。お前もここに残って聞いておけ。この愚か者がきちんと仕事をしたかどうか見極めろ」
「はい」
 同期のディレイト。王の側まで成り上がったのは良いが、ネザリアでは俺に『王の言うことを聞くな』と告げてきた。そんな人物は王の近くで直立した。
 俺はこの異様さにため息をつき、それから話し始める。
「メアネル・テレシアというより、メアネル家歴代の王が大量の武器と作戦書を残しています。表面的にはニューリアン国民を守るためということになっていそうですけど、あの古典的な家柄です……。根も葉もない随分昔の伝説でも信じているんでしょう」
 もちろん神話に疎いのではこの地で王にはなれない。
「セルジオとの合併を目論んでいるのか」
「いや、むしろセルジオに吸収されるべきと考えてる節もありますけど」
 言ってから、女王が俺にかけた最後の言葉を思い出した。ニューリアンは俺に託すと言っていた、あれだ……。
 王にこれを話したら暗殺計画は違うものになるだろうか。それとも何も変わらないか。
「クロスフィル」
 名前を呼んだのはディレイト。
「言い足りてないことがあるだろ」
「……はぁ。今、言おうとしてたんだよ」
 こいつは俺のこういうところを言い当てる力が昔からある。
「メアネル・テレシアには息子がいるそうです」
「何!?」
「息子と言っても生まれてすぐに孤児に出されてて、親子互いに名前も顔も知りません。テレシア女王の弟かと思った『クロノス』という名前は、その息子が腹の中にいた頃に付けていた呼び名だったらしいです」
 弟の消息についても聞かれた。そっちは生まれてすぐに死んだと話したが、王は「それもどうだか分からないな」と言った。
 新事実として、メアネル家の男子が寿命まで生きる可能性もあるという話を俺からする前だ。王はそもそも、男子が弱く幼いうちに亡くなるという話を根源から怪しんでいたと言う。
 ふっふっふ、と決して楽しくなさそうな笑い声が王から発せられる。
「目障りなニューリアンめ……。やはり何を考えているか分からん。とある伝説を信じているというのも我々への誘い水な可能性もあるな。そこらじゅうに血をばら撒いて何が国民を守るためだ……。ディレイト、お前はどう思う?」
「はい。メアネル王家の子孫、それも王子が国民に紛れているというのは非常に危険です。彼らが自身の地位について無知だという証拠もありません」
「どう対策する?」
「全焼がよろしいかと」
 街、教会、館、王家、貴族、市民。全てを焼き払って無にすれば、ある程度の見通しが効く。
「名案だぞ、ディレイト。しかしニューリアンという土地は無意味に広大だ。いくらでも逃げる道があるだろうな」
「では、外からと内からとで。女王への毒殺未遂が行われているように、こちらからも逃げ足を動けなくする手配をいたしましょう」
 直接的で効果的なやり方は、現セルジオ王の好みに合っている。国ごと封鎖できないのなら、国民を移動させなくすれば良いという鋭い思いつきができるディレイトとは馬が合うみたいだ。
 いっそ、そいつが息子だったら良かったと感じているだろう。俺のことは捨ててもらっても構わないが。俺の親父は『物を大事にする』とよく口にする。
「クロスフィル。いや、クロノスという名前が世間体にはまだ死んでいない」
 王はじっと俺を見た。
「お前の仕事ぶりは残念ながら成功だ。我々は今後もニューリアン殲滅に向かって前進できる。だが、お前の使命を忘れるな? そして本質も改めて刻み直すべきだ」
「本質?」
「そうだ……」
 俺の使命と本質。俺の父親はセルジオ王アルマンダイト。
 メアネル・テレシアを殺害しろ。道具は主人の命令に逆らわない。



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