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Ⅰ.ネザリア・エセルの使命
抜け出してみようか
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堅苦しい会議を終えた俺は、外廊下を一人で歩いており実に開放的であった。
気高い山々に囲まれたこの国は今、短い夏の中にある。好天青空の下、蝶や鳥が元気に飛び回っているのは良いことだ。木々は緑が茂り、垣根はよく手入れされていて丸々している。花壇にも多くの花が咲いており、実に今だけ見られる色のある景色がそこにあった。
庭に目をやり歩いていると、奥にエセルの後ろ姿が見えてきた。彼女はガーデンベンチに座っている。下ろした髪を風にサラサラなびかせていた。
少し足を止めて遠目に眺めると、四角いアーチが景色ごと切り取って絵のようになり美しかった。
背後から向かっていると途中でエセルが俺に気付く。わざわざ立ち上がってくれて深く礼をした。
「王子、おはようございます」
「……おはよう。悪いな呼び出して」
「いいえ、お声をかけていただいて嬉しかったです」
エセルは伏し目のまま静かに言っている。だから喜んでいるようには全く見えない。それに出会い頭に深々頭を下げられるのは妙な気分にさせられた。夫婦間に変な上下関係など築くつもりは毛頭無いのだが、これでは侍女と接しているのかと錯覚してしまいそうだ。
困った俺は鼻を鳴らしている。エセルには、リトゥや侍女に話しかけていたような、気軽な感じでいて欲しいと思うのだが……途端に説得する気力をなくす。
「もう普通にしてくれ」
投げ捨てるように言ってから、そのガーデンベンチにどっかり座った。たぶん疲れていて頭を使いたく無い。
「……普通?」
傍でエセルが呟いていたが気にせずに、俺は一人で久しぶりの外気に浸っている。体の中身を空気中に溶かすような間抜け面を晒していたのだろうが、すぐ隣に衝撃を受けたことで急に気が引き締まった。とろけていた目もパッチリ開いた。
ただならぬ緊張は、エセルが俺の隣にすっぽり座ったことで起こっていた。エセルの肩が俺の腕に当たる距離である。ガーデンベンチは二人掛けだと思うが、生まれて初めて二人で座ってみると意外に狭い。
「よ、良い天気だ」
「ですね」
その後の沈黙に鳥のさえずりがよく聞こえている。
すぐ後ろの外廊下に、世間話をしながら歩く兵士の声まで聞こえてきていた。この良き日柄に男女がガーデンベンチに身を寄せ合っているとは。頼むからその後頭部が俺だと気付かずに過ぎて行ってくれと祈っていた。
兵士は遠のいたようだ。気が抜けると安堵の溜息が出た。それと知らずに軽い愚痴も一緒に吐いた。
「まったく王子というのは肩身が狭いわ」
「……王子なのにですか?」
後から遅れてエセルが遠慮がちに問う。
「ああ。王子であるなら王子らしくしろ。と言うのだ周りが。俺は王子らしく生きる前に、俺が俺らしく生きられることを大事にしたい。お前もそう思う時があるだろう?」
言って横を見ると、俯いていたエセルがほんの小さく頷いていた。俺は再び視線を空の方に戻す。何度見ても今日は見事な晴天だ。
「今日は読書じゃなくて良いのか」
「はい。良い天気ですし外の方が気持ちが良いです」
「なんだ俺はてっきり日光が苦手なのかと思っていた」
「そんなことはありませんよ」
そう聞きながら、クスっと笑う声を初めて耳にした。それにこのように自然な会話をすることも今まで無かったし新鮮であった。
この後もだんだんとエセルとは打ち解けていける。
「そういえば何か用があったんですか?」
「用?」
ぼーっとまた空に溶けて行きそうになっていたが、用と言われてそうだったと思い出す。何も別に彼女に会いたくなってわざわざ呼び出したのでは無い。
「この間のことを謝らないといけないと思ったのだ。色々とその、俺はお前に酷いことを言っただろう? あの後リトゥにもカイセイにも大いに叱られたし、考えてみると反省しなければいけないことだらけであった。だからすまなかった」
「この間のこと……」
本当に悪く思っていて謝罪をした俺であったが、相手の反応はイマイチで思っていたものと違う。ちらっと横目に伺うと、目を細めて記憶を辿っているように見えた。
まさか覚えていないということはあるまい。我ながら割とキツく当たったと思うのだが。
そのうちにエセルは唸りだしたが、やがて何かひとりで頷いた。
「大丈夫です。気にしていないですよ」
「いや、覚えていないんだろう」
すかさず言うと、エセルはまた目を細めて宙を見ている。
「覚えていないなら別に無理に思い出さんでも」
「いいえ。きっと大事なことだと思うので。あともう少しで思い出せそうな」
そこまで言ってハッとなり、エセルは顔を赤くした。
俺は隣で驚いているばかりであった。
「城の暮らしは楽しくないだろう」
嫁ぎ先でそんなことを聞かれて、はい。と答えられるなら大したものである。もちろんエセルは黙っていた。
「ああ、でもお前はあっちでも本ばかり読んでいたのか?」
しれっとネザリアでの生活について触れてみる。
「あちらでは本を読む時間があまりありませんでした。父や姉達と同伴することが多かったのでほとんど外出で」
エセルは別に拒む様子もなく答えてくれた。やっぱりエセルはネザリアの姫で間違いないじゃないか! いったい誰が娘だの策士だの言っていた?! と、頭の中で声がする。
「そうか。まあでも城の中に閉じこもっているより、外に出る方が国のことが分かるし良い事だと思うぞ」
言いながら思いつく。
「そう言えばお前は夜のうちに到着したのであったな。暗闇で町の様子とかは見れなかっただろう」
エセルは頷いた。ならば見せてやるに決まりだ。
「抜け出してみようか」
「えっ?」
「せっかくの出掛け日和だしな。ちょっと遠くまで行こう」
俺は立ち上がって背伸びついでに軽く準備運動を始めた。エセルが戸惑っているのはごくごく自然な反応である。いけませんよと言われれば残念ながら置いていくことになるが、後からエセルもおずおずとガーデンベンチから立ち上がっている。
「秘密の抜け道があるのだ。まあ秘密と言っても黙認されているとは思うがな」
「勝手に抜け出して怒られたりしないんですか?」
聞かれて俺は愉快に笑った。
「そりゃあバレたら怒られるな。その時は、もうしませんと言えば良い」
これにエセルもまたクスっと笑っている。
俺たちは散策を模して花のアーチをくぐり、花壇の傍で身を寄せた。レンガ造りの花壇に、赤や黄色の小花を付けた低い植木が配列されているが、それを見るフリをしてエセルにはさらに奥の方を見させる。
拓けた場所の突き当りに、白幹の樹木が等間隔に並んでおり壁のようになっている。さらにその足元は、手入れされていない垣根が生えっぱなしの茂みと化しているのだ。
「あの裏に小川があって町に続いている。そこまで行けばあとは道なりだ」
エセルはコクリと頷く。
ただし今度は別方向を見させると、エセルは少し肩を震わせた。
数個ある城の玄関口のメインにあたる所がここから隣接している。石畳が敷かれた車道があり、立派な屋根を構えた玄関口だ。大事な来客があった場合や、俺たちが出発する際にはよく利用する場所である。そのため兵士が常にうろついている。
すでにこの時も、二人ほど見張りで立っていた。
「いいか。あいつらがこっちを見ていない隙に茂みの裏へ走るぞ」
「だ、大丈夫でしょうか」
ここで怖気づいている暇は無く、俺は懐中時計を確認した。
秒針を目で追っている。案外丁度良い時間であった。
「……一瞬だからな」
秒針が下から上へ向かい、何回目かのてっぺんにぴったり合うと、遠くの方で時刻を知らせる鐘がカランコロン鳴り出した。町にある時計台の音である。
鐘が鳴る中、兵士がひとりふたりと城の中に戻りだす。
「行くぞ」
俺のあとにエセルが続き、無事に茂みの方へ渡りきる。その生い茂ったところには一箇所開いたところが隠れているのだ。俺が幼いときから広げておいたところがな。そこへ入ると周りは森のようになっていて、すぐ足元に水の流れがあり泥濘んでいる。
「簡単だっただろ?」
「はい! ドキドキしました」
今まで見たことのない明るい表情で返していた。
滑らないよう着実に足を置いて歩き、やがて頭上に巨大な天井が現れる。これは川にかかる石橋の底である。その先、そろそろ町に入った辺りで階段を上がって道に出た。
気高い山々に囲まれたこの国は今、短い夏の中にある。好天青空の下、蝶や鳥が元気に飛び回っているのは良いことだ。木々は緑が茂り、垣根はよく手入れされていて丸々している。花壇にも多くの花が咲いており、実に今だけ見られる色のある景色がそこにあった。
庭に目をやり歩いていると、奥にエセルの後ろ姿が見えてきた。彼女はガーデンベンチに座っている。下ろした髪を風にサラサラなびかせていた。
少し足を止めて遠目に眺めると、四角いアーチが景色ごと切り取って絵のようになり美しかった。
背後から向かっていると途中でエセルが俺に気付く。わざわざ立ち上がってくれて深く礼をした。
「王子、おはようございます」
「……おはよう。悪いな呼び出して」
「いいえ、お声をかけていただいて嬉しかったです」
エセルは伏し目のまま静かに言っている。だから喜んでいるようには全く見えない。それに出会い頭に深々頭を下げられるのは妙な気分にさせられた。夫婦間に変な上下関係など築くつもりは毛頭無いのだが、これでは侍女と接しているのかと錯覚してしまいそうだ。
困った俺は鼻を鳴らしている。エセルには、リトゥや侍女に話しかけていたような、気軽な感じでいて欲しいと思うのだが……途端に説得する気力をなくす。
「もう普通にしてくれ」
投げ捨てるように言ってから、そのガーデンベンチにどっかり座った。たぶん疲れていて頭を使いたく無い。
「……普通?」
傍でエセルが呟いていたが気にせずに、俺は一人で久しぶりの外気に浸っている。体の中身を空気中に溶かすような間抜け面を晒していたのだろうが、すぐ隣に衝撃を受けたことで急に気が引き締まった。とろけていた目もパッチリ開いた。
ただならぬ緊張は、エセルが俺の隣にすっぽり座ったことで起こっていた。エセルの肩が俺の腕に当たる距離である。ガーデンベンチは二人掛けだと思うが、生まれて初めて二人で座ってみると意外に狭い。
「よ、良い天気だ」
「ですね」
その後の沈黙に鳥のさえずりがよく聞こえている。
すぐ後ろの外廊下に、世間話をしながら歩く兵士の声まで聞こえてきていた。この良き日柄に男女がガーデンベンチに身を寄せ合っているとは。頼むからその後頭部が俺だと気付かずに過ぎて行ってくれと祈っていた。
兵士は遠のいたようだ。気が抜けると安堵の溜息が出た。それと知らずに軽い愚痴も一緒に吐いた。
「まったく王子というのは肩身が狭いわ」
「……王子なのにですか?」
後から遅れてエセルが遠慮がちに問う。
「ああ。王子であるなら王子らしくしろ。と言うのだ周りが。俺は王子らしく生きる前に、俺が俺らしく生きられることを大事にしたい。お前もそう思う時があるだろう?」
言って横を見ると、俯いていたエセルがほんの小さく頷いていた。俺は再び視線を空の方に戻す。何度見ても今日は見事な晴天だ。
「今日は読書じゃなくて良いのか」
「はい。良い天気ですし外の方が気持ちが良いです」
「なんだ俺はてっきり日光が苦手なのかと思っていた」
「そんなことはありませんよ」
そう聞きながら、クスっと笑う声を初めて耳にした。それにこのように自然な会話をすることも今まで無かったし新鮮であった。
この後もだんだんとエセルとは打ち解けていける。
「そういえば何か用があったんですか?」
「用?」
ぼーっとまた空に溶けて行きそうになっていたが、用と言われてそうだったと思い出す。何も別に彼女に会いたくなってわざわざ呼び出したのでは無い。
「この間のことを謝らないといけないと思ったのだ。色々とその、俺はお前に酷いことを言っただろう? あの後リトゥにもカイセイにも大いに叱られたし、考えてみると反省しなければいけないことだらけであった。だからすまなかった」
「この間のこと……」
本当に悪く思っていて謝罪をした俺であったが、相手の反応はイマイチで思っていたものと違う。ちらっと横目に伺うと、目を細めて記憶を辿っているように見えた。
まさか覚えていないということはあるまい。我ながら割とキツく当たったと思うのだが。
そのうちにエセルは唸りだしたが、やがて何かひとりで頷いた。
「大丈夫です。気にしていないですよ」
「いや、覚えていないんだろう」
すかさず言うと、エセルはまた目を細めて宙を見ている。
「覚えていないなら別に無理に思い出さんでも」
「いいえ。きっと大事なことだと思うので。あともう少しで思い出せそうな」
そこまで言ってハッとなり、エセルは顔を赤くした。
俺は隣で驚いているばかりであった。
「城の暮らしは楽しくないだろう」
嫁ぎ先でそんなことを聞かれて、はい。と答えられるなら大したものである。もちろんエセルは黙っていた。
「ああ、でもお前はあっちでも本ばかり読んでいたのか?」
しれっとネザリアでの生活について触れてみる。
「あちらでは本を読む時間があまりありませんでした。父や姉達と同伴することが多かったのでほとんど外出で」
エセルは別に拒む様子もなく答えてくれた。やっぱりエセルはネザリアの姫で間違いないじゃないか! いったい誰が娘だの策士だの言っていた?! と、頭の中で声がする。
「そうか。まあでも城の中に閉じこもっているより、外に出る方が国のことが分かるし良い事だと思うぞ」
言いながら思いつく。
「そう言えばお前は夜のうちに到着したのであったな。暗闇で町の様子とかは見れなかっただろう」
エセルは頷いた。ならば見せてやるに決まりだ。
「抜け出してみようか」
「えっ?」
「せっかくの出掛け日和だしな。ちょっと遠くまで行こう」
俺は立ち上がって背伸びついでに軽く準備運動を始めた。エセルが戸惑っているのはごくごく自然な反応である。いけませんよと言われれば残念ながら置いていくことになるが、後からエセルもおずおずとガーデンベンチから立ち上がっている。
「秘密の抜け道があるのだ。まあ秘密と言っても黙認されているとは思うがな」
「勝手に抜け出して怒られたりしないんですか?」
聞かれて俺は愉快に笑った。
「そりゃあバレたら怒られるな。その時は、もうしませんと言えば良い」
これにエセルもまたクスっと笑っている。
俺たちは散策を模して花のアーチをくぐり、花壇の傍で身を寄せた。レンガ造りの花壇に、赤や黄色の小花を付けた低い植木が配列されているが、それを見るフリをしてエセルにはさらに奥の方を見させる。
拓けた場所の突き当りに、白幹の樹木が等間隔に並んでおり壁のようになっている。さらにその足元は、手入れされていない垣根が生えっぱなしの茂みと化しているのだ。
「あの裏に小川があって町に続いている。そこまで行けばあとは道なりだ」
エセルはコクリと頷く。
ただし今度は別方向を見させると、エセルは少し肩を震わせた。
数個ある城の玄関口のメインにあたる所がここから隣接している。石畳が敷かれた車道があり、立派な屋根を構えた玄関口だ。大事な来客があった場合や、俺たちが出発する際にはよく利用する場所である。そのため兵士が常にうろついている。
すでにこの時も、二人ほど見張りで立っていた。
「いいか。あいつらがこっちを見ていない隙に茂みの裏へ走るぞ」
「だ、大丈夫でしょうか」
ここで怖気づいている暇は無く、俺は懐中時計を確認した。
秒針を目で追っている。案外丁度良い時間であった。
「……一瞬だからな」
秒針が下から上へ向かい、何回目かのてっぺんにぴったり合うと、遠くの方で時刻を知らせる鐘がカランコロン鳴り出した。町にある時計台の音である。
鐘が鳴る中、兵士がひとりふたりと城の中に戻りだす。
「行くぞ」
俺のあとにエセルが続き、無事に茂みの方へ渡りきる。その生い茂ったところには一箇所開いたところが隠れているのだ。俺が幼いときから広げておいたところがな。そこへ入ると周りは森のようになっていて、すぐ足元に水の流れがあり泥濘んでいる。
「簡単だっただろ?」
「はい! ドキドキしました」
今まで見たことのない明るい表情で返していた。
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