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Ⅰ.ネザリア・エセルの使命
彼女の趣向1
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「エセル、いるか?」
書物庫の扉をノックし、押し開けると鍵はかかっていない。
扉の動きによって空気が掻き乱され、中ではすぐに埃が舞い上がっていた。しかしその中にエセルが座っている。
この日は二人で会う約束の無い日であった。突然の訪問に彼女は驚いているようで固まっていた。
「どうかしたか?」
「い、いえ。何でもありません」
見るからに焦っているようであるが。何の気無しにエセルの前を通って行く。
彼女が持っている逆さになった本に一瞬目が行くも、平然たる態度で俺の定位置に座った。一番陽の当たりが良い出窓だ。
落ち着いてエセルを見ると、手に持っていた本の向きをこっそり修正したようだった。
たぶん俺が座るところのほこりを散らしているうちにエセルが自分で気付いたのだろう。
「今日は何の本を読んでいるんだ?」
「りょ、料理の本を」
エセルは小さな声で答えた。確かにその手に持っている本の表題は料理に関するようであるな。
「じゃあ、その尻の下に敷いているのは何の本なんだ」
俺が言うと、エセルはますます硬直した。
さすがに俺から取り上げるのは難しいので、スカートから覗いているところを指さしている。
「これ……ですか……?」
「ああそれだ」
エセルは恐る恐るその本を抜き取った。そして大事そうにそれを両手に抱える。
俺は突然ピンときた。
「……お前まさか! それを盗もうとしたわけでは」
「ありません! 絶対に!!」
「冗談だ。何も疑っていない」
顔を赤くして首を振るエセルに、俺は手の平を差し出す。その本を貸せという意味でだ。
エセルはそれを汲み取っておずおずと手を伸ばしてくれた。
古本を受け取った俺は「へえ」とじっくり眺め、やけに飾り気のない表紙からぺらぺらめくってみる。
「女性好みとは思えん」
表題は古い言語で書いてある。それなりの学力があれば読めるだろうが。
「薬師論考……論文か?」
中身をペラペラとめくるとやっぱり論文である。
かの昔の医療研究者がまとめたもののようだが、軽く目を通してみると割と最近の情報が綴られていて変だと思った。
「誰が書いた本だ?」
「エーデン博士です」
エセルが答えた。
その名を聞いた俺は驚きのあまり固まった。急いで裏紙をめくり著者を確認してみると『エーデン・ロヴェルト』と確かに書いてある。
「じ、実は私この方のファンで……一冊だけ手元にあったのですがこの国の出身だと聞いて探して……ま、まさか続編があるだなんて私嬉しくて……!」
珍しくよくよく語る口であった。その後もこのエーデン博士の事や本の事など、聞かなくても随分話してくれた。
それに続編という言葉が出た。この表題に続く数字が部数を表しているなら、もう7部も作っていることになる。
「7部で終わりか?」
「え? まだ半分くらいありますよ」
エセルは素っ頓狂な顔で答えた。俺はいよいよ腹を抱えて大笑いをする。
「エセル、ちょっとついて来てくれ」
愉快ついでに俺は良いこと思い付いて書物庫を足早に出た。
「あ、あの」
廊下に出てこないエセルは自分が何か罰せられるのではないかと思ったらしい。
「早う来い」
「はい……」
この建物には一箇所だけ別館と繋がる場所があるのだ。
廊下の突き当りで出くわす両開きの扉。一人の衛兵が門番として立っていた。
俺から事情を軽く伝えると衛兵は扉を押し開ける。そこをくぐると反対側にも門番の衛兵が立っており、こちらに敬礼をした。
歩きながらエセルには説明をしておく。
「この扉は特別なものでこの衛兵しか開けられない。さっき俺たちがいた場所は宮廷だ。皇族の部屋や職場なんかがある。で、今入ったこちら側の館は研究者たちが仕事をするところだ。館の者が宮廷へ入るのは基本的に禁止されている」
エセルはすぐ後ろを歩きながらキョロキョロと見回していたようだ。
「わかったか?」
「はい」
扉を介するだけで廊下の雰囲気やにおいが急に変わる。宮廷の侍女はこちらでは仕事をしないからな。
窓のサッシに埃が黒くこびりついているし、床板には何かの液体が垂れた染みが、道標みたく点々とあった。
掃除する者がいなければいつでも汚れているのだ。
「こっちの方が広いからな。迷子になると面倒だぞ」
言うとエセルは周りを眺めるのを諦めて、俺に付いてくるのに徹した。
そのまま道を曲がったり階段を降りたりしながら行き、俺はあるドアの前で立ち止まった。
「ここだ」
「……ここですか」
特段変わったところは無い。ここに来るまでに何十も見てきたのと同じ扉である。
エセルがいつまでも不安がっているのは中に居る者と対面すれば解決だ。
早速会わせてやろうと俺は弾む心でノックをする。ちなみにこの部屋をこんなにワクワクしてノックをしたことは無い。生涯最後だと断言しよう。
……予想通り室内からの返事は貰えない。中から物音すら聞こえてこなかった。小窓も無いので様子を確認することも出来ない。
もう一度ノックをしたところで「お留守でしょうか」とエセルは傍で言った。
いいや、そんなはずは無いと俺は知っている。
中に向かって俺は声を掛ける。
「俺だ。決着をつけに来た」
しばらく無音だったが、やがて声が返ってきた。
「お入りなさい」
にやけた顔をエセルに見せて俺は扉を開けた。
中は小さな部屋だ。どこもかしこも紙が散らばっていて、踏み場に困るような部屋である。
書斎机の上もまた大惨事だ。だがチェス盤だけは物が当たらぬよう綺麗に避けられてある。
目当ての人物は机の影からぬるりと現れた。まるで紙の中から生まれたみたいにだ。
「あれは紙の妖怪だぞ」
俺はエセルに耳打ちする。それが紙の妖怪にも聞こえたらしい。
「……ええ。今、紙から直接頭に内容を入れ込んでいたところでした」
と、寝起きの声で言っている。
紙をまとったこの男の正体はただの人間であり、思うについさっきまで眠っていたのだろう。
いつも寝不足で覇気がなく、さっきは妖怪だと言ったが本当は幽霊だと皆に呼ばれている。
幽霊は紙の海から這い出してきて、エセルの前に現れた。
「この方は王子の新婦ですね。初めまして。改まった関係が苦手なもので、エセル”さん”とお呼びしてもよろしいかな?」
「は、はい。是非! えっとじゃあ私も……」
「はい。”エーデンさん”で、どうぞ」
にっこり笑った幽霊にエセルはどういう反応をするかと伺い見ていた。
それは叫ぶでも飛び上がるでも無く、カチコチに固まったら静かに後ずさりをしただけであった。
書物庫の扉をノックし、押し開けると鍵はかかっていない。
扉の動きによって空気が掻き乱され、中ではすぐに埃が舞い上がっていた。しかしその中にエセルが座っている。
この日は二人で会う約束の無い日であった。突然の訪問に彼女は驚いているようで固まっていた。
「どうかしたか?」
「い、いえ。何でもありません」
見るからに焦っているようであるが。何の気無しにエセルの前を通って行く。
彼女が持っている逆さになった本に一瞬目が行くも、平然たる態度で俺の定位置に座った。一番陽の当たりが良い出窓だ。
落ち着いてエセルを見ると、手に持っていた本の向きをこっそり修正したようだった。
たぶん俺が座るところのほこりを散らしているうちにエセルが自分で気付いたのだろう。
「今日は何の本を読んでいるんだ?」
「りょ、料理の本を」
エセルは小さな声で答えた。確かにその手に持っている本の表題は料理に関するようであるな。
「じゃあ、その尻の下に敷いているのは何の本なんだ」
俺が言うと、エセルはますます硬直した。
さすがに俺から取り上げるのは難しいので、スカートから覗いているところを指さしている。
「これ……ですか……?」
「ああそれだ」
エセルは恐る恐るその本を抜き取った。そして大事そうにそれを両手に抱える。
俺は突然ピンときた。
「……お前まさか! それを盗もうとしたわけでは」
「ありません! 絶対に!!」
「冗談だ。何も疑っていない」
顔を赤くして首を振るエセルに、俺は手の平を差し出す。その本を貸せという意味でだ。
エセルはそれを汲み取っておずおずと手を伸ばしてくれた。
古本を受け取った俺は「へえ」とじっくり眺め、やけに飾り気のない表紙からぺらぺらめくってみる。
「女性好みとは思えん」
表題は古い言語で書いてある。それなりの学力があれば読めるだろうが。
「薬師論考……論文か?」
中身をペラペラとめくるとやっぱり論文である。
かの昔の医療研究者がまとめたもののようだが、軽く目を通してみると割と最近の情報が綴られていて変だと思った。
「誰が書いた本だ?」
「エーデン博士です」
エセルが答えた。
その名を聞いた俺は驚きのあまり固まった。急いで裏紙をめくり著者を確認してみると『エーデン・ロヴェルト』と確かに書いてある。
「じ、実は私この方のファンで……一冊だけ手元にあったのですがこの国の出身だと聞いて探して……ま、まさか続編があるだなんて私嬉しくて……!」
珍しくよくよく語る口であった。その後もこのエーデン博士の事や本の事など、聞かなくても随分話してくれた。
それに続編という言葉が出た。この表題に続く数字が部数を表しているなら、もう7部も作っていることになる。
「7部で終わりか?」
「え? まだ半分くらいありますよ」
エセルは素っ頓狂な顔で答えた。俺はいよいよ腹を抱えて大笑いをする。
「エセル、ちょっとついて来てくれ」
愉快ついでに俺は良いこと思い付いて書物庫を足早に出た。
「あ、あの」
廊下に出てこないエセルは自分が何か罰せられるのではないかと思ったらしい。
「早う来い」
「はい……」
この建物には一箇所だけ別館と繋がる場所があるのだ。
廊下の突き当りで出くわす両開きの扉。一人の衛兵が門番として立っていた。
俺から事情を軽く伝えると衛兵は扉を押し開ける。そこをくぐると反対側にも門番の衛兵が立っており、こちらに敬礼をした。
歩きながらエセルには説明をしておく。
「この扉は特別なものでこの衛兵しか開けられない。さっき俺たちがいた場所は宮廷だ。皇族の部屋や職場なんかがある。で、今入ったこちら側の館は研究者たちが仕事をするところだ。館の者が宮廷へ入るのは基本的に禁止されている」
エセルはすぐ後ろを歩きながらキョロキョロと見回していたようだ。
「わかったか?」
「はい」
扉を介するだけで廊下の雰囲気やにおいが急に変わる。宮廷の侍女はこちらでは仕事をしないからな。
窓のサッシに埃が黒くこびりついているし、床板には何かの液体が垂れた染みが、道標みたく点々とあった。
掃除する者がいなければいつでも汚れているのだ。
「こっちの方が広いからな。迷子になると面倒だぞ」
言うとエセルは周りを眺めるのを諦めて、俺に付いてくるのに徹した。
そのまま道を曲がったり階段を降りたりしながら行き、俺はあるドアの前で立ち止まった。
「ここだ」
「……ここですか」
特段変わったところは無い。ここに来るまでに何十も見てきたのと同じ扉である。
エセルがいつまでも不安がっているのは中に居る者と対面すれば解決だ。
早速会わせてやろうと俺は弾む心でノックをする。ちなみにこの部屋をこんなにワクワクしてノックをしたことは無い。生涯最後だと断言しよう。
……予想通り室内からの返事は貰えない。中から物音すら聞こえてこなかった。小窓も無いので様子を確認することも出来ない。
もう一度ノックをしたところで「お留守でしょうか」とエセルは傍で言った。
いいや、そんなはずは無いと俺は知っている。
中に向かって俺は声を掛ける。
「俺だ。決着をつけに来た」
しばらく無音だったが、やがて声が返ってきた。
「お入りなさい」
にやけた顔をエセルに見せて俺は扉を開けた。
中は小さな部屋だ。どこもかしこも紙が散らばっていて、踏み場に困るような部屋である。
書斎机の上もまた大惨事だ。だがチェス盤だけは物が当たらぬよう綺麗に避けられてある。
目当ての人物は机の影からぬるりと現れた。まるで紙の中から生まれたみたいにだ。
「あれは紙の妖怪だぞ」
俺はエセルに耳打ちする。それが紙の妖怪にも聞こえたらしい。
「……ええ。今、紙から直接頭に内容を入れ込んでいたところでした」
と、寝起きの声で言っている。
紙をまとったこの男の正体はただの人間であり、思うについさっきまで眠っていたのだろう。
いつも寝不足で覇気がなく、さっきは妖怪だと言ったが本当は幽霊だと皆に呼ばれている。
幽霊は紙の海から這い出してきて、エセルの前に現れた。
「この方は王子の新婦ですね。初めまして。改まった関係が苦手なもので、エセル”さん”とお呼びしてもよろしいかな?」
「は、はい。是非! えっとじゃあ私も……」
「はい。”エーデンさん”で、どうぞ」
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