クランクビスト‐終戦した隠居諸国王子が、軍事国家王の隠し子を娶る。愛と政治に奔走する物語です‐ 【長編・完結済み】

草壁なつ帆

文字の大きさ
31 / 172
Ⅰ.進む国/留まる国

情報屋の女2

しおりを挟む
 沈黙の海に溺れていると知らぬ間に馬車は停止していた。リュンヒンが降りだしたから、俺も後に続いて馬車を出た。
 降り立った場所は騒ぎのあった広間では無い。人気も無い裏路地であった。まさか俺はこの男に騙され連れてこられ、ここで心臓を刺されでもするんじゃないかと思うほど、物騒極まりない暗い暗い場所である。
 とにかく俺はプルプル震える指を抑えつつ、リュンヒンの行くうしろをついて行った。そして目の前に見えてきたのは、ここだけ煌々と眩しい光を放つ異様な看板だ。傍の扉もまた異様だ。裸の男女が果実を取り合う絵なんかが書かれている。
「なんだこれ……」
「どこかの宗教画だよ」
 気色が悪いこの絵をリュンヒンはもろともしない。そして丸では無さそうなドアノブを押して中に入っていった。俺ももちろん後から続こうとは思うが、ドアノブに巻き付いたヘビの飾りが巧妙すぎて引いている。
 一人だと決して足を入れない領域だ。何拍子なのかも分からん音楽が流れた空間に、足や胸を出した女性が酒やつまみを運んでいた。客は女性目当ての男ばかりかと思えばそうでもない。女性である身で水タバコなど加えてケラケラ笑うのが目につく。
 リュンヒンは彼らに一切関心を向けず店内奥へ足を進めた。階段を降りた所にまた扉があり、ここを開けるとようやっと少しは落ち着ける空間に出会える。
「着いたよ。ほら、あそこの席にいる」
 彼が指差すところには、こちらに手を振っている女性がいた。
 一階はおっかない所であったが、地下はただのバーのようであった。カウンター席だけある狭い店で、マスターが我々の酒を用意している。ここでは落ち着いた音楽が身にしみるのであった。
 例の女性、俺、リュンヒンの並びで座らされ、初対面の女性を隣にギクシャクしてしまう。あまりじろじろ見るのもよろしく無いが、そっと見やると体にピッタリ添わせた黒の服を着ており肩や足を出していた。
 言うなれば海苔巻きか。と思えば、少しは緊張も和らぎそうだ。しかしこの女性、どこかで見たことのある顔をしている気がする。ふと目が合いフフッと微笑まれた。
「彼女は情報屋。実際かなり腕が良いんだけど、ただしちょっとユニークな情報屋だ」
 酒が来る前にリュンヒンから紹介を受ける。情報屋という職業を聞いたことぐらいはあるのだが、こうして目の前にするのは初めてである。想像では男がする職業のような気がしていたのだが。
「彼女は主を持たないやり方でね、いつも自由気ままに現れたり現れなかったりするんだよ」
「はあ? なんだそれは。幽霊か何かか?」
 俺が素っ頓狂な事を口走ったせいで、リュンヒンも彼女も笑い転げている。「違うわよ」と初めて彼女の声を聞いた。
「あたし、情報を渡すのが仕事なんだけど、社交界や舞踏会しか行かないって決めてるの。その方が楽しいし、美味しいものだって食べられるし、ごきげんな男爵からおひねりを貰えたりするからね」
 見た目は割とクールな印象であるのに、話すと弾むような言い方をする女性である。そのアンバランスさに驚いていると、カウンターに俺達の酒が置かれた。
 この場で三人で乾杯をさせられ、俺はその酒を口の中に入れる。その瞬間、顔のあらゆる穴から蒸気が吹き出たかと思った。思わずむせ返ると、何でも無いリュンヒンや彼女に両側から背中を擦られている。

 彼女の名前は会うたび変わるらしい。服装も容姿も香りも変えるのだそうだ。本人はそれを楽しんでいて、社交場の独身・既婚者問わず男たちを虜にするのが趣味だと熱弁していた。
 俺はそれを聞き流しながら、下らないと思い酒を飲んでいた。
「そういえば奥さんと仲直りは出来たの?」
 彼女が聞いた。俺は思わず飲んでいる酒で噎せ返った。
 頬杖の隙間から口角をくいっと上げながら、何でも知っているという顔をされる。これが情報屋の仕事というやつなのか。これなら人の私情にがめつい老婆と変わらん。
「そうだよ。僕も気になっていたんだ。あれからどうなったんだい?」
 リュンヒンも乗り出してくる。
「……どうもこうも無い。仲直りとか言うがこっちは喧嘩だってしていない」
 彼女とリュンヒンは同時に同じ仕草をした。額に手をあて、あちゃーと呆れる形だ。
「君のことだから、そうなんじゃないかって薄々思っていたんだよ」
「何がだ?」
「リュンヒン。あたしもよ。ほんと男って周りが見えない生き物なんだわ」
 ねー! と、男であるリュンヒンが賛同しているのが謎でしかない。二人は俺を差し置いて、誰とは言わずに俺のことを釣り上げた話題で盛り上がった。
「男は言うのよ。喧嘩なんかしてない。怒っているのはあっちの方だ。俺から謝る? 何を何でだ。時間が解決してくれる。ほら俺達は喧嘩なんかしてなかっただろう。ってね」
「そうそう。大体は男が悪い。女性は不安になっているだけなんだ。君、まさかエセル君に『なんで怒っているんだ!』なんて言っていないだろうね」
 急にパスが俺に渡される。
「言っ…………」
「はあ。ダメね。ダメダメよあなた。ほーんとダメな男」
 今日出会ったばかりの女性に「ダメ」と幾回も言われた。そこまで言われると、自分がダメな男な気がして参ってしまう。すると今度は二人に励まされることになり、こいつらは俺をいったいどうしたいんだと混乱した。
「ダメを治すには酒が効くよ」と根拠もないジンクスで酒をたらふく飲まされる。するとどんどん酔いが回る。この先記憶が飛び飛びになるが、肩を組んで歌を歌ったような思い出だけ城に持ち帰った。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?

夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」 教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。 ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。 王命による“形式結婚”。 夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。 だから、はい、離婚。勝手に。 白い結婚だったので、勝手に離婚しました。 何か問題あります?

なぜ、私に関係あるのかしら?

シエル
ファンタジー
「初めまして、アシュフォード公爵家一女、セシリア・アシュフォードと申します」 彼女は、つい先日までこの国の王太子殿下の婚約者だった。 そして今日、このトレヴァント辺境伯家へと嫁いできた。 「…レオンハルト・トレヴァントだ」 非道にも自らの実妹を長年にわたり虐げ、婚約者以外の男との不適切な関係を理由に、王太子妃に不適格とされ、貴族学院の卒業式で婚約破棄を宣告された。 そして、新たな婚約者として、その妹が王太子本人から指名されたのだった。 「私は君と夫婦になるつもりはないし、辺境伯夫人として扱うこともない」 この判断によって、どうなるかなども考えずに… ※ 中世ヨーロッパ風の世界観です。 ※ ご都合主義ですので、ご了承下さい、 ※ 画像はAIにて作成しております

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

お飾り王妃の死後~王の後悔~

ましゅぺちーの
恋愛
ウィルベルト王国の王レオンと王妃フランチェスカは白い結婚である。 王が愛するのは愛妾であるフレイアただ一人。 ウィルベルト王国では周知の事実だった。 しかしある日王妃フランチェスカが自ら命を絶ってしまう。 最後に王宛てに残された手紙を読み王は後悔に苛まれる。 小説家になろう様にも投稿しています。

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

私と子供より、夫は幼馴染とその子供のほうが大切でした。

小野 まい
恋愛
結婚記念日のディナーに夫のオスカーは現れない。 「マリアが熱を出したらしい」 駆けつけた先で、オスカーがマリアと息子カイルと楽しげに食事をする姿を妻のエリザが目撃する。 「また裏切られた……」 いつも幼馴染を優先するオスカーに、エリザの不満は限界に達していた。 「あなたは家族よりも幼馴染のほうが大事なのね」 離婚する気持ちが固まっていく。

処理中です...