45 / 172
Ⅰ.最後の宴
元婚約者の想い
しおりを挟む
シャーロットとの別れの時だ。馬の準備が整うまでの間、俺とシャーロットは朝の庭を少し散策しながら小話を交わしていた。朝露をまとった芝生を踏みつつ、奥の林はうっすら霧で白んでいる。
わりと幻想的である景色を前に、俺は別れの言葉ではなく先に詫びを入れた。
「嫌な役をさせて悪かったな。でもお前にしか頼めなかった」
シャーロットは特に気にしていないようだった。それよりも俺の言葉から特別感を感じ取って嬉しそうにしていたくらいだ。しかしシャーロットは「でも」と急に真面目な顔になった。
「わたくしから話すよりも先に、エセルさんは知っていたみたいよ? きっとどこかで耳にしたのじゃないかしら。あなたのこととお兄様のことも」
ううむ。と唸っていたら、シャーロットがしおらしく静かな声を出す。
「ねえ、やっぱりわたくしってあなたのことが大好きなのよ。結婚相手ってどこも三人くらい取るものじゃない? 次は絶対にわたくしにしてよね」
「な、何なんだ急に」
この白霧にまぎれて腕を組んでくるのを、俺は何度も拒んでいた。
「あなたとエセルさんのことは応援してあげるけど、わたくしも負けないわよって言っているの。ねえ、もう一度わたくしと婚約してちょうだいな」
シャーロットは以前にも増してもっと強引になった気がする。
「……さあどうだろう。城で喧嘩でもされたら堪らんからな」
「あら。わたくしとエセルさんはもうすっかり仲良しよ?」
うふふとご機嫌に微笑むシャーロットである。相変わらず腕を組んでくるのは拒み続けた。
「もう、バル様は恥ずかしがり屋なんですから」
「恥ずかしがってるんじゃない。もっと離れて歩け」
こうして突き放していると、余計に嬉しがってくっついてくる厄介な女性だ。そうしばらく逃げていると、諦めたのかシャーロットが追い掛けて来なくなった。引いた途端押して来ないのを惜しんでいるわけでは決して無いが、どうしたのだろうくらいは思ってしまう。
シャーロットはもう何も植わっていない花壇の前に座り込んで、何か指で拾い上げていた。
「もう会えないなんて嫌よ。必ず命だけでも残して帰ってきてちょうだいね。あなたはこの国に守らないといけないものが沢山あるのだから」
なんだかしんみりとそんな事を言われ、俺は仕方なくシャーロットの元へ身を翻した。
シャーロットの指の間に枯れた花びらがある。皺くちゃな茶色でお世辞にもきれいとは言えないものだ。何を思ってなのかそれをシャーロットがじっと見つめていた。
「この国の未来はあなたにかかっているのよ」
「それは違うな。俺には兄がいるし王位を継ぐのも兄だ。今は失踪しているがそのうち帰ってくるだろう」
はあ。と、シャーロットが溜息を吐いている。
「あなたは本当に危機感が無いわ」
「リュンヒンにも違うことでそう言われた」
シャーロットはリュンヒンの事を知らないのか覚えていないのか、首を傾げるだけであった。そして茶色の花びらは指で弄ばれ、そのうち散り散りに砕けて足元に落とされた。
馬のいななきが聞こえ玄関の広場辺りが騒がしくなってきた。そろそろ戻ろうとシャーロットを誘うと、俺に渡したいものがあると言って引き止められた。
自身のカバンをあさり、俺に宛てて届いたものと同じ可憐な便箋を取り出している。また手紙かと思いながらそれを受け取るつもりでいたが、シャーロットはその便箋を俺の手に渡すフリをしてパッと取り上げるようにした。
「これはあなたに渡そうと思っていたのだけど、カイセイに渡すことにするわ」
「はあ。なんの手紙なんだ」
「妹からよ。あの子もそろそろ結婚適齢期なの」
つまり恋文ということだ。それがカイセイに送られるのは良いことである。しかし俺は何も乗せられなかった手をそのままで、ひとつ疑問が浮かんだ。
「宛先は誰でもいいのか?」
「あなたかカイセイに渡してって言われたわ」
俺が驚いている間に、手のひらには妹君からの便箋が乗せられた。宛名は書いていない。さすがに中身を覗くのは躊躇いがあってしないが、恋文は誰宛でも良いように書かれているのか。
「そんなに驚くこと?」
彼女達にとっては何でも無いことらしかった。ただ、俺とてシャーロットから恋文を幾度も貰っていた身だ。それが誰宛てでも良いうちの一人に指定されてのことだったなら、若干複雑な気持ちにもなる。
そう考えていた俺は、シャーロット曰く分かりやすく落ち込んだ顔になっていたらしい。仕方なく懸念していることを告げると、シャーロットはやけに大人びた声で返してきた。
「わたくし達の世界では純愛なんて邪魔になるだけでしょう? だから良いのよ。このぐらい成り行き任せの方が幸せになれたりするわ……」
しんみりと、そんなものなのだろうかと考えた。するとそんな俺の腕に暖かいものが纏った。見るとシャーロットが腕にしがみついており、何やら満足げな笑みをこちらに向けていた。
「でもわたくしのは最初だけよ。だってそれからはバル様のことをずっとお慕いしているもの。世の中には文章を代理人に書かせる方だって多いんだから、あなたのは稀だったかもしれないわね。どう? 素直に喜べそう?」
そう言われると満更でもないか。と思いだした頃、馬の用意が出来たと俺達は背後から呼ばれた。途端に俺は正気を取り戻してシャーロットの腕を振り解いた。
小雨がポツリポツリと降り出している。時々雨粒が肌に当たるのを感じ取りながら、湿った庭をひた歩いた。
「近くに寄るな。もっと離れて歩け。お前は大雨になる前にこの国を出るんだ!」
嫌がりながらも何故か嬉しそうに見えるシャーロットは、そのままリンゴ馬車に収まって執事や兵隊と共に森林の中へ消えていった。俺やカイセイやエセルがそれを見送っていた。
糸のような細かい雨がパラパラ降り注ぐ。俺は髪についた水を振り払い、城の中へ避難を急ぐ。ふと広場で雨に振られるエセルの後ろ姿が見えた。リンゴ馬車が消えた森林の方をじっと見つめている。
「エセル、入るぞ」
声を掛けるとエセルは振り向いた。何事も無かったかのようにこちらに小走りでやって来て、城のエントランスで肩の水滴をはたいている。頭上の水は俺を退けてやっている。
そうしていると突然エセルは顔を上げた。目を見つめられ、何か言いたげに口を開けていたが、それを閉ざして違う方を見やった。
「何か言おうとしたか?」
「はい。……でも、また違う機会にします」
わかった。と俺は追求せずに見送った。
その後も大雨には至らず、いつまでも細かい雨が続いた。シャーロット一行は山脈を迂回して三、四日後には無事に国へ着くことだろう。
わりと幻想的である景色を前に、俺は別れの言葉ではなく先に詫びを入れた。
「嫌な役をさせて悪かったな。でもお前にしか頼めなかった」
シャーロットは特に気にしていないようだった。それよりも俺の言葉から特別感を感じ取って嬉しそうにしていたくらいだ。しかしシャーロットは「でも」と急に真面目な顔になった。
「わたくしから話すよりも先に、エセルさんは知っていたみたいよ? きっとどこかで耳にしたのじゃないかしら。あなたのこととお兄様のことも」
ううむ。と唸っていたら、シャーロットがしおらしく静かな声を出す。
「ねえ、やっぱりわたくしってあなたのことが大好きなのよ。結婚相手ってどこも三人くらい取るものじゃない? 次は絶対にわたくしにしてよね」
「な、何なんだ急に」
この白霧にまぎれて腕を組んでくるのを、俺は何度も拒んでいた。
「あなたとエセルさんのことは応援してあげるけど、わたくしも負けないわよって言っているの。ねえ、もう一度わたくしと婚約してちょうだいな」
シャーロットは以前にも増してもっと強引になった気がする。
「……さあどうだろう。城で喧嘩でもされたら堪らんからな」
「あら。わたくしとエセルさんはもうすっかり仲良しよ?」
うふふとご機嫌に微笑むシャーロットである。相変わらず腕を組んでくるのは拒み続けた。
「もう、バル様は恥ずかしがり屋なんですから」
「恥ずかしがってるんじゃない。もっと離れて歩け」
こうして突き放していると、余計に嬉しがってくっついてくる厄介な女性だ。そうしばらく逃げていると、諦めたのかシャーロットが追い掛けて来なくなった。引いた途端押して来ないのを惜しんでいるわけでは決して無いが、どうしたのだろうくらいは思ってしまう。
シャーロットはもう何も植わっていない花壇の前に座り込んで、何か指で拾い上げていた。
「もう会えないなんて嫌よ。必ず命だけでも残して帰ってきてちょうだいね。あなたはこの国に守らないといけないものが沢山あるのだから」
なんだかしんみりとそんな事を言われ、俺は仕方なくシャーロットの元へ身を翻した。
シャーロットの指の間に枯れた花びらがある。皺くちゃな茶色でお世辞にもきれいとは言えないものだ。何を思ってなのかそれをシャーロットがじっと見つめていた。
「この国の未来はあなたにかかっているのよ」
「それは違うな。俺には兄がいるし王位を継ぐのも兄だ。今は失踪しているがそのうち帰ってくるだろう」
はあ。と、シャーロットが溜息を吐いている。
「あなたは本当に危機感が無いわ」
「リュンヒンにも違うことでそう言われた」
シャーロットはリュンヒンの事を知らないのか覚えていないのか、首を傾げるだけであった。そして茶色の花びらは指で弄ばれ、そのうち散り散りに砕けて足元に落とされた。
馬のいななきが聞こえ玄関の広場辺りが騒がしくなってきた。そろそろ戻ろうとシャーロットを誘うと、俺に渡したいものがあると言って引き止められた。
自身のカバンをあさり、俺に宛てて届いたものと同じ可憐な便箋を取り出している。また手紙かと思いながらそれを受け取るつもりでいたが、シャーロットはその便箋を俺の手に渡すフリをしてパッと取り上げるようにした。
「これはあなたに渡そうと思っていたのだけど、カイセイに渡すことにするわ」
「はあ。なんの手紙なんだ」
「妹からよ。あの子もそろそろ結婚適齢期なの」
つまり恋文ということだ。それがカイセイに送られるのは良いことである。しかし俺は何も乗せられなかった手をそのままで、ひとつ疑問が浮かんだ。
「宛先は誰でもいいのか?」
「あなたかカイセイに渡してって言われたわ」
俺が驚いている間に、手のひらには妹君からの便箋が乗せられた。宛名は書いていない。さすがに中身を覗くのは躊躇いがあってしないが、恋文は誰宛でも良いように書かれているのか。
「そんなに驚くこと?」
彼女達にとっては何でも無いことらしかった。ただ、俺とてシャーロットから恋文を幾度も貰っていた身だ。それが誰宛てでも良いうちの一人に指定されてのことだったなら、若干複雑な気持ちにもなる。
そう考えていた俺は、シャーロット曰く分かりやすく落ち込んだ顔になっていたらしい。仕方なく懸念していることを告げると、シャーロットはやけに大人びた声で返してきた。
「わたくし達の世界では純愛なんて邪魔になるだけでしょう? だから良いのよ。このぐらい成り行き任せの方が幸せになれたりするわ……」
しんみりと、そんなものなのだろうかと考えた。するとそんな俺の腕に暖かいものが纏った。見るとシャーロットが腕にしがみついており、何やら満足げな笑みをこちらに向けていた。
「でもわたくしのは最初だけよ。だってそれからはバル様のことをずっとお慕いしているもの。世の中には文章を代理人に書かせる方だって多いんだから、あなたのは稀だったかもしれないわね。どう? 素直に喜べそう?」
そう言われると満更でもないか。と思いだした頃、馬の用意が出来たと俺達は背後から呼ばれた。途端に俺は正気を取り戻してシャーロットの腕を振り解いた。
小雨がポツリポツリと降り出している。時々雨粒が肌に当たるのを感じ取りながら、湿った庭をひた歩いた。
「近くに寄るな。もっと離れて歩け。お前は大雨になる前にこの国を出るんだ!」
嫌がりながらも何故か嬉しそうに見えるシャーロットは、そのままリンゴ馬車に収まって執事や兵隊と共に森林の中へ消えていった。俺やカイセイやエセルがそれを見送っていた。
糸のような細かい雨がパラパラ降り注ぐ。俺は髪についた水を振り払い、城の中へ避難を急ぐ。ふと広場で雨に振られるエセルの後ろ姿が見えた。リンゴ馬車が消えた森林の方をじっと見つめている。
「エセル、入るぞ」
声を掛けるとエセルは振り向いた。何事も無かったかのようにこちらに小走りでやって来て、城のエントランスで肩の水滴をはたいている。頭上の水は俺を退けてやっている。
そうしていると突然エセルは顔を上げた。目を見つめられ、何か言いたげに口を開けていたが、それを閉ざして違う方を見やった。
「何か言おうとしたか?」
「はい。……でも、また違う機会にします」
わかった。と俺は追求せずに見送った。
その後も大雨には至らず、いつまでも細かい雨が続いた。シャーロット一行は山脈を迂回して三、四日後には無事に国へ着くことだろう。
0
あなたにおすすめの小説
白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?
夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」
教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。
ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。
王命による“形式結婚”。
夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。
だから、はい、離婚。勝手に。
白い結婚だったので、勝手に離婚しました。
何か問題あります?
なぜ、私に関係あるのかしら?
シエル
ファンタジー
「初めまして、アシュフォード公爵家一女、セシリア・アシュフォードと申します」
彼女は、つい先日までこの国の王太子殿下の婚約者だった。
そして今日、このトレヴァント辺境伯家へと嫁いできた。
「…レオンハルト・トレヴァントだ」
非道にも自らの実妹を長年にわたり虐げ、婚約者以外の男との不適切な関係を理由に、王太子妃に不適格とされ、貴族学院の卒業式で婚約破棄を宣告された。
そして、新たな婚約者として、その妹が王太子本人から指名されたのだった。
「私は君と夫婦になるつもりはないし、辺境伯夫人として扱うこともない」
この判断によって、どうなるかなども考えずに…
※ 中世ヨーロッパ風の世界観です。
※ ご都合主義ですので、ご了承下さい、
※ 画像はAIにて作成しております
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
お飾り王妃の死後~王の後悔~
ましゅぺちーの
恋愛
ウィルベルト王国の王レオンと王妃フランチェスカは白い結婚である。
王が愛するのは愛妾であるフレイアただ一人。
ウィルベルト王国では周知の事実だった。
しかしある日王妃フランチェスカが自ら命を絶ってしまう。
最後に王宛てに残された手紙を読み王は後悔に苛まれる。
小説家になろう様にも投稿しています。
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
私と子供より、夫は幼馴染とその子供のほうが大切でした。
小野 まい
恋愛
結婚記念日のディナーに夫のオスカーは現れない。
「マリアが熱を出したらしい」
駆けつけた先で、オスカーがマリアと息子カイルと楽しげに食事をする姿を妻のエリザが目撃する。
「また裏切られた……」
いつも幼馴染を優先するオスカーに、エリザの不満は限界に達していた。
「あなたは家族よりも幼馴染のほうが大事なのね」
離婚する気持ちが固まっていく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる