115 / 172
Ⅱ.王位継承者
動き出す‐兄の思想‐
しおりを挟む
大あくびをしながら寝るにも場所が無いとイラついていた頃だ。
茶はとうにぬるくなり、焼き菓子もそれなりに減った。
まさかこのまま餓死に追いやる気ではなかろうかと考えることも無くはない。
その時、扉の向こうの廊下を歩く足音が近づいて来るのが聞こえてくる。だがカイセイのものでは無いと分かり、俺は椅子の上から動かずに音を聞いた。
すぐ近くの扉が開く。そして足音はより俺に近づいた。
どうやら壁を挟んだ隣の部屋に入ったようであった。
侍女にしては足音が大きい。たぶん男だろうと俺は予想している。
その後も何人か隣の部屋に足を運んだらしいが、足音はパッタリと止んだっきり何の音も立ててはくれない。
隣の部屋で何人か集まって一体何をしているのだ。俺はそろりと動いて壁に耳を当てて隣の様子を伺っている。
「遅れて申し訳ない」
「いや。そんなに待ってはいないよ」
声が聞こえて中の様子が少し分かった。
おそらく別の扉から兄上が部屋に入ったらしい。それから早くから部屋にいたのはきっとリュンヒンである。
兄上とリュンヒンが接触するのはどういう事の運びかは知らんが。
元々ふたりが仲良くやっていた印象も無いから、あまり良い予感はしていない。
そんな間で繰り広げられる会話を俺は注意深く聞いた。
まずは兄上から話を切り出している。
「随分僕のことを探していたんだって? 関所でメルチ軍に声をかけられた時は、まるで罪人になったみたいな気分で嫌だったな~」
「罪人……まあ、アレン殿なら手縄にかかる前に上手く切り抜けそうだけどね」
リュンヒンの乾いた笑いが小さくきこえてきた。
兄上は笑ってはいないのかもしれない。
「リュンヒン殿、対等な物言いをしてくるね」
「今のところはまだ僕の方が偉いからさ」
「……まあ良いけど。で? 僕に用があってわざわざこんな雷雨の中やってきたんでしょ」
少しの間が空く。
「アレン殿がベンブルクと手を組んで何を企んでいるのか聞かないとと思ってね」
「ベンブルク? さあ、何のことだか」
「調べはついているんだ。ネザリアとの関わりも」
まるでカードをちらつかせるようなリュンヒンの言い方に、兄上は「ふーん」と発するだけの余裕が感じられた。
「リュンヒン殿が嫌悪するその情報大国のことはさて置いて、ネザリアの関わりはそちらには関係ないと思うけど」
「うん。本当に関係が無いならそれで良いんだけど、もしも関係しているなら排除しておかなくちゃいけない」
詳しいことをリュンヒンが続けて言う。
「ネザリア・エセルをバル王子に当てがったのは君だ。君がネザリアの王に近付かなければ、こんな辺鄙な小国は先進国の目に止まらないはずだろう。この近辺で政略結婚するならニューリアン王国メアネル家一択だ。その方が遥かに有利で効率的だからね。間違っているかい?」
兄上は「いや?」と言う。
正しいと確定はしないが、否定もしないという意味に違いない。
わざと会話の的から外れるように「リュンヒン殿は親切だねぇ」とも口にした。
「未婚の弟に結婚相手を選んであげるのはお節介だったのかな。でもふたりは結構上手くいっているみたいだし、良かったんじゃないの?」
「危うく国ごと持っていかれるところだったのは特に気にしないのか」
「うーん。気にはするよ? でも、僕はあまり間にうけていないかもしれない。たぶんリュンヒン殿みたいに保守的じゃ無いからかなぁ……」
プツン、と。音こそ聞こえる訳がないが、俺にはリュンヒンの怒りの線が一本切れたような気がした。
ヤツはそう単純な男で無いので、気に食わない言葉一つでいきなりキレ散らかすということも無いとは思うが。リュンヒンの笑顔の裏には明らかに怒りの念があるはずだ。
「あれ? 怒っちゃった?」
「……いいや。言ってくれるね、と思っただけだよ」
まったく恐ろしすぎる会談である。
「国を守る行為が保守的と言ってしまうのはどうかと思うけど」
リュンヒンの冷静な声が言った。
それに被せる速度で兄上が「そう?」と突っぱねる。
「国土に新しい風を入れるのも別に悪じゃないでしょ。国名や国旗だってただの縄張り主張に過ぎないし。そんなものに執着したがるのは一部の偉い人間だけなんじゃない?」
「けど上の者がまとめておかないと迷ってしまう民もいるさ」
「リュンヒン殿は自分を奢りすぎかな。人間には順応能力が備わっている。王が変わったって、居なくったって、仕事を探して家族を作って暮らしていけるんだよ」
兄上がリュンヒンを言い負かしたようだ。
ここで一旦間が生まれた。
また雷雲が力を蓄え出したようである。遠くの空からゴロゴロと小さく聞こえて来てきた。あまり雷鳴が近付いてくると隣の会話が聞こえなくなってしまう。
俺が窓の曇天を睨んでいると「それは」とリュンヒンの声がまた話し出した。俺は再び壁に耳を当てている。
「クランクビストが無くなるのも良かったということかい?」
兄上の返事はすぐだ。
「この国の民はもう武器を取らない」
それから続けて言う。
「隠居国なんて言って弟は自虐しているみたいだけど、戦わない国なんてものは実質もう滅んだも同然だよ。だからネザリアの物になるならそれでも構わない。何より王妃の意向もこっち側だ」
俺はそれを知った途端、この胸が酷く波打つよう痛みだした。
「弟には聞かせられない話だったね。なんとも酷すぎて号泣させてしまう」
兄上の乾いた笑いが今日より不快であったことが無い。
そのうちに雨が激しくなり窓に打ち付けるようなものに変わっていた。
俺は壁にもたれかかったまま、窓を伝い流れる水を眺めている。もう隣の話し声は聞こえなくなっていた。
喉が渇いていたが立って茶を飲む気力も出せずに、頭ではもう何も入る余地が無くて真っ白である。
茶はとうにぬるくなり、焼き菓子もそれなりに減った。
まさかこのまま餓死に追いやる気ではなかろうかと考えることも無くはない。
その時、扉の向こうの廊下を歩く足音が近づいて来るのが聞こえてくる。だがカイセイのものでは無いと分かり、俺は椅子の上から動かずに音を聞いた。
すぐ近くの扉が開く。そして足音はより俺に近づいた。
どうやら壁を挟んだ隣の部屋に入ったようであった。
侍女にしては足音が大きい。たぶん男だろうと俺は予想している。
その後も何人か隣の部屋に足を運んだらしいが、足音はパッタリと止んだっきり何の音も立ててはくれない。
隣の部屋で何人か集まって一体何をしているのだ。俺はそろりと動いて壁に耳を当てて隣の様子を伺っている。
「遅れて申し訳ない」
「いや。そんなに待ってはいないよ」
声が聞こえて中の様子が少し分かった。
おそらく別の扉から兄上が部屋に入ったらしい。それから早くから部屋にいたのはきっとリュンヒンである。
兄上とリュンヒンが接触するのはどういう事の運びかは知らんが。
元々ふたりが仲良くやっていた印象も無いから、あまり良い予感はしていない。
そんな間で繰り広げられる会話を俺は注意深く聞いた。
まずは兄上から話を切り出している。
「随分僕のことを探していたんだって? 関所でメルチ軍に声をかけられた時は、まるで罪人になったみたいな気分で嫌だったな~」
「罪人……まあ、アレン殿なら手縄にかかる前に上手く切り抜けそうだけどね」
リュンヒンの乾いた笑いが小さくきこえてきた。
兄上は笑ってはいないのかもしれない。
「リュンヒン殿、対等な物言いをしてくるね」
「今のところはまだ僕の方が偉いからさ」
「……まあ良いけど。で? 僕に用があってわざわざこんな雷雨の中やってきたんでしょ」
少しの間が空く。
「アレン殿がベンブルクと手を組んで何を企んでいるのか聞かないとと思ってね」
「ベンブルク? さあ、何のことだか」
「調べはついているんだ。ネザリアとの関わりも」
まるでカードをちらつかせるようなリュンヒンの言い方に、兄上は「ふーん」と発するだけの余裕が感じられた。
「リュンヒン殿が嫌悪するその情報大国のことはさて置いて、ネザリアの関わりはそちらには関係ないと思うけど」
「うん。本当に関係が無いならそれで良いんだけど、もしも関係しているなら排除しておかなくちゃいけない」
詳しいことをリュンヒンが続けて言う。
「ネザリア・エセルをバル王子に当てがったのは君だ。君がネザリアの王に近付かなければ、こんな辺鄙な小国は先進国の目に止まらないはずだろう。この近辺で政略結婚するならニューリアン王国メアネル家一択だ。その方が遥かに有利で効率的だからね。間違っているかい?」
兄上は「いや?」と言う。
正しいと確定はしないが、否定もしないという意味に違いない。
わざと会話の的から外れるように「リュンヒン殿は親切だねぇ」とも口にした。
「未婚の弟に結婚相手を選んであげるのはお節介だったのかな。でもふたりは結構上手くいっているみたいだし、良かったんじゃないの?」
「危うく国ごと持っていかれるところだったのは特に気にしないのか」
「うーん。気にはするよ? でも、僕はあまり間にうけていないかもしれない。たぶんリュンヒン殿みたいに保守的じゃ無いからかなぁ……」
プツン、と。音こそ聞こえる訳がないが、俺にはリュンヒンの怒りの線が一本切れたような気がした。
ヤツはそう単純な男で無いので、気に食わない言葉一つでいきなりキレ散らかすということも無いとは思うが。リュンヒンの笑顔の裏には明らかに怒りの念があるはずだ。
「あれ? 怒っちゃった?」
「……いいや。言ってくれるね、と思っただけだよ」
まったく恐ろしすぎる会談である。
「国を守る行為が保守的と言ってしまうのはどうかと思うけど」
リュンヒンの冷静な声が言った。
それに被せる速度で兄上が「そう?」と突っぱねる。
「国土に新しい風を入れるのも別に悪じゃないでしょ。国名や国旗だってただの縄張り主張に過ぎないし。そんなものに執着したがるのは一部の偉い人間だけなんじゃない?」
「けど上の者がまとめておかないと迷ってしまう民もいるさ」
「リュンヒン殿は自分を奢りすぎかな。人間には順応能力が備わっている。王が変わったって、居なくったって、仕事を探して家族を作って暮らしていけるんだよ」
兄上がリュンヒンを言い負かしたようだ。
ここで一旦間が生まれた。
また雷雲が力を蓄え出したようである。遠くの空からゴロゴロと小さく聞こえて来てきた。あまり雷鳴が近付いてくると隣の会話が聞こえなくなってしまう。
俺が窓の曇天を睨んでいると「それは」とリュンヒンの声がまた話し出した。俺は再び壁に耳を当てている。
「クランクビストが無くなるのも良かったということかい?」
兄上の返事はすぐだ。
「この国の民はもう武器を取らない」
それから続けて言う。
「隠居国なんて言って弟は自虐しているみたいだけど、戦わない国なんてものは実質もう滅んだも同然だよ。だからネザリアの物になるならそれでも構わない。何より王妃の意向もこっち側だ」
俺はそれを知った途端、この胸が酷く波打つよう痛みだした。
「弟には聞かせられない話だったね。なんとも酷すぎて号泣させてしまう」
兄上の乾いた笑いが今日より不快であったことが無い。
そのうちに雨が激しくなり窓に打ち付けるようなものに変わっていた。
俺は壁にもたれかかったまま、窓を伝い流れる水を眺めている。もう隣の話し声は聞こえなくなっていた。
喉が渇いていたが立って茶を飲む気力も出せずに、頭ではもう何も入る余地が無くて真っ白である。
0
あなたにおすすめの小説
白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?
夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」
教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。
ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。
王命による“形式結婚”。
夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。
だから、はい、離婚。勝手に。
白い結婚だったので、勝手に離婚しました。
何か問題あります?
なぜ、私に関係あるのかしら?
シエル
ファンタジー
「初めまして、アシュフォード公爵家一女、セシリア・アシュフォードと申します」
彼女は、つい先日までこの国の王太子殿下の婚約者だった。
そして今日、このトレヴァント辺境伯家へと嫁いできた。
「…レオンハルト・トレヴァントだ」
非道にも自らの実妹を長年にわたり虐げ、婚約者以外の男との不適切な関係を理由に、王太子妃に不適格とされ、貴族学院の卒業式で婚約破棄を宣告された。
そして、新たな婚約者として、その妹が王太子本人から指名されたのだった。
「私は君と夫婦になるつもりはないし、辺境伯夫人として扱うこともない」
この判断によって、どうなるかなども考えずに…
※ 中世ヨーロッパ風の世界観です。
※ ご都合主義ですので、ご了承下さい、
※ 画像はAIにて作成しております
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
お飾り王妃の死後~王の後悔~
ましゅぺちーの
恋愛
ウィルベルト王国の王レオンと王妃フランチェスカは白い結婚である。
王が愛するのは愛妾であるフレイアただ一人。
ウィルベルト王国では周知の事実だった。
しかしある日王妃フランチェスカが自ら命を絶ってしまう。
最後に王宛てに残された手紙を読み王は後悔に苛まれる。
小説家になろう様にも投稿しています。
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
私と子供より、夫は幼馴染とその子供のほうが大切でした。
小野 まい
恋愛
結婚記念日のディナーに夫のオスカーは現れない。
「マリアが熱を出したらしい」
駆けつけた先で、オスカーがマリアと息子カイルと楽しげに食事をする姿を妻のエリザが目撃する。
「また裏切られた……」
いつも幼馴染を優先するオスカーに、エリザの不満は限界に達していた。
「あなたは家族よりも幼馴染のほうが大事なのね」
離婚する気持ちが固まっていく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる