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lll.ニューリアン王国、セルジオ王国
舞踏会‐夜空のダンス‐
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静かな夜だが真っ暗な森の奥に浮かぶ街がまだ眠っていない。
開けっぱなしの窓から音楽も漏れ出てくる。曲調はかなりゆったりとしたもので雰囲気があった。
ここでまったりと時間を過ごすのは好きである。だがこの時俺が考えていたのは、そのうちにエセルがどこかに行きたがったら寂しくなるという思いだ。
「踊るか?」
「え?」
グラスを奪って別の場所に置き、エセルの手を取ったが彼女はベンチから立たない。
「あの、私、その……。踊りは、ちょっと……」
自信が無くて立てないのであれば、その身ごと抱き上げて無理にでもベンチから引き剥がす。
「ロマナに教え込まれただろう?」
「それはそうなんですけど、私って踊りは全然ダメでして……」
「ダメでは許さんのがあの指導者だったはずだ。女性とて容赦が無いと思うが?」
言いながらエセルの手を握っていた。
エセルが渋い顔をして唸るだけということは、俺が言ったようにロマナから厳しい手解きを習ったのだと伺える。
「次の拍頭から入るぞ」
「えっ、もう!?」
気付かれんうちに準備はしておいた。
「どちらかが足を踏んだら終わりな」
「そんなの絶対に踏んでしまいますよ!」
音楽は待ったを知らず、丘のように緩やかなリズムを奏でた。これなら拍の間で足が迷ってもなんとか誤魔化すことはできる。
エセルにあれほど言った俺だが、こっちの方こそエセルよりも踊りを踊ったのは遥か昔なのだ。
感覚で動けているだけで、頭で考えた途端必ず足を踏むことになるだろう。
「王子……」
「……」
話しかけられても答えてやれる暇が無いのは隠したい。
なにせ俺からダンスを誘ったのは生まれて初めてなのである。
こういうものは好意のある異性にやるものだと、俺はひとりで信じているからだ。
「ちょっと恥ずかしいですね。これ」
チラッとエセルと目が合えば、彼女は見つめてくるのではなく数度の瞬きと共に目を伏せていた。
ゆったりとしたリズムなら踊れるだろうと考えたのが裏目に出ていた。
これではまるで、マルク王が『心が盛り上がる』と述べていたチークダンスのようだ。今更気が付いてしまったのだ。
足の動きは一番無難なステップであるが、腰から上は距離が近いだけで互いに見るところに困っている。
「ど、どこで止めれば良い……?」
頭で考えだしたのが失敗であった。
テンポの遅い音楽は鳴り続ける。俺とエセルはもう踊っていなくて、手すりの近くに肩を寄せていた。
「お疲れなんですよ。どうぞ休んで下さい」
何度も謝る俺にエセルが優しく言葉をかけてくれる。
踊り慣れていない女性が男の足を踏んでしまうというのはよくある話だが、まさか俺の方から踏んでしまうとなると落ち込んでしまう。
痛く無いとは言っていたし、赤くもなっていなかったとしても、そんなことでは救われない思いだ。
「王子?」
視界の端にエセルが覗き込まれ、少しだけ気を引き締めた。
「そうだな。すまんが、他の者は先に寝たと言っておいてくれ」
そう告げると思い出したかのように眠気がまた襲ってくる。
大あくびは隠しきれずにその場で吐き出し、手すりに項垂れると一瞬で意識が飛びそうになる。夜風が頬をつねって何度かベッドに行けと言った。
「……大丈夫ですか?」
横ではエセルが一部始終を見ていた。
おどけて笑ってくれるのではなく、心配そうに口を固く閉じて見つめられていた。
俺はそんな小さな肩を抱き締める。息を吸うたびに冷たい空気と共にエセルの柔らかい匂いがした。
「大丈夫だ」
「本当に?」
好きな香りと一緒に好きな声まで近くで聞ける。
「ああ。いま癒されてる」
ちょうど音楽が途切れたところだった。次の演奏が始まる前に抱きしめていた肩をポンと叩いて離す。
「また明日」と俺から言えば、エセルも「また明日」と返していた。
彼女は笑顔を作ってくれていたが、バルコニーを出る前に振り返って見れば、また半月を見上げながら思い耽るような横顔があった。
俺は最後にもう一度ここで息を吸い込み、暑いダンスホールへと戻っていった。
屋内の賑やかしい声や音楽、料理の匂いとすれ違う香水にまみれると、さっきまでの俺の好きなものは全て消え去ってしまう。
開けっぱなしの窓から音楽も漏れ出てくる。曲調はかなりゆったりとしたもので雰囲気があった。
ここでまったりと時間を過ごすのは好きである。だがこの時俺が考えていたのは、そのうちにエセルがどこかに行きたがったら寂しくなるという思いだ。
「踊るか?」
「え?」
グラスを奪って別の場所に置き、エセルの手を取ったが彼女はベンチから立たない。
「あの、私、その……。踊りは、ちょっと……」
自信が無くて立てないのであれば、その身ごと抱き上げて無理にでもベンチから引き剥がす。
「ロマナに教え込まれただろう?」
「それはそうなんですけど、私って踊りは全然ダメでして……」
「ダメでは許さんのがあの指導者だったはずだ。女性とて容赦が無いと思うが?」
言いながらエセルの手を握っていた。
エセルが渋い顔をして唸るだけということは、俺が言ったようにロマナから厳しい手解きを習ったのだと伺える。
「次の拍頭から入るぞ」
「えっ、もう!?」
気付かれんうちに準備はしておいた。
「どちらかが足を踏んだら終わりな」
「そんなの絶対に踏んでしまいますよ!」
音楽は待ったを知らず、丘のように緩やかなリズムを奏でた。これなら拍の間で足が迷ってもなんとか誤魔化すことはできる。
エセルにあれほど言った俺だが、こっちの方こそエセルよりも踊りを踊ったのは遥か昔なのだ。
感覚で動けているだけで、頭で考えた途端必ず足を踏むことになるだろう。
「王子……」
「……」
話しかけられても答えてやれる暇が無いのは隠したい。
なにせ俺からダンスを誘ったのは生まれて初めてなのである。
こういうものは好意のある異性にやるものだと、俺はひとりで信じているからだ。
「ちょっと恥ずかしいですね。これ」
チラッとエセルと目が合えば、彼女は見つめてくるのではなく数度の瞬きと共に目を伏せていた。
ゆったりとしたリズムなら踊れるだろうと考えたのが裏目に出ていた。
これではまるで、マルク王が『心が盛り上がる』と述べていたチークダンスのようだ。今更気が付いてしまったのだ。
足の動きは一番無難なステップであるが、腰から上は距離が近いだけで互いに見るところに困っている。
「ど、どこで止めれば良い……?」
頭で考えだしたのが失敗であった。
テンポの遅い音楽は鳴り続ける。俺とエセルはもう踊っていなくて、手すりの近くに肩を寄せていた。
「お疲れなんですよ。どうぞ休んで下さい」
何度も謝る俺にエセルが優しく言葉をかけてくれる。
踊り慣れていない女性が男の足を踏んでしまうというのはよくある話だが、まさか俺の方から踏んでしまうとなると落ち込んでしまう。
痛く無いとは言っていたし、赤くもなっていなかったとしても、そんなことでは救われない思いだ。
「王子?」
視界の端にエセルが覗き込まれ、少しだけ気を引き締めた。
「そうだな。すまんが、他の者は先に寝たと言っておいてくれ」
そう告げると思い出したかのように眠気がまた襲ってくる。
大あくびは隠しきれずにその場で吐き出し、手すりに項垂れると一瞬で意識が飛びそうになる。夜風が頬をつねって何度かベッドに行けと言った。
「……大丈夫ですか?」
横ではエセルが一部始終を見ていた。
おどけて笑ってくれるのではなく、心配そうに口を固く閉じて見つめられていた。
俺はそんな小さな肩を抱き締める。息を吸うたびに冷たい空気と共にエセルの柔らかい匂いがした。
「大丈夫だ」
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「また明日」と俺から言えば、エセルも「また明日」と返していた。
彼女は笑顔を作ってくれていたが、バルコニーを出る前に振り返って見れば、また半月を見上げながら思い耽るような横顔があった。
俺は最後にもう一度ここで息を吸い込み、暑いダンスホールへと戻っていった。
屋内の賑やかしい声や音楽、料理の匂いとすれ違う香水にまみれると、さっきまでの俺の好きなものは全て消え去ってしまう。
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