クランクビスト‐終戦した隠居諸国王子が、軍事国家王の隠し子を娶る。愛と政治に奔走する物語です‐ 【長編・完結済み】

草壁なつ帆

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lll.エシュ神都、パニエラ王国

無言の夜

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 街の景観は特段異質というほどでも無かった。ただし他の国に比べて聖堂の数が多いのは、見慣れていないせいか俺には衝撃的だ。
 交通整理の者が馬を止めている間に聖堂の数を数えている。聖堂は大きくても小さくても屋根より上にシンボルを掲げているからすぐに分かった。
 ひとつの交差点から見えるシンボルの数は十を悠々と超えていた。
 さらに新しく建築しようかという土地にも、そのシンボルだけは誰でも見えるように看板で知らせてあった。
 まさに宗教がこの国を支配しているのかと俺は考えて少々怖い思いでいる。街中を歩く民らは皆幸せそうな顔をしているが、それすらも俺は怖い。
 交通整理の者が旗を上げた。
 馬は自動車と紛れて距離を取りながら走る。
 そろそろ陽が完全に沈んでしまおうかという時間である。各家庭では夕食の準備に追われる時間帯であろうが、この国ではそんな時間にも聖堂へ人が集まっていく。
 ネザリアのように食事を乞うて向かうのとは違う。きちんとした礼服を身につけて髪も髭も整えて扉を跨いでいくのだ。
 横目に見ながら昨夜エセルが話してくれたことを思い出す。
「エシュ教は昼と夜にお祈りをするんです。特に夜のお祈りはエシュの先祖にあたる愛の神様が見守る時間なので、信徒の方は必ず聖堂に足を運ぶんですよ」
 ネザリアにはエシュ信徒が多くいたらしい。エセルはそれでは無いが、見聞きしていたということで色々教わった。
 他にもこんな話を聞いた。
「体調が優れない時に聖堂に入るのはタブーなんです。エシュはお体が弱く風邪を引きやすいので、皆さんそういう気遣いをされています」
 その時は「まあ神でも風邪ぐらい引くか」と適当に相槌を打っていたが、よくよく考えると苦笑してしまう。
 しかし聖堂へ入っていく者はみな顔を丸くして本当に健康そうだった。
 貧乏で薬の買えんような奴は神に祈ることもさせない宗教なのか……。
「……立派だな」
 ひずめの音に紛れさせて俺から皮肉をぽつりと垂らしておく。
 その言葉に感謝でもするかのように、銀で型取られたシンボルは電灯の光を浴びてキラリと輝いて見せた。

「どうぞお入りください」
 俺たちを案内した者はとある館の中へと足を進めている。
「神殿では無いのか?」
 到着した場所がありきたりな迎賓館だったために少々失礼な物言いをしてしまった。それでもこの者は礼儀正しく深々と頭を下げる。
「申し訳ございません。道が混んでおりエシュ神殿は閉門時間になってしまいました」
「シルヴァー殿には」
「明日一番で調整いたします」
 小さな花瓶だけがあるシンプルにまとめられた玄関で言われた。
「どうしてもダメですか?」
 エセルが声を上げるも「申し訳ございません」と繰り返された。
 理由を聞けば例の夜のお祈りとやらが始まったという話だ。その間エシュは信徒の祈りをこの世の三神に届かすための祈願を行うのだと言う。
 そうは言いつつ飯でも食っているんだろう? などとは考えてはならん。
「……なら仕方が無い。なるべく早い時間によろしく頼む」
「かしこまりました。今夜はこちらでお休みください」
 奥の部屋を覗いてみると、多人数で座れるソファーと薪暖炉のある大部屋が構えていた。軽食もテーブルの上に用意されている。
 了解すればその者は迎賓館を出て行ってしまう。閉められた扉を全員無言で見守るしかなかった。

 今夜に面会できなかったことについては怒りも憂いもしていない。
 むしろギリギリ間に合いそうだったのが幸運だったのである。明日に会えるなら予定通りだ。
「しかしあとニ日か……」
 夜が明けたらシルヴァーとパニエラの王と話をしたい。
 それが早く済んだなら蜻蛉返りして、開戦する前にメルチへの国境を渡れるだろうかと考えている。
「いや、無理だろう……」
  独り言だ。頭の中で複数人の俺が意見を持ち寄っているのだ。そこでは否定意見が盛んであった。
 脳内会議の途中にも関わらず環境音が耳に入って邪魔をされた。音の原因は振り子時計だった。
 大部屋の主人かと思うほどの存在感を示す振り子時計は、古めかしいとは逆にモダンな設計のものだ。そのせいなのか音も軽い。
「大丈夫ですか?」
 そう言いながらテーブルにカップを置いたのはエセルだ。
 カップは二つ置かれて「ルイスさんもどうぞ」と笑顔で声を掛けている。
 ルイスは座らずに扉の近くに立っていた。
「もう寝ても良いんだぞ?」
「はい。これを飲んだらそうします」
 スツールの上に腰掛けてカップのものを口に運んでいた。
 俺もテーブルの上の暖かそうな飲み物を頂くことにする。
「……」
 誰からも何も言い出さない。ただ、軽い振り子時計の音だけが鳴りっぱなしだ。
 俺は足を組んで下を見つめているし、たまにエセルの方へ目線を上げてみれば彼女も同じように下を向いてカップの中を覗いていた。
 ルイスは多分いつものように全体に目を配っている。エセルの淹れた茶には指一本触れる気が無いのだと分かる。
 兵士らはとうに就寝していて静かであった。考え事が捗る夜だが、やはりあの軽音を鳴らせる振り子時計がどうしても邪魔しに入ってくる。
「では、私は先に寝ますね」
 どうやらエセルが最後の一口を飲み干したようだ。
 自分でカップを洗ってから部屋へと行く前、扉のところで振り返った。
「おやすみなさい」
「おやすみ」
 片手を上げる俺にエセルは小さく手を振った。
 ルイスにも会釈したのち、彼女は大部屋から居なくなった。
 不思議と眠くならない俺は大部屋に残されてため息を吐いている。その度に革製のソファーが泣くような音で軋んでいた。
 手付かずのカップはもう冷めきっている。
 何か妙な侘しさだ。そう感じているのは、きっとそのカップのせいだろうと俺は決めつけたのだった。
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