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I.不幸に見舞われた男の末路
あの時の女の子2
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それからは本の形状だったり扉絵の説明なんかを聞かされている。
本のことになると自発的によく話すようになるし、どうやら彼女は本がとても好きみたいだ。それについては微笑ましいと思う。
だけど気になるのは彼女自身のことだ。
内気で自尊心が少し低いところもありそうだけど、チケット無しで乗り込もうなんて突発的な行動も出来てしまう。割と無茶をしがちなタイプだと僕は思う。
それに何かネガティブな理由もありそうだった。
もしもこの場所が病院の問診室だったら色々話を聞いてみる必要があるわけだけど、そうじゃないからなぁ。
僕は悶々とする考えを脳裏に隠し、彼女が嬉しそうに話すのに合わせて相槌を打って時を過ごした。
そうしながらも、ただひとつだけ気になることがある。
彼女が指差すたびに視界に映る黒いレースの手袋だ。それだけはどうしてもどうしても野放しにはしておけない。
「その……」
「はい」
ピシャリと返事をされて顔を上げられる。その真面目で濁りの無い瞳に僕が映されたら、ちょっとだけ言い出しにくい。
「ええっと……その手袋じゃ、寒くない?」
言う言葉を間違えたと自分で分かっていたのに「冬だからさ?」とまで、しくじりを重ねてしまう。
彼女は自分の黒い手袋のことを言われているのだと分かったみたいだ。するとサッと机の下に隠して僕から見えないようにした。
あまり触れてほしくない事だったのか。そう思ったけど、すぐに彼女の方から話してくれた。
「寒さをしのぐためじゃないです。怪我の跡が、少し……」
「あぁ……」
無神経だった僕は酷く反省している。わけもわからず手袋の方を頑張って褒めていた。
だけど結局怪我の話に舞い戻ってしまう。だって僕がとても気にしていたからだ。
「もう痛くは無いの?」
「平気です」
黒いレースの手袋が再び机の上に現れて、本を持ち上げるとまるで子供を抱くように胸に押し付けていた。
「手の怪我はこの本を守るために仕方なくだったので」
伏せ目のままで彼女はその訳を告げた。
「私の働いていた図書館が火事に遭ってしまったんです。本だけはどうしても失いたくなくて。救いたくて。これしか方法が無かったから」
「まさか火の中に手を入れたの?」
彼女は答えるのを躊躇った。
それが僕には「はい」の意味なんだと感じた。
「どうしてそこまでして……」
その時、外の声が個室に入ってきた。「チケットを拝見させていただきます」などの声が掛かっている。やっぱり僕らを追っての確認のようだ。
このままだともうすぐ僕らの部屋にもノックがかかる。
「別のところに行こう」
せっかくの展望部屋だったけど、僕の持ち金で二人分のチケットを買うのはどうしても避けなくちゃならない。
扉に耳を近づけて船員が隣の部屋に入ったのをきっかけに、僕と彼女は部屋を出る。
ちょうど近くでは年配夫婦が空き部屋を探していた。
「空きましたよ。どうぞ」
婦人の肩幅の広いコートに身を隠してもらうようにして、僕らはラウンジから階段を登った。
「ちょっと寒いけど良い?」
「あ、はい」
展望デッキへのガラス戸を開けると一気に寒風が煽ってきた。僕と彼女の前髪を下から掻き上げて、凍るような冷気がコート内の隅々まで駆け抜ける。
「ほ、ほんとうに良い?」
「はい」
彼女がそう言ってくれるなら。僕は意を決してガラス戸を跨ぐ。
外は晴天だ。多くの旅行客が飲み物片手に談笑していて賑やかに見えていた。だけど、実際に展望デッキに出てみれば強風で飛んでいきそうだ。
華奢な彼女ならなおのこと飛ばされていきそうで、僕はその手を握って人の多い場所へ目指した。
風は人の多い場所だと落ち着いたけど寒さはわりとどうにもならない。
しばらく二人で震えながら人混みに混ざっている。
「そういえばアスタリカには大きな国立図書館があるよ。僕はそっちの方向に行く予なんだけど、よかったら道案内しようか?」
話のネタは旅行雑誌で収集したばかりの情報だ。当然土地勘なんてまるで無いし、行く宛てだって何も決まっていない。
ただ正直僕は、彼女がまた無茶なことをしないかが心配だった。
たしか城跡のあるバス停留所でも、彼女は見張りの兵士に怖い顔をされていたんだ。
あれも押し掛けなんだろうと思うとますます不安は拭えない。
でも彼女は僕のことを覚えていないようだから、そこまではさすがに頼れないかな?
「すみません。何から何まで」
風に遊ばれる赤髪をしきりに耳にかけながら、彼女はペコペコとお辞儀をする。
礼儀はあるみたいだけど、やっぱり図々しいというか忖度がないというか。僕としては頼られ過ぎかなと感じてしまうかもしれない。
でもまあ。若いうちはこんなものか。そう僕は思うことにした。
* * *
広場前の小階段で僕らは足を止める。噴水のある石畳で学者のような若い人が多く居た。
そこに面する建物がアスタリカ帝国随一の国立図書館となる。二つの出入り口はまだ開いていて、とりあえず良かったと僕はホッとしていた。
「じゃあ僕はこれで」
「あっ、ありがとうございました」
彼女は深くお辞儀をすると小走りに階段を駆け上がっていく。
夕日が建物の向こうに沈んだところだった。もたもたしていたら閉館時間になってしまう。
彼女は広場に立つと一度僕を振り返った。そして最後の礼を浅くして去っていった。
「……さてと」
彼女が見えなくなると、僕は来た道を戻るのではなく図書館を行き過ぎる。
なだらかな上り坂をこのまま歩いていけば何処に辿り着くかなんて想像も出来ていない。
仕事あがりの車が真横を通っていく。その風に寒さを感じながら歩いていると、目線の先に電話ボックスを見つけて安堵した。
利用者が居ないことも幸運で、僕は滑り込むみたいに電話ボックスに入る。
「あ、もしもし、すみません。保証人無しで一年間契約できるアパートを探しているんですけど……」
黄昏の街にいつのまにか街灯が灯っていた。
僕はこの知らない土地で一年間ほど静かに暮らしていこうと思う。
この時だけは、新鮮な気持ちにちょっとだけ高揚していた瞬間だった。
本のことになると自発的によく話すようになるし、どうやら彼女は本がとても好きみたいだ。それについては微笑ましいと思う。
だけど気になるのは彼女自身のことだ。
内気で自尊心が少し低いところもありそうだけど、チケット無しで乗り込もうなんて突発的な行動も出来てしまう。割と無茶をしがちなタイプだと僕は思う。
それに何かネガティブな理由もありそうだった。
もしもこの場所が病院の問診室だったら色々話を聞いてみる必要があるわけだけど、そうじゃないからなぁ。
僕は悶々とする考えを脳裏に隠し、彼女が嬉しそうに話すのに合わせて相槌を打って時を過ごした。
そうしながらも、ただひとつだけ気になることがある。
彼女が指差すたびに視界に映る黒いレースの手袋だ。それだけはどうしてもどうしても野放しにはしておけない。
「その……」
「はい」
ピシャリと返事をされて顔を上げられる。その真面目で濁りの無い瞳に僕が映されたら、ちょっとだけ言い出しにくい。
「ええっと……その手袋じゃ、寒くない?」
言う言葉を間違えたと自分で分かっていたのに「冬だからさ?」とまで、しくじりを重ねてしまう。
彼女は自分の黒い手袋のことを言われているのだと分かったみたいだ。するとサッと机の下に隠して僕から見えないようにした。
あまり触れてほしくない事だったのか。そう思ったけど、すぐに彼女の方から話してくれた。
「寒さをしのぐためじゃないです。怪我の跡が、少し……」
「あぁ……」
無神経だった僕は酷く反省している。わけもわからず手袋の方を頑張って褒めていた。
だけど結局怪我の話に舞い戻ってしまう。だって僕がとても気にしていたからだ。
「もう痛くは無いの?」
「平気です」
黒いレースの手袋が再び机の上に現れて、本を持ち上げるとまるで子供を抱くように胸に押し付けていた。
「手の怪我はこの本を守るために仕方なくだったので」
伏せ目のままで彼女はその訳を告げた。
「私の働いていた図書館が火事に遭ってしまったんです。本だけはどうしても失いたくなくて。救いたくて。これしか方法が無かったから」
「まさか火の中に手を入れたの?」
彼女は答えるのを躊躇った。
それが僕には「はい」の意味なんだと感じた。
「どうしてそこまでして……」
その時、外の声が個室に入ってきた。「チケットを拝見させていただきます」などの声が掛かっている。やっぱり僕らを追っての確認のようだ。
このままだともうすぐ僕らの部屋にもノックがかかる。
「別のところに行こう」
せっかくの展望部屋だったけど、僕の持ち金で二人分のチケットを買うのはどうしても避けなくちゃならない。
扉に耳を近づけて船員が隣の部屋に入ったのをきっかけに、僕と彼女は部屋を出る。
ちょうど近くでは年配夫婦が空き部屋を探していた。
「空きましたよ。どうぞ」
婦人の肩幅の広いコートに身を隠してもらうようにして、僕らはラウンジから階段を登った。
「ちょっと寒いけど良い?」
「あ、はい」
展望デッキへのガラス戸を開けると一気に寒風が煽ってきた。僕と彼女の前髪を下から掻き上げて、凍るような冷気がコート内の隅々まで駆け抜ける。
「ほ、ほんとうに良い?」
「はい」
彼女がそう言ってくれるなら。僕は意を決してガラス戸を跨ぐ。
外は晴天だ。多くの旅行客が飲み物片手に談笑していて賑やかに見えていた。だけど、実際に展望デッキに出てみれば強風で飛んでいきそうだ。
華奢な彼女ならなおのこと飛ばされていきそうで、僕はその手を握って人の多い場所へ目指した。
風は人の多い場所だと落ち着いたけど寒さはわりとどうにもならない。
しばらく二人で震えながら人混みに混ざっている。
「そういえばアスタリカには大きな国立図書館があるよ。僕はそっちの方向に行く予なんだけど、よかったら道案内しようか?」
話のネタは旅行雑誌で収集したばかりの情報だ。当然土地勘なんてまるで無いし、行く宛てだって何も決まっていない。
ただ正直僕は、彼女がまた無茶なことをしないかが心配だった。
たしか城跡のあるバス停留所でも、彼女は見張りの兵士に怖い顔をされていたんだ。
あれも押し掛けなんだろうと思うとますます不安は拭えない。
でも彼女は僕のことを覚えていないようだから、そこまではさすがに頼れないかな?
「すみません。何から何まで」
風に遊ばれる赤髪をしきりに耳にかけながら、彼女はペコペコとお辞儀をする。
礼儀はあるみたいだけど、やっぱり図々しいというか忖度がないというか。僕としては頼られ過ぎかなと感じてしまうかもしれない。
でもまあ。若いうちはこんなものか。そう僕は思うことにした。
* * *
広場前の小階段で僕らは足を止める。噴水のある石畳で学者のような若い人が多く居た。
そこに面する建物がアスタリカ帝国随一の国立図書館となる。二つの出入り口はまだ開いていて、とりあえず良かったと僕はホッとしていた。
「じゃあ僕はこれで」
「あっ、ありがとうございました」
彼女は深くお辞儀をすると小走りに階段を駆け上がっていく。
夕日が建物の向こうに沈んだところだった。もたもたしていたら閉館時間になってしまう。
彼女は広場に立つと一度僕を振り返った。そして最後の礼を浅くして去っていった。
「……さてと」
彼女が見えなくなると、僕は来た道を戻るのではなく図書館を行き過ぎる。
なだらかな上り坂をこのまま歩いていけば何処に辿り着くかなんて想像も出来ていない。
仕事あがりの車が真横を通っていく。その風に寒さを感じながら歩いていると、目線の先に電話ボックスを見つけて安堵した。
利用者が居ないことも幸運で、僕は滑り込むみたいに電話ボックスに入る。
「あ、もしもし、すみません。保証人無しで一年間契約できるアパートを探しているんですけど……」
黄昏の街にいつのまにか街灯が灯っていた。
僕はこの知らない土地で一年間ほど静かに暮らしていこうと思う。
この時だけは、新鮮な気持ちにちょっとだけ高揚していた瞬間だった。
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