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I.危機と恋心

友人としての会話

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 スーパーマーケットの一角にパーティションで囲まれた区画がある。そこが僕の職場だ。
 以前のように、レジ打ちをする必要も丁寧な接客もしなくていい。僕はこのパイプ椅子に座っているだけで、目の前のパイプ椅子にお客が座る。
 お客はその場で書いたアンケート用紙を持参で、それを頼りに僕が悩みに答えてあげればいい。
 話す内容は今晩の献立相談から世界情勢の不安まで幅が広いけど、なかなかやりがいのある仕事だ。
「三番のお席へどうぞー」
 パーティションの向こうで案内の人の声が聞こえた。僕の元にまた相談者がやってくるみたいだ。
 こちらは緊張の色を見せないで悠々とし、しかし決して業務的な態度を取らずに待機した。
「うーわ。免停くらってんのに働いてやんの」
 しかしそのお客は登場から口が悪かった。
 しかも、僕の超個人的な情報を大きな声で口に出す。他にも誰かを傷つけそうな言葉を闇雲に放った。
 僕は周りの目を盗んでそのお客の口を封じた。
 手のひらを押し付けて「息ができない」と苦しまれるけど知るもんか。黙ってくれるならそれでも良い。
「お悩み相談室だよ! 資格不問のアルバイト!!」
 僕は声量を抑えて力説した。手元で取り押さえた男は、モゴモゴと言いながら何度も頷いていた。
 それから静かに座ると約束してから解放した。
「お前ってほんと働くのが好きだよな」
 一端の大人が呆れ返ってそう言っている。
 僕はそんな自立を覚えないジャッジに呆れ返った。
「そうだよ」以上のことを言うのはやめた。

 本の解読が終わるまで、独身男の僕が世帯を持つ家でくつろいでいるなんて出来はしない。
 知らない街をぶらぶら観光するより、やっぱり僕は仕事をしていた方が色々気が楽なんだ。
 これといった悩みも無いらしいジャッジだけど、全然帰ろうとしないで周りの雰囲気に「へー」とかなんとか適当に言っていた。
 僕は同じ給料を貰えるならサボるよりもしっかり働いていたい派だ。そろそろジャッジには強制連行で出て行ってもらうしかなさそうだな。
 いよいよ手に掛けようと決断した時、ジャッジが「そういえば」と口を開けた。
「娘っこが居ねえな。見捨てて来たのか?」
「は?」
 信じられないあまり口をぽかんとする僕にジャッジは勝手に続ける。
「んだよ。まだ肩入れしてんのか。やめとけ、やめとけ。危ない橋は渡るもんじゃねーぞ」
 僕はようやくジャッジが何を言っているのか分かりだす。
「……お、お前に言われたくなんだけど」
 どっかの国の軍人と仲良くなるような友人なんて、それこそ危ない橋なんじゃないか。 
「アルゼレアはリサのところだよ」
「ほえ? リサ? ……あのリサか!」
「そうだよ。お前にも会いたがってた」
 ジャッジにとっても僕と同じ昔の友人だ。「懐かしな~」とか「変わってないだろうな~」とかやけに嬉しそうに言っている。
 普通に懐かしむだけにしとけば良いのに、だんだんと下品な見方で懐かしんでいくのはやめてくれと思う。
 聞いていられないような過去話に僕がうんざりしていたら、ある程度のところでジャッジが現在に戻ってきた。
「で? お前は?」
 僕はジャッジに突拍子もなく指をさされている。
 一体何のことか分からず固まっていたら「そうか分かったぞ」と手を打たれる。
「お前、リサと結婚してあの娘っこのパパになるんだろ」
 しばらくの無言。
 急にスーパーマーケットのレジ音が盛大に鳴りだしたみたいな感覚だ。
 そしてジャッジから冗談だと言われないことで、ようやく僕の喉から息が詰まったみたいな音が出る。
「何言ってんの?」
「違うの?」
「当たり前だ」
 リサは既婚者だということを伝えたらジャッジは随分悔しがっていた。
 確かにリサは大学でも人気のある女性だったから、そういう気持ちになるのは少しなら理解できる。
「嘆いても覆らないよ」
「現実を言うなよ」
「お前はもう少し現実を見ろ」
 図らずも僕から彼への精一杯のアドバイスが出来て満足だ。これをありがたく受け取ってちゃんとした職業で食べて行けました。で、終わってほしい。
 なのにジャッジは話を変えて「でもさ」と言う。
「昔の恋仲に再会したってのにさ、相手が歳下の娘にお熱なんだもんな。あー、リサが可哀想。俺が慰めてあげなくっちゃ……」
 現実を受け入れたく無いあまり防衛機制に走ってしまっている。
「慰め役はお前じゃないだろ。それに僕とリサが恋仲だったことなんて無い」
 学生時代の淡い記憶が知らずに蘇ってくるけど、それはもう過去の話だと切り捨てられる。
 それを拾い上げるかのようにジャッジはまた要らないことを言ってくる奴だった。
「好きだったくせに」
「……」
 それが青春の真面目さを取り戻しているような言い方ならまだ良い。
 でも、ジャッジが言うのは人を小馬鹿にしたようにニタニタ笑いながらで腹が立つんだ。
 こっちは人の感情を弄ぶなと睨んでいるのに、ジャッジは知らん顔が出来る。
「それとも今は歳下がタイプになったか? まあ、リサよりはちぃーっと寸胴でサイズが足りないが、生娘っていうのもまあ」
「ジャッジ!!」
 僕の雷が落ちるなり「あらやだ」とジャッジはおどけた。
 パイプ椅子からそっと立ち上がってパーティションの向こうへ消えていく。
「……」
 僕は一人で歯をキリキリ噛んでいたけど、やがて脱力した。 
 カッとなっても良いことなんて無い。怒りの念を吐き出すためにも、大きな溜め息をわざとついて気を落ち着かせた。
 案内役の人が僕を気にかけて覗きに来てくれたけど、僕は次の相談者を受け入れてこれまで通りの業務に戻れる。これも医者精神のひとつなのかもしれない。
 でも帰り道なんかで思い出せばまだアイツを許せそうにない。
 なんで僕はあんな下品極まりない奴と友人関係なんだ。
 出会った頃に戻って考えてみても、仲良くなるきっかけなんてひとつも見当たらないのに。
 アイツは、リサのこともアルゼレアのことも無神経に物を言う。
 あまり僕のことも知ったように言わないでほしい。それと下世話な話題は持ちかけないでほしい。


(((次話は明日17時に投稿します

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