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II.セルジオの落とし穴
厄災が再来
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「フォルクス~!! 助けてくれ~!! 俺はそんな妙獣なんかじゃ無えんだよ~!!」
喚く声の次に荒ぶるカメラ映像。その末ひとりの男をばっちり捉えている。なんとも頼りない顔で呆気に取られた男だ。外でシャワーでも浴びてきたかのように上から下まで水浸しだし。見ていられない。……テレビの電源はオフに。
しばらく不在にしていたアスタリカの我が家。大家さんが管理してくれていたおかげで何ともない。とにかく綺麗めのタオルを選んでアルゼレアと、それからジャッジにも渡した。
「エレベーターも無えのな。ボロっちい家」
「工事中だっただろう? それにお前に言われる筋合いは無い」
住宅密集地のこのアパートは外設置の螺旋階段で登る。僕にとっては別に悪くなかったけど、こういう客人を案内してみると、初めてエレベーターを取り付けるのは良いことだと思った。
客人とはジャッジのことじゃなくて、アルゼレアのことね。
「寒くない? そこのソファーで休んで」
「あ、ありがとうございます」
濡れた髪がくねくねとしているアルゼレア。お人形のようでちょっと可愛らしい。
人の家でより大人しくなるアルゼレアと反対に、ジャッジはこの家のことを次々とケチを付けてきた。日当たりが悪いとか、家具が古いとか、センスが無いとか。
「備え付けの家具なんだから僕のセンスじゃないよ」
キッチンテーブルとイスはセットで、食器棚とビューローとも色味を合わせてある。シンプルだけど洗礼されている印象だ。リビングには合成皮のソファーとローテーブルで十分にくつろげるし、生活に困ることがない。
おそらく僕が選ぶものよりかなりセンスが良い。家賃の割には高い生活水準に見えると思うし、気に入っているんだ。
キッチンの戸棚を確認してコーヒー豆と紅茶を取り出す。期限はどちらも大丈夫そう。ガスも通っているからポットでお湯を沸せるし問題ないね。
楽しい会話でお茶会をしたかったけど。本題がジャッジのこととなると平和ではいられない。
「だーかーら、ほんっとに俺じゃねえっての」
必死に逃げ惑っていたジャッジはもうすでに開き直っていた。命が助かったとなればすぐに余裕をかまして人の家のソファーであぐらだ。
「だったらどうしてそんな間違えやすい髪色なんだよ」
「美容室に行く暇と金が無かったんだよ。お前が俺に金を貸さないからこうなった」
「本当にお前じゃないんだな? オソードっていう本を盗んだんだ。お前じゃないんだよな?」
「しつけぇな。違うって言ってんだろ。知らねえよ。何だよオソードって」
この男は嘘は付かない。清々しいほど正直で隠し事ができず、加えて何にも悪びれないという悪の天才だ。だから、していないと言ったら、していないんだろう。でも、様子がおかしい。
「……分かったよ。でもじゃあ、なんでさっきからソワソワしてるの」
「へっ、へええ!?」
妙な驚き方をしている。ジャッジはカップを持ち上げるけど、それにはコーヒーはもう入っていない。かれこれ三回目の奇行だ。絶対におかしい。
通り雨で冷えた部屋なのに彼だけが汗を拭っている。そうしながらもチラッと自分のコートを何度か見たのを僕は気に留めた。
「コートに何かあるんだね?」
だったらぼくはジャッジのコートに手をかける。あらゆるポケットをひっくり返して中のものを落とした。本の表紙に手紙を隠してあったのを参考に、生地の折り返し縫いのところも注意深く確認した。
「無い! 何も無いって!」
分かりやすい動揺だな。何かある時の言い訳じゃないか。
ポケットから落ちたものはアルゼレアが拾って机の上に乗せる。財布にガムにライター……。
「タバコも吸わないのに何でライターなんか持ってるの?」
「拾いもん。上等そうだから売って小遣いにする」
まるで大人の意見じゃなくて、僕からは「はぁ」としか出ない。寂しい財布の中も見たけどこれといって何も。
「だから無いって言ってんじゃん」
「何が無いんだ」
僕の勘はまだ働いているぞ。これでも長い付き合いなんだから絶対何かある。
するとジャッジは大きなため息を吐いた。それは観念したという意味だ。
「……鍵」
カギ?
「持っているだけで良いって言われてた鍵をな。失くしちまったんだ」
「なんだそれ」
子供がする言い訳みたいに聞こえたけど、ジャッジは両手で顔を隠しておいおい泣くフリをする。鍵を失くしただけでそんなにショックを受けるものなのか? 宝箱とか金庫の鍵なのかなって思った。でも違うみたいだ。
ジャッジは泣き真似を交えて訴えた。
「お前らがフェリーに乗って行った後にな、俺はアスタリカ警察に追われたんだぜ? セルジオに協力したから反逆者ってことにされてさ。泊まる場所も食べるものもなくって路頭で生き倒れる寸前だったんだ。そんな時に助けてくれた人がいたんだ。鍵を持っていてくれさえすればアスタリカの追ってから撒いてやるって。俺は助かったんだ。助かったんだけどな……」
僕に縋り付いてきて慌てて引き剥がしたら、ジャッジは本当に涙を流している。
「失くしちまったんだよお! ポケットに入れといたのが、ある時すっかり失くなってんの。どっかに落としたのかなあ!」
「し、知らないよ!」
涙も鼻水も僕の服に擦り付けられていた。
温まったコーヒーをジャッジがちびちび飲んでいる。途中で鼻をすんすんとすすっている。そんな不恰好極まりない男を、僕とアルゼレアが黙って見守った。だって何を言ってあげたらいいのか分からない。
感情的になるのは一旦落ち着いたみたい。
「その出会った人って誰?」
「……さあ。知らない男だけど」
「見た目は?」
「覚えてない」
肩を落とした僕はアルゼレアと「困ったな」を共有した。バトンタッチでアルゼレアから「鍵を最後に持っていたのはどこですか?」と聞いてくれた。
「分からない」
ジャッジは即答だ。考えて答えていない。明らかにいじけている。歳下のアルゼレアにも気を遣わせるなんて、とんでもない奴だよ、ほんと。
僕は友人をますます嫌いになって向き合うのをやめた。精神的にも物理的にもだ。
「大丈夫だよアルゼレア。オソードはきっと心配ない。ゼノバ教皇も戻ってくるって言ってたし」
励まそうと思っている僕の背後から「無責任だな」といじけた声が刺してきた。「人頼りかよ」とも。知らない。構ってられるか。
「とにかく僕は明日また六番街で買い物を済ませてくる」
「わっ、私も行きます」
「ううん。僕ひとりで行ってくる。事件の直後だからね。危ないかもしれないから」
また背後から声が。「面倒事になりたくないだけだろ。娘っ子の熱意も汲んでやれ。男が廃ってるよお前は。劇的に女心に疎い。ああ、疎い」
「……ジャッジ。うるさいよ」
「へいへい」
再びアルゼレアに向き直ったら、一緒に行きたいと再度言われてしまった。……それはまあ了承するよ。彼女の熱意に押されてさ。背後にいる悪魔の言葉で動いてじゃなく。
「じゃあまた早朝に。大臣に届け物をしたら午前のフェリーに全然間に合いそうだ」
「お、おい、フォルクス。まさか俺を置いて行かないよな!? 俺の問題はどうすんだよ? 俺、フェリー代なんか払えねえよ!?」
背中から羽交締めにしてくる悪魔を振り払った。
「僕は今アルゼレアと話をしているの。邪魔しないでもらっていいかな」
「ふぉるくしゅ~……」
涙腺がまだ緩いジャッジはえんえんと泣く。僕には知ったこっちゃないよ。今度こそ……今度こそ本当に罰でも食らってみたらいい。
「ね? アルゼレア」
彼女にも僕と同じ悪い人になってほしいのとは違うんだけど。ジャッジの滑稽さにはアルゼレアでも微笑か苦笑くらいこぼしているんじゃないかと思った。
しかし彼女は難しい顔をしていた。何か悩んでいた。この場で僕から聞いたりはしなかった。だってもしも僕の勘と当たっていたら悲しかったから。
アスタリカを出国するのを躊躇っている。僕が気持ちに疎いだって? ひしひしと伝わっているよ。アルゼレアがアスタリカで何か前進しようとしていることくらい。
(((次話は明日17時に投稿します
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喚く声の次に荒ぶるカメラ映像。その末ひとりの男をばっちり捉えている。なんとも頼りない顔で呆気に取られた男だ。外でシャワーでも浴びてきたかのように上から下まで水浸しだし。見ていられない。……テレビの電源はオフに。
しばらく不在にしていたアスタリカの我が家。大家さんが管理してくれていたおかげで何ともない。とにかく綺麗めのタオルを選んでアルゼレアと、それからジャッジにも渡した。
「エレベーターも無えのな。ボロっちい家」
「工事中だっただろう? それにお前に言われる筋合いは無い」
住宅密集地のこのアパートは外設置の螺旋階段で登る。僕にとっては別に悪くなかったけど、こういう客人を案内してみると、初めてエレベーターを取り付けるのは良いことだと思った。
客人とはジャッジのことじゃなくて、アルゼレアのことね。
「寒くない? そこのソファーで休んで」
「あ、ありがとうございます」
濡れた髪がくねくねとしているアルゼレア。お人形のようでちょっと可愛らしい。
人の家でより大人しくなるアルゼレアと反対に、ジャッジはこの家のことを次々とケチを付けてきた。日当たりが悪いとか、家具が古いとか、センスが無いとか。
「備え付けの家具なんだから僕のセンスじゃないよ」
キッチンテーブルとイスはセットで、食器棚とビューローとも色味を合わせてある。シンプルだけど洗礼されている印象だ。リビングには合成皮のソファーとローテーブルで十分にくつろげるし、生活に困ることがない。
おそらく僕が選ぶものよりかなりセンスが良い。家賃の割には高い生活水準に見えると思うし、気に入っているんだ。
キッチンの戸棚を確認してコーヒー豆と紅茶を取り出す。期限はどちらも大丈夫そう。ガスも通っているからポットでお湯を沸せるし問題ないね。
楽しい会話でお茶会をしたかったけど。本題がジャッジのこととなると平和ではいられない。
「だーかーら、ほんっとに俺じゃねえっての」
必死に逃げ惑っていたジャッジはもうすでに開き直っていた。命が助かったとなればすぐに余裕をかまして人の家のソファーであぐらだ。
「だったらどうしてそんな間違えやすい髪色なんだよ」
「美容室に行く暇と金が無かったんだよ。お前が俺に金を貸さないからこうなった」
「本当にお前じゃないんだな? オソードっていう本を盗んだんだ。お前じゃないんだよな?」
「しつけぇな。違うって言ってんだろ。知らねえよ。何だよオソードって」
この男は嘘は付かない。清々しいほど正直で隠し事ができず、加えて何にも悪びれないという悪の天才だ。だから、していないと言ったら、していないんだろう。でも、様子がおかしい。
「……分かったよ。でもじゃあ、なんでさっきからソワソワしてるの」
「へっ、へええ!?」
妙な驚き方をしている。ジャッジはカップを持ち上げるけど、それにはコーヒーはもう入っていない。かれこれ三回目の奇行だ。絶対におかしい。
通り雨で冷えた部屋なのに彼だけが汗を拭っている。そうしながらもチラッと自分のコートを何度か見たのを僕は気に留めた。
「コートに何かあるんだね?」
だったらぼくはジャッジのコートに手をかける。あらゆるポケットをひっくり返して中のものを落とした。本の表紙に手紙を隠してあったのを参考に、生地の折り返し縫いのところも注意深く確認した。
「無い! 何も無いって!」
分かりやすい動揺だな。何かある時の言い訳じゃないか。
ポケットから落ちたものはアルゼレアが拾って机の上に乗せる。財布にガムにライター……。
「タバコも吸わないのに何でライターなんか持ってるの?」
「拾いもん。上等そうだから売って小遣いにする」
まるで大人の意見じゃなくて、僕からは「はぁ」としか出ない。寂しい財布の中も見たけどこれといって何も。
「だから無いって言ってんじゃん」
「何が無いんだ」
僕の勘はまだ働いているぞ。これでも長い付き合いなんだから絶対何かある。
するとジャッジは大きなため息を吐いた。それは観念したという意味だ。
「……鍵」
カギ?
「持っているだけで良いって言われてた鍵をな。失くしちまったんだ」
「なんだそれ」
子供がする言い訳みたいに聞こえたけど、ジャッジは両手で顔を隠しておいおい泣くフリをする。鍵を失くしただけでそんなにショックを受けるものなのか? 宝箱とか金庫の鍵なのかなって思った。でも違うみたいだ。
ジャッジは泣き真似を交えて訴えた。
「お前らがフェリーに乗って行った後にな、俺はアスタリカ警察に追われたんだぜ? セルジオに協力したから反逆者ってことにされてさ。泊まる場所も食べるものもなくって路頭で生き倒れる寸前だったんだ。そんな時に助けてくれた人がいたんだ。鍵を持っていてくれさえすればアスタリカの追ってから撒いてやるって。俺は助かったんだ。助かったんだけどな……」
僕に縋り付いてきて慌てて引き剥がしたら、ジャッジは本当に涙を流している。
「失くしちまったんだよお! ポケットに入れといたのが、ある時すっかり失くなってんの。どっかに落としたのかなあ!」
「し、知らないよ!」
涙も鼻水も僕の服に擦り付けられていた。
温まったコーヒーをジャッジがちびちび飲んでいる。途中で鼻をすんすんとすすっている。そんな不恰好極まりない男を、僕とアルゼレアが黙って見守った。だって何を言ってあげたらいいのか分からない。
感情的になるのは一旦落ち着いたみたい。
「その出会った人って誰?」
「……さあ。知らない男だけど」
「見た目は?」
「覚えてない」
肩を落とした僕はアルゼレアと「困ったな」を共有した。バトンタッチでアルゼレアから「鍵を最後に持っていたのはどこですか?」と聞いてくれた。
「分からない」
ジャッジは即答だ。考えて答えていない。明らかにいじけている。歳下のアルゼレアにも気を遣わせるなんて、とんでもない奴だよ、ほんと。
僕は友人をますます嫌いになって向き合うのをやめた。精神的にも物理的にもだ。
「大丈夫だよアルゼレア。オソードはきっと心配ない。ゼノバ教皇も戻ってくるって言ってたし」
励まそうと思っている僕の背後から「無責任だな」といじけた声が刺してきた。「人頼りかよ」とも。知らない。構ってられるか。
「とにかく僕は明日また六番街で買い物を済ませてくる」
「わっ、私も行きます」
「ううん。僕ひとりで行ってくる。事件の直後だからね。危ないかもしれないから」
また背後から声が。「面倒事になりたくないだけだろ。娘っ子の熱意も汲んでやれ。男が廃ってるよお前は。劇的に女心に疎い。ああ、疎い」
「……ジャッジ。うるさいよ」
「へいへい」
再びアルゼレアに向き直ったら、一緒に行きたいと再度言われてしまった。……それはまあ了承するよ。彼女の熱意に押されてさ。背後にいる悪魔の言葉で動いてじゃなく。
「じゃあまた早朝に。大臣に届け物をしたら午前のフェリーに全然間に合いそうだ」
「お、おい、フォルクス。まさか俺を置いて行かないよな!? 俺の問題はどうすんだよ? 俺、フェリー代なんか払えねえよ!?」
背中から羽交締めにしてくる悪魔を振り払った。
「僕は今アルゼレアと話をしているの。邪魔しないでもらっていいかな」
「ふぉるくしゅ~……」
涙腺がまだ緩いジャッジはえんえんと泣く。僕には知ったこっちゃないよ。今度こそ……今度こそ本当に罰でも食らってみたらいい。
「ね? アルゼレア」
彼女にも僕と同じ悪い人になってほしいのとは違うんだけど。ジャッジの滑稽さにはアルゼレアでも微笑か苦笑くらいこぼしているんじゃないかと思った。
しかし彼女は難しい顔をしていた。何か悩んでいた。この場で僕から聞いたりはしなかった。だってもしも僕の勘と当たっていたら悲しかったから。
アスタリカを出国するのを躊躇っている。僕が気持ちに疎いだって? ひしひしと伝わっているよ。アルゼレアがアスタリカで何か前進しようとしていることくらい。
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