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II.停戦期間が終わる

王子様との対峙

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 日光が陰りだしてから僕は資格本から顔を上げた。すぐにひと雨来そうとはいかないけど、外で読書するには不安な空模様になっている。
 そろそろ家に帰ろう。思い立ってベンチを立つと、こちらに歩いてくるイビ王子と目が合った。彼の方から僕に用があったわけじゃなく、たまたまこっち方向に歩いていたら立ち上がった僕と出会ったみたい。
 それでイビ王子は驚いていた。僕がこんなところに居ることを。
「ええっと、フォルクス君……だったかな?」
「お見知りいただけて嬉しいです」
「そんなそんな。君はアルゼレアの恋人だろう? 最近ちょっと上手くいっていないようだけど」
 僕とアルゼレアとの関係をバッチリ言い当てた上で、名前はギリギリ思い出せたという感じなんだな。
「アルゼレアは中にいるけど、会って行かないのかい?」
「ええ。この時間、彼女は仕事中ですし。邪魔をしてはいけないので」
 さらっと親しく呼ばれることに気持ちが止まってしまうけど、僕はなるべく気を乱さずに接することを心がけた。それは大人としての当然の振る舞いだ。
 対してイビ王子は子供っぽい。王族ってことで甘やかされて育つとこういう風になるんだろうか。アルゼレアの仕事の邪魔をしないでね、って遠回しに伝えてみたつもりなんだけど。彼にはピンと来ていないみたいだ。
 ともあれ長居は無用だ。
「では僕はこれで」
 しかし相手の「そういえば!」の方が大きな声だった。
「無事にオソードの件は解決できたみたいだね。あのロウェルディ大臣とゼノバ教皇の間を取り持つなんて、すごいことだよ! 一体どうやったんだい!?」
「こ、声が大きい……」
 周りを見るとたくさんの目線が向いている。当然僕よりもうんと耳を鍛えた人たちだ。だったら我先にと足も向くだろう。このまま気にせずに色々喋られたら、それこそアルゼレアに迷惑がかかると分からないのか。
「イビ王子。場所を変えましょう」
「えっ、どうして?」
「アルゼレアのためです!」

 僕たちは報道陣に追いつかれないように走って逃げた。広場を出て、大通りを抜けて、住宅街に入って、誰かの家の庭から突き抜けた公園でようやく振り切れたみたい。
 辛くて息を切らしていたのは僕だけだ。連れ回した王子様は爽やかな汗と一緒に楽しそうな表情でいた。「面白かったね」と言っていた。……全然だよ。
 平日の公共公園は静か。向こうのベンチで乳母車を揺らす母親がいるだけで、他はがらんとしている。イビ王子は子供向けの遊具にときめいて走り出す寸前だった。それをちょっと待ったと僕が彼を引き留めた。
「あんなに大声で。一体どういうつもりですか」
 ぶつけるように言ってしまう。「えっ」と漏らすイビ王子が曇りのない瞳で僕を見ている。特に悪びれるとか、焦っているような表情も無しか。
「大臣や教皇との関係を知らしめるような公言はやめてもらえませんか。アルゼレアが迷惑を被ることになるんですよ」
「どうして? 彼女は気にしていないと思うけど」
「気にしているかどうかじゃなくて、これ以上危険にさらさないで欲しいんです。政治や権力の問題はそっちが解決するべきものでしょう。もう巻き込まないでください!」
 さっぱりと言い切れた清々しさがあった。だけど相手は納得がいっていないみたいで、頭の後ろに手をやっている。
「うーん、君。何か勘違いしていないかい? ボクがアルゼレアに会いに行っているのは好意があってだから、そんな難しい理由は特に無いよ?」
「だったらそれもやめてください。彼女は僕の恋人なので」
 ……今は危機ではあるけど。
 一瞬起こった僕の心の揺らぎが見抜かれていて、イビ王子は目を細くして少し笑っていた。
「なるほど……ライバル登場か。燃えてしまうね」
「いいえ、違います」
 面白くないなと呆れられた。でもそれでいい。僕は何も面白い話をしていないからね。
 僕とアルゼレアのわだかまりは二人のものであって、第三者が入り込んでくるのは間違っている。健全な男子なら略奪愛に燃えるのじゃなくて、もっと他に目を向けるべきだ。
 僕がそれを彼に伝えなくちゃならない義理はないけど。あんまりしつこいと説教してやるぞと、こっちは強い意志を持っているんだ。
 しかしイビ王子は相変わらず余裕があるようで、近くのブランコに座ってから「でもなぁ~」と声を出しながら少し揺れだした。
「三カ国首脳会議には連れて行ってあげるって言っちゃったからなぁ」
「えっ、はあ!?」
 ガツガツ歩いてブランコを片手で止める僕。
「どういうことですか!」
「オソードの件はエルシーズにとって非常に重大な事件だけど、エシュ信徒にとっても切り離せない問題なんだ。だから今回の首脳会議ではそれが話題の中心になるだろうねって話したら、ぜひ話を聞きたいってアルゼレアが」
 最後まで聞いたら僕は足に力が入らなくなっていた。片手で掴んだブランコに揺さぶられながら、脳内にアルゼレアの懸命で真っ直ぐな表情が浮かんでくるみたいだ。
「……遅かったのか」
「なに? 気分が悪いって?」
 確かに今の僕は調子が悪そうに見えるだろうね。だって相当ガッカリしてしまった。アルゼレアは大臣にあんな仕打ちを受けていたのに、そこまでしてオソードのことを知りたいのか。本のことが大事なのか。それに今回は僕に相談も無しだ。
「三カ国首脳会議はいつなんですか……」
「えーっと……ああ!! さっきの鐘で始まっている!! 君のせいでアルゼレアを待たせちゃったじゃないか~」
 やっぱり僕に何も言わなかったんだな。アルゼレアのことを守りたいとか言っておいて、結局何も出来ずに終わった根性なしの男だからか。
 正直落ち込む。でも、ここでへたれていたら意味がないよ。颯爽と立ち上がったイビ王子の腕を掴んだ。
「それ、僕が行きます」
「え。なんで?」
「今からアルゼレアのところに行こうとしているんですよね? だったら僕が彼女の代わりに話を聞いてきますから案内してください」
「いやいや……」
 僕を振り解こうったってそうはさせない。三カ国首脳会議の席にはマーカスさんも座るわけだから、そんなの絶対にアルゼレアには向かわせられないだろう。



(((次話は明日17時に投稿します

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