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lll.オソードとアルゼレア

神が存在するとした上で聞く話1

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 タクシーが到着し、僕が支払いを済ませていると外側から扉が開かれる。整備されていて不必要な飾りも施していない玄関ポーチ。そこでマーカスさんが僕に微笑みを向けていた。
「お帰りなさい。お話よろしいですか?」
 食事の前にとのこと。マーカスさんについていく形で大使館に入り、どこかの部屋で話をするのかと思えば、膨らんだ廊下で彼の足が止まった。
「アルゼレアさんとのアポが取れました。もちろん行かれますよね?」
 くるりと振り返ってそう言った。
 ここで僕が恋人への恋しさに負けて「行く!」とは即決しない。
「何か陥れる罠じゃないですよね?」
 マーカスさんの眉毛が大きく上へ跳ねた。
「今まで陥れようとしたことなんてありません」
 悠々とした態度で答えるマーカスさんに、僕は少し圧をかけるつもりで見ていた。でも効き目は薄い。結局僕が悪い気持ちになって逸らしてしまう。……確かに不遇に遭っただけで策略にはめられたわけじゃないか。なんて思いながら。
「アルゼレアに会って、何を話せって言うんですか」
「……おかしなことを言いますね。せっかく恋人と会うのにずいぶんと気を張っていらっしゃる」
「僕から彼女に伝えて欲しいことがあるんでしょう?」
 するとマーカスさんはおどけるのをやめた。その証拠に、トレードマークにもなっているサングラスに手をかけた。
 レンズの縁をそっと持って外す。やっぱり目を見たらゾッとした。目線が合うとますます怖くなる瞳だ。そしてサングラスなしではマーカスさんは一瞬たりとも笑わなくなる。
「オソードを手放すようにお伝えください。それがアルゼレアさんにとって危険を回避することになります。フォルクスさんにとっても最悪の状況に巻き込まれずに済みます」
 もう何度も最悪の状況に巻き込まれ続けた僕にとっては、神様よりすがりたいくらいの案件だ。だけどアルゼレアがそう簡単にオソードを手放してくれるなんて思わない。説得するにも正当な理由が無いと。
「どうしてアルゼレアからオソードを引き離したいんですか。もしも危険を察知しているなら、ロウェルディ大臣を引き離すべきじゃないですか? アルゼレアに陰謀なんてありません。オソードを使って何かを得ようなんて考える人じゃない」
 真剣な視線が向けられ、眉も口角もピクリとも動かず。ありのままのマーカスさんは停止してしまった機械のような男だ。僕の言葉を聞いて、心に響くことがあるのかと疑ってしまうほど。
「……では。私の目的をお教えしましょう」
「是非お願いします」
「私の目的は『世界平和』です」
「え?」
 なんて冗談ですよ。とか、サングラス無しのマーカスさんが言いそうもない。
 切り返しの言葉を考える僕。その辺の絵画や鉢植えの緑へよそ見をしていると、廊下を通りたい人と目が合った。壁の裏でタイミングを測っていたみたい。どうぞ、と促して通してあげる。
「あの。場所を変えた方が良くないですか……」
「そうですか? では……」
 何でもない扉を開けるとそこは書斎だった。「手狭ですが、どうぞ」と来客用のソファーをすすめられる。まさかと思うけど、きっとそうだ。僕はマーカスさんの書斎に入ってしまったよう。

 部屋の主は書斎机に座っている。ソファーの僕とは方向がまるで合っていない。お互いに全然違う景色を見つめていて、だけど会話だけは続けられている。
「エシュについて理解を深められたようですね。アレについては謎が多すぎるので、残念ながら断定してものを言えないのです。エシュが神であるという伝説さえ聞く人によって反感を得ます。フォルクスさんが気にされないのでしたら、エシュが三千年も生き続けている神であるとした上でお話してもよろしいですか?」
 ……確かに、神様が居るって急に言われても信じられない。だから僕は一度目で聞く耳を塞いだ。アルゼレアのことを勘違いしているし、何か筋違いなことを植え付けられそうだと身構えてしまったんだ。
「大丈夫です。話してください」
 度胸が備わった僕はもう動揺したりしないと思っていたけど、やっぱり前知識なしでは拒否反応が出てしまうものもあるんだな。よし……。神様はいる。この地上に。それがエシュという人間外の者。それを胸に刻み込んだら話を聞く。
「オソードとはエルサ教における神典だと言われていますが、その内容の読み解き方には二説あります。ひとつは太古の人々が生きた生活模様の記録。この記録が現代においてエルシーズへの教訓や指導の元になっているのです。そしてもうひとつが手紙です」
「手紙?」
「ええ。アルゼレアさんの信念を聞いて少し驚いてしまいました。彼女ならもっと早い段階でこの秘密に気付いているのかもしれません。……そうでないことを祈るばかりですが」
 窓の外の景色は夕刻になるにつれてオレンジ色を最後に見せている。書斎机を見ると考え込むマーカスさんがいて、窓枠の影が伸びていくと彼を影の中に取り込むように重なっていた。何か不穏だ、とは言わなくても伝わった。


(((次話は明日17時に投稿します

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