12 / 88
第二章 「ナチュラルに恋して」
4
しおりを挟む
「ちょっとぉ、どこまで行くの?」
原田は周囲を確認して、人気がなくなったところで溜息をついた。
「ねえってば!」
「あのな。もう忘れたのか?」
既に喫茶ブラウンシュガーからは五分以上歩いている。住宅街の路地をバイクが一台通り抜けただけだ。
「アタシさ、まだバイト中なんだけど?」
愛里は眉根を寄せ、その大きな瞳を原田に向けた。
「いやだからさ……僕は原田貴明であって結城貴司じゃない。外で先生と呼ぶのはよしてくれないか?」
「別にセンセはセンセだからいいじゃん。それよりなんでアタシのこと助けてくれなかったの? さっき見たでしょ? 祐介にアタシ、振られそうなの。捨てられそうなのよ。どうにかならないの? あの小説みたく、魔法の言葉とかでさ」
「小説は魔法の言葉なんて使っていない」
「けど……アタシはあれを読んで自分が祐介と同棲した三ヶ月の間、ちゃんと恋愛をしてたんだって思えたよ? 喜んで、悩んで、苦しんで、一緒に笑って、抱き合って、温もりを確かめ合う。同じ空気を吸うことが恋愛だって書いてたじゃん!」
彼女は大声でそう言い切ると、その目に溢れそうなほどの涙を湛えていた。
原田はハンカチを取り出す。
それを何も言わずに受け取ると、愛里は目元に押し付けた。
「化粧落ちるぞ」
「別にアンタは困らないでしょ。それに顔なんていくらでも作り直せる。祐介はね、目が大きくて唇がぼてっとした子が好きなんだ。だから睫毛もたっぷり乗せて、口紅も大きめに塗るの」
レモングリーンのハンカチは、彼女のシャドウがべったりと着いて黒ずんでしまっていた。
「ところでさ、昨日のアレなんだけど」
「何?」
「まだ君、あのバイト先の男に未練があるんだろう?」
鼻を啜ながら愛里は頷く。
「だったら、僕が教えられることは何もないよ」
「はぁ!?」
「だってそうだろ? 恋愛っていうのは当人たちの問題で、他人がどうこう言ってみたところでどうにもならないんだよ。アドバイスなんてするだけ無駄。人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んじまえ、という都々逸があってね」
言葉の意味が分からないのだろう。ただぽかんと開けていた口は徐々に閉じていき、やがて彼女の顔色が変わった。
「ちょっと! 恋愛教室してくれるって言ったじゃん! 恋の苦しみからアタシを助けてくれるんじゃなかったの!?」
「だから、君はまだ恋愛中なんだろ? だったらその恋を最後までやり切ればいいじゃないか。良い経験になるよ、振られたとしても」
そう言った原田に愛里は顔を近づける。明らかに怒っている。
「ひっど。あんたそれでも恋愛小説家なの?」
自分を睨みつける彼女の目を見て、ここは悪役に徹しようと原田は腕組みをした。
「作家なんてね、所詮は登場人物たちを不幸にして楽しんでいる下賤な種族なんだよ。他人の不幸ほどみんな読みたがるからね。で、最後の最後だけちょこっと幸せっぽい雰囲気で終わらせておけば、みんな泣いてくれる。こんなに楽な仕事はないよ」
白塗りをした上からでも分かる彼女の目元の赤みだった。涙が膨らんでいき、すっと落ちた。
「分かっただろ。こんな僕から恋愛を学ぼうとしたって、また君が泣くだけさ。だからさっさとバイトに戻りなさい」
これで解放される。
そう思った時だった。
「あー! 先生!」
振り返らなくても分かる。
原田は諦めたように溜息をつくと、その声の主に視線を向けた。
原田は周囲を確認して、人気がなくなったところで溜息をついた。
「ねえってば!」
「あのな。もう忘れたのか?」
既に喫茶ブラウンシュガーからは五分以上歩いている。住宅街の路地をバイクが一台通り抜けただけだ。
「アタシさ、まだバイト中なんだけど?」
愛里は眉根を寄せ、その大きな瞳を原田に向けた。
「いやだからさ……僕は原田貴明であって結城貴司じゃない。外で先生と呼ぶのはよしてくれないか?」
「別にセンセはセンセだからいいじゃん。それよりなんでアタシのこと助けてくれなかったの? さっき見たでしょ? 祐介にアタシ、振られそうなの。捨てられそうなのよ。どうにかならないの? あの小説みたく、魔法の言葉とかでさ」
「小説は魔法の言葉なんて使っていない」
「けど……アタシはあれを読んで自分が祐介と同棲した三ヶ月の間、ちゃんと恋愛をしてたんだって思えたよ? 喜んで、悩んで、苦しんで、一緒に笑って、抱き合って、温もりを確かめ合う。同じ空気を吸うことが恋愛だって書いてたじゃん!」
彼女は大声でそう言い切ると、その目に溢れそうなほどの涙を湛えていた。
原田はハンカチを取り出す。
それを何も言わずに受け取ると、愛里は目元に押し付けた。
「化粧落ちるぞ」
「別にアンタは困らないでしょ。それに顔なんていくらでも作り直せる。祐介はね、目が大きくて唇がぼてっとした子が好きなんだ。だから睫毛もたっぷり乗せて、口紅も大きめに塗るの」
レモングリーンのハンカチは、彼女のシャドウがべったりと着いて黒ずんでしまっていた。
「ところでさ、昨日のアレなんだけど」
「何?」
「まだ君、あのバイト先の男に未練があるんだろう?」
鼻を啜ながら愛里は頷く。
「だったら、僕が教えられることは何もないよ」
「はぁ!?」
「だってそうだろ? 恋愛っていうのは当人たちの問題で、他人がどうこう言ってみたところでどうにもならないんだよ。アドバイスなんてするだけ無駄。人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んじまえ、という都々逸があってね」
言葉の意味が分からないのだろう。ただぽかんと開けていた口は徐々に閉じていき、やがて彼女の顔色が変わった。
「ちょっと! 恋愛教室してくれるって言ったじゃん! 恋の苦しみからアタシを助けてくれるんじゃなかったの!?」
「だから、君はまだ恋愛中なんだろ? だったらその恋を最後までやり切ればいいじゃないか。良い経験になるよ、振られたとしても」
そう言った原田に愛里は顔を近づける。明らかに怒っている。
「ひっど。あんたそれでも恋愛小説家なの?」
自分を睨みつける彼女の目を見て、ここは悪役に徹しようと原田は腕組みをした。
「作家なんてね、所詮は登場人物たちを不幸にして楽しんでいる下賤な種族なんだよ。他人の不幸ほどみんな読みたがるからね。で、最後の最後だけちょこっと幸せっぽい雰囲気で終わらせておけば、みんな泣いてくれる。こんなに楽な仕事はないよ」
白塗りをした上からでも分かる彼女の目元の赤みだった。涙が膨らんでいき、すっと落ちた。
「分かっただろ。こんな僕から恋愛を学ぼうとしたって、また君が泣くだけさ。だからさっさとバイトに戻りなさい」
これで解放される。
そう思った時だった。
「あー! 先生!」
振り返らなくても分かる。
原田は諦めたように溜息をつくと、その声の主に視線を向けた。
0
あなたにおすすめの小説
後宮なりきり夫婦録
石田空
キャラ文芸
「月鈴、ちょっと嫁に来るか?」
「はあ……?」
雲仙国では、皇帝が三代続いて謎の昏睡状態に陥る事態が続いていた。
あまりにも不可解なために、新しい皇帝を立てる訳にもいかない国は、急遽皇帝の「影武者」として跡継ぎ騒動を防ぐために寺院に入れられていた皇子の空燕を呼び戻すことに決める。
空燕の国の声に応える条件は、同じく寺院で方士修行をしていた方士の月鈴を妃として後宮に入れること。
かくしてふたりは片や皇帝の影武者として、片や皇帝の偽りの愛妃として、後宮と言う名の魔窟に潜入捜査をすることとなった。
影武者夫婦は、後宮内で起こる事件の謎を解けるのか。そしてふたりの想いの行方はいったい。
サイトより転載になります。
🥕おしどり夫婦として12年間の結婚生活を過ごしてきたが一波乱あり、妻は夫を誰かに譲りたくなるのだった。
設楽理沙
ライト文芸
2026.1.4 73話見直した際、瑛士の台詞《本音/懺悔》を加筆しました。😇
☘ 累計ポイント/ 200万pt 超えました。ありがとうございます。
―― 備忘録 ――
第8回ライト文芸大賞では大賞2位ではじまり2位で終了。 最高 57,392 pt
〃 24h/pt-1位ではじまり2位で終了。 最高 89,034 pt
◇ ◇ ◇ ◇
紳士的でいつだって私や私の両親にやさしくしてくれる
素敵な旦那さま・・だと思ってきたのに。
隠された夫の一面を知った日から、眞奈の苦悩が
始まる。
苦しくて、悲しくてもののすごく惨めで・・
消えてしまいたいと思う眞奈は小さな子供のように
大きな声で泣いた。
泣きながらも、よろけながらも、気がつけば
大地をしっかりと踏みしめていた。
そう、立ち止まってなんていられない。
☆-★-☆-★+☆-★-☆-★+☆-★-☆-★
2025.4.19☑~
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。
その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。
全7話
優しい雨が降る夜は
葉月 まい
恋愛
浮世離れした地味子 × 外資系ITコンサルのエリートイケメン
無自覚にモテる地味子に
余裕もなく翻弄されるイケメン
二人の恋は一筋縄ではいかなくて……
雨降る夜に心に届いた
優しい恋の物語
⟡☾·̩͙⋆☔┈┈┈ 登場人物 ┈┈┈ ☔⋆·̩͙☽⟡
風間 美月(24歳)……コミュニティセンター勤務・地味でお堅い性格
雨宮 優吾(28歳)……外資系ITコンサルティング会社勤務のエリートイケメン
裏切りの代償
中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。
尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。
取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。
自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。
紙の上の空
中谷ととこ
ライト文芸
小学六年生の夏、父が突然、兄を連れてきた。
容姿に恵まれて才色兼備、誰もが憧れてしまう女性でありながら、裏表のない竹を割ったような性格の八重嶋碧(31)は、幼い頃からどこにいても注目され、男女問わず人気がある。
欲しいものは何でも手に入りそうな彼女だが、本当に欲しいものは自分のものにはならない。欲しいすら言えない。長い長い片想いは成就する見込みはなく半分腐りかけているのだが、なかなか捨てることができずにいた。
血の繋がりはない、兄の八重嶋公亮(33)は、未婚だがとっくに独立し家を出ている。
公亮の親友で、碧とは幼い頃からの顔見知りでもある、斎木丈太郎(33)は、碧の会社の近くのフレンチ店で料理人をしている。お互いに好き勝手言える気心の知れた仲だが、こちらはこちらで本心は隠したまま碧の動向を見守っていた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる