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第三章 「恋心」
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久しぶりに歩いた病院の廊下は消毒され過ぎている気がして、沖愛里は居心地の悪さを感じていた。自分がこんな場所にいてはいけないんじゃないか、とすら思える。
「あら、愛里ちゃんじゃない。最近来てなかったからどうしたのかと思ってた」
俯いて歩いていた愛里の頭に声を掛けたのは、姉の担当看護師の三井恵利だ。よく笑うし、愛嬌のある顔と声で誰にでも気兼ねなく話しかける彼女だったが、愛里の姉だけは苦手だと言っていた。
「ちょっと色々あって」
苦笑を浮かべた。
涌井祐介のことは彼女には話せない。三井恵利は愛里を姉思いの良い子だと思ってくれているみたいで、その幻想をぶち壊す訳にはいかなかった。それに失恋の話はあまり他人にしたくはない。
「姉、病室にいます?」
「ええ。さっき様子を見てきたけど、いつもと同じだったわ」
いつもと同じ。それは本を読んでいてほとんど会話がなかった、ということだ。
「ありがとうございます」
そう言ってから通路の奥に向かう。
姉である沖優里の病室は、循環器内科の入院病棟の一番奥だった。
ドアを軽くノックする。
「……愛里だけど」
特に返事はない。ただ何も言われないのは入っても大丈夫ということだった。
部屋の中には花が飾られている訳ではないのに、いつもラベンダーの香りが漂っていた。今日は香を炊いたのかも知れない。学生時代から好きで、二人の部屋の中でも愛里に構わず香を炊いたり、匂い袋や匂い玉を飾ったりしていた。
髪がまた伸びてる。
ベッドに座り、背を向けて本を手にしている姉を見て、一番最初に目についたのがそこだった。背中の真ん中あたりまでの長さになっていたが、昔はそれを腰まで伸ばしていた。愛里は癖が強いが、姉のそれは綺麗なストレートの黒髪だった。けれど今は毎日手入れもできず、先がほつれているのが蛍光灯に照らされていた。
「お姉ちゃん」
調子はどう。あるいは、元気。
そんな言葉を続けようと思ったが、振り返った優里の鋭い目つきに言葉は喉で留まってしまう。
「……ごめん」
「どうして謝ったの?」
「えっと、その……機嫌、悪い?」
その言葉で、口元に皺が寄る。
「……別に」
三井恵利の所為だろうか。ただ彼女は特別何も言っていなかったから、やはり愛里の所為なのだろう。報告をしようとしていた言葉は取り出せず、まごついて、愛里は姉が次の言葉を取り出すのを待った。
本を閉じる。
それは文庫本で、カバーの絵柄には見覚えがある。学校の教室机の上に、教科書とノートが無造作に置かれているものだ。
「それ、結城貴司」
「あんた、結城貴司知ってるの?」
意外。という言葉を付け足して、僅かに優里の表情が和らいだ。
「うん。友達が大ファンで、この前恋愛教室ってのを貸してもらったの。あれ、結構良いよね」
机の上の文庫本は、その恋愛教室の三巻目だった。まだ読んでいないが、二巻が終わったらすぐ読みに入るつもりだ。
「恋愛なんて所詮」
「所詮は一人相撲。相手が向き合ってくれないなら、鏡に向かって笑う練習をしても虚しいだけ……だった?」
「本当に読んだのね」
それは一巻に出てくる教授の台詞だった。
「あら、愛里ちゃんじゃない。最近来てなかったからどうしたのかと思ってた」
俯いて歩いていた愛里の頭に声を掛けたのは、姉の担当看護師の三井恵利だ。よく笑うし、愛嬌のある顔と声で誰にでも気兼ねなく話しかける彼女だったが、愛里の姉だけは苦手だと言っていた。
「ちょっと色々あって」
苦笑を浮かべた。
涌井祐介のことは彼女には話せない。三井恵利は愛里を姉思いの良い子だと思ってくれているみたいで、その幻想をぶち壊す訳にはいかなかった。それに失恋の話はあまり他人にしたくはない。
「姉、病室にいます?」
「ええ。さっき様子を見てきたけど、いつもと同じだったわ」
いつもと同じ。それは本を読んでいてほとんど会話がなかった、ということだ。
「ありがとうございます」
そう言ってから通路の奥に向かう。
姉である沖優里の病室は、循環器内科の入院病棟の一番奥だった。
ドアを軽くノックする。
「……愛里だけど」
特に返事はない。ただ何も言われないのは入っても大丈夫ということだった。
部屋の中には花が飾られている訳ではないのに、いつもラベンダーの香りが漂っていた。今日は香を炊いたのかも知れない。学生時代から好きで、二人の部屋の中でも愛里に構わず香を炊いたり、匂い袋や匂い玉を飾ったりしていた。
髪がまた伸びてる。
ベッドに座り、背を向けて本を手にしている姉を見て、一番最初に目についたのがそこだった。背中の真ん中あたりまでの長さになっていたが、昔はそれを腰まで伸ばしていた。愛里は癖が強いが、姉のそれは綺麗なストレートの黒髪だった。けれど今は毎日手入れもできず、先がほつれているのが蛍光灯に照らされていた。
「お姉ちゃん」
調子はどう。あるいは、元気。
そんな言葉を続けようと思ったが、振り返った優里の鋭い目つきに言葉は喉で留まってしまう。
「……ごめん」
「どうして謝ったの?」
「えっと、その……機嫌、悪い?」
その言葉で、口元に皺が寄る。
「……別に」
三井恵利の所為だろうか。ただ彼女は特別何も言っていなかったから、やはり愛里の所為なのだろう。報告をしようとしていた言葉は取り出せず、まごついて、愛里は姉が次の言葉を取り出すのを待った。
本を閉じる。
それは文庫本で、カバーの絵柄には見覚えがある。学校の教室机の上に、教科書とノートが無造作に置かれているものだ。
「それ、結城貴司」
「あんた、結城貴司知ってるの?」
意外。という言葉を付け足して、僅かに優里の表情が和らいだ。
「うん。友達が大ファンで、この前恋愛教室ってのを貸してもらったの。あれ、結構良いよね」
机の上の文庫本は、その恋愛教室の三巻目だった。まだ読んでいないが、二巻が終わったらすぐ読みに入るつもりだ。
「恋愛なんて所詮」
「所詮は一人相撲。相手が向き合ってくれないなら、鏡に向かって笑う練習をしても虚しいだけ……だった?」
「本当に読んだのね」
それは一巻に出てくる教授の台詞だった。
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