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第七章 「初恋」
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「あの、こんにちは」
彼女に五階まで上がってきてもらっている間に、原田は慌てて新しいシャツを引っ張り出してそれに着替えた。
「あ、はい。こんにちは」
きっと酷い顔をしているだろう。それに酒臭いはずだ。自分では分からない程度だったが、それはただ単に自分の感覚が鈍くなっているだけという可能性を否定できない。赤いベレィ帽を被った縁無し眼鏡の彼女とは十日ぶりくらいになるけれど、初対面のような印象を受けたのは、派手な英字プリントがされた足元までを覆うロングのワンピースを着ている所為かも知れない。
「えっと」
何の用があるのだろう。
それとも自分ではなく沖愛里に対して用事があるのだろうか。
桜庭美樹は俯いて目線を逸してしまい、口籠っている。そういった女性を前にして、原田はどういう言葉を選べばいいか咄嗟に分からなかった。
「とにかく、入りますか?」
「あ、はい」
いつまでもドアを開けたまま戸口に立たせておく訳にもいかないので、原田はそう言って彼女をリビングに通す。
ドアを施錠してから、何かまずいものが転がっていなかっただろうかと慌てて走って戻ると、彼女はサイドテーブルに置かれた恋愛教室第四巻のプロットのプリントアウトを手にしているところだった。
「あの、結城先生。これって」
「それは、何でもない……」
目線を逸してそう言うと、彼女の前まで歩いていってプリントアウトを奪い取る。
「……すみません」
原田はそのプリントアウトを細かく折り畳むと、辞書の下に敷いてしまった。それから改めて桜庭美樹を見て、バツが悪そうに「いや、こちらこそ、すまない」と謝罪した。
「わたし、その……愛里がいるかなと思って」
「君も連絡がつかないの? 実は僕も昨夜から何度かメールを送ったりしてるけど、全然応答がなくて」
何だろう。
泣いているのだろうか。
目の前がぼやけている。
「あの。先生?」
まだ寝ぼけているのかも知れない。
原田は目覚ましのコーヒーを淹れようとキッチンに足を向けたが、一歩踏み出したところで落とし穴にでも落ちたかのように、自分の体の自由が利かなくなった。
「先生!? 先生!」
視界が真っ暗に閉ざされ、耳の奥の方で彼女の声が響いたが、それもすぐ聴こえなくなった。
彼女に五階まで上がってきてもらっている間に、原田は慌てて新しいシャツを引っ張り出してそれに着替えた。
「あ、はい。こんにちは」
きっと酷い顔をしているだろう。それに酒臭いはずだ。自分では分からない程度だったが、それはただ単に自分の感覚が鈍くなっているだけという可能性を否定できない。赤いベレィ帽を被った縁無し眼鏡の彼女とは十日ぶりくらいになるけれど、初対面のような印象を受けたのは、派手な英字プリントがされた足元までを覆うロングのワンピースを着ている所為かも知れない。
「えっと」
何の用があるのだろう。
それとも自分ではなく沖愛里に対して用事があるのだろうか。
桜庭美樹は俯いて目線を逸してしまい、口籠っている。そういった女性を前にして、原田はどういう言葉を選べばいいか咄嗟に分からなかった。
「とにかく、入りますか?」
「あ、はい」
いつまでもドアを開けたまま戸口に立たせておく訳にもいかないので、原田はそう言って彼女をリビングに通す。
ドアを施錠してから、何かまずいものが転がっていなかっただろうかと慌てて走って戻ると、彼女はサイドテーブルに置かれた恋愛教室第四巻のプロットのプリントアウトを手にしているところだった。
「あの、結城先生。これって」
「それは、何でもない……」
目線を逸してそう言うと、彼女の前まで歩いていってプリントアウトを奪い取る。
「……すみません」
原田はそのプリントアウトを細かく折り畳むと、辞書の下に敷いてしまった。それから改めて桜庭美樹を見て、バツが悪そうに「いや、こちらこそ、すまない」と謝罪した。
「わたし、その……愛里がいるかなと思って」
「君も連絡がつかないの? 実は僕も昨夜から何度かメールを送ったりしてるけど、全然応答がなくて」
何だろう。
泣いているのだろうか。
目の前がぼやけている。
「あの。先生?」
まだ寝ぼけているのかも知れない。
原田は目覚ましのコーヒーを淹れようとキッチンに足を向けたが、一歩踏み出したところで落とし穴にでも落ちたかのように、自分の体の自由が利かなくなった。
「先生!? 先生!」
視界が真っ暗に閉ざされ、耳の奥の方で彼女の声が響いたが、それもすぐ聴こえなくなった。
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