君と私の恋愛教室〜女性アレルギィの恋愛小説家と恋を知らない女性たち〜

凪司工房

文字の大きさ
74 / 88
第九章 「恋人よ」

5

しおりを挟む
 点滴がぶら下がったキャスター付きポールを押しながら、原田貴明はエレベータから出た。
 目の前の壁にあるガイド図には真っ直ぐ右手に行き、隣の病棟に移って、そこから右に道なりに進んだ先にある、と書かれている。
 慌ただしくナースステーションから看護師が出入りしていたが、特に原田を見て気にする様子はない。
 少し目が合ったので会釈えしゃくをすると、また忙しなく棚のファイルに手を伸ばしていた。
 歩き出す。
 涌井祐介に殴りつけられた右側の口の端は内側が切れてしまっていて、正直しゃべり辛い。それでも沖愛里に対してきちんと説明をし、彼女を振る必要があった。それは自分自身へのケジメでもあり、何より今から十年ぶりに顔を合わせようという彼女、沖優里に対しての約束でもあったからだ。

「原田君。どこに行くつもりかね」

 大きな自動ドアをスライドさせ、隣の病棟に移動した時だった。
 階段を駆け上がってきた高正誠司たかまさせいじが目を細めて自分を見る。

「優里さんのところですよ。分かっているでしょう?」
「そのままでは入れる訳にはいかない。そもそも君はまだ治療中なのだよ? それに君は……彼女の関係者じゃない」

 肉親でも近親者でもなく、恋人というあやふやな関係すら持っていない。ただの他人だ。それは原田だってよく理解している。

「それでも会わせて下さい。先生なら、少しは融通できるでしょう?」

 高正はそれだけ言った原田を一瞥いちべつするが、原田の方は気にせず歩き出す。

「意識が回復するまで待つ気はないのか?」
「回復するんですか?」

 どう返すべきかの言葉を探す様子が見て取れたので、原田は首を振り、歩みを止めずに進んでいく。

「原田君。彼女はまだ死なない。大丈夫だ。だからきちんとした手続きを踏んで面会したまえ」
「先生にはお世話になりました。彼女のことも多少は理解されていると思っています。けど、沖優里が遺書を書いたことの意味を、全然理解していません」
「君は勘違いをしている。遺書など自分が弱った時には書きたくなる。そういうものだ」

 彼は苛立いらだった様子で原田の方に歩き出すが、その後ろから眼鏡をした看護師が上がってきて彼を追い抜いていく。彼女はそのまま原田の前まで行き、

「ちょっとすみません」

 そう断ってから、点滴の針が刺さった左腕を取った。

「何をするんだ」
「これから大切な人に会いに行くんでしょう? こんなものを付けていて良いの?」

 驚いた原田から点滴を抜いてしまうと、ポールを受け取ってから笑顔を見せる。その胸のプレートには『三井』と書かれていた。

「あの」

 言葉を失った原田の腕に止血用のパッチを貼り付けると、彼女は高正の方を向く。

「先生。私が付き添いますから、五分程度なら良いですか?」
「……まあその程度なら」

 どうして自分にそこまでしてくれるのだろうか、と思いながら原田は二人のやり取りを見ていた。
 高正は後頭部を掻きながら苦笑を浮かべたが、軽くお辞儀をした三井は原田に「行きましょう」と促して歩き出す。
 原田は一度だけ高正に視線を向けた。彼は渋々といった感じで右手を持ち上げると、その手を白衣のポケットに突っ込んで背を向けてしまった。

「……ありがとうございます」

 小さく言って、歩き出す。
 三井という看護師は既に原田の五メートルほど先を進んでいた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

後宮なりきり夫婦録

石田空
キャラ文芸
「月鈴、ちょっと嫁に来るか?」 「はあ……?」 雲仙国では、皇帝が三代続いて謎の昏睡状態に陥る事態が続いていた。 あまりにも不可解なために、新しい皇帝を立てる訳にもいかない国は、急遽皇帝の「影武者」として跡継ぎ騒動を防ぐために寺院に入れられていた皇子の空燕を呼び戻すことに決める。 空燕の国の声に応える条件は、同じく寺院で方士修行をしていた方士の月鈴を妃として後宮に入れること。 かくしてふたりは片や皇帝の影武者として、片や皇帝の偽りの愛妃として、後宮と言う名の魔窟に潜入捜査をすることとなった。 影武者夫婦は、後宮内で起こる事件の謎を解けるのか。そしてふたりの想いの行方はいったい。 サイトより転載になります。

🥕おしどり夫婦として12年間の結婚生活を過ごしてきたが一波乱あり、妻は夫を誰かに譲りたくなるのだった。

設楽理沙
ライト文芸
2026.1.4 73話見直した際、瑛士の台詞《本音/懺悔》を加筆しました。😇 ☘ 累計ポイント/ 200万pt 超えました。ありがとうございます。 ―― 備忘録 ――    第8回ライト文芸大賞では大賞2位ではじまり2位で終了。  最高 57,392 pt      〃     24h/pt-1位ではじまり2位で終了。  最高 89,034 pt                    ◇ ◇ ◇ ◇ 紳士的でいつだって私や私の両親にやさしくしてくれる 素敵な旦那さま・・だと思ってきたのに。 隠された夫の一面を知った日から、眞奈の苦悩が 始まる。 苦しくて、悲しくてもののすごく惨めで・・ 消えてしまいたいと思う眞奈は小さな子供のように 大きな声で泣いた。 泣きながらも、よろけながらも、気がつけば 大地をしっかりと踏みしめていた。 そう、立ち止まってなんていられない。 ☆-★-☆-★+☆-★-☆-★+☆-★-☆-★ 2025.4.19☑~

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

優しい雨が降る夜は

葉月 まい
恋愛
浮世離れした地味子 × 外資系ITコンサルのエリートイケメン 無自覚にモテる地味子に 余裕もなく翻弄されるイケメン 二人の恋は一筋縄ではいかなくて…… 雨降る夜に心に届いた 優しい恋の物語 ⟡☾·̩͙⋆☔┈┈┈ 登場人物 ┈┈┈ ☔⋆·̩͙☽⟡ 風間 美月(24歳)……コミュニティセンター勤務・地味でお堅い性格 雨宮 優吾(28歳)……外資系ITコンサルティング会社勤務のエリートイケメン

裏切りの代償

中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。 尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。 取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。 自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。

紙の上の空

中谷ととこ
ライト文芸
小学六年生の夏、父が突然、兄を連れてきた。 容姿に恵まれて才色兼備、誰もが憧れてしまう女性でありながら、裏表のない竹を割ったような性格の八重嶋碧(31)は、幼い頃からどこにいても注目され、男女問わず人気がある。 欲しいものは何でも手に入りそうな彼女だが、本当に欲しいものは自分のものにはならない。欲しいすら言えない。長い長い片想いは成就する見込みはなく半分腐りかけているのだが、なかなか捨てることができずにいた。 血の繋がりはない、兄の八重嶋公亮(33)は、未婚だがとっくに独立し家を出ている。 公亮の親友で、碧とは幼い頃からの顔見知りでもある、斎木丈太郎(33)は、碧の会社の近くのフレンチ店で料理人をしている。お互いに好き勝手言える気心の知れた仲だが、こちらはこちらで本心は隠したまま碧の動向を見守っていた。

処理中です...