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第17章 名門衰亡編

第98話 袁譚の降伏

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河東郡の反乱が不発に終わると黎陽県に立て籠る袁譚と袁尚は非常に苦しくなった。
あわよくば曹操軍の撤退を期待していたのが、世の中、そんなに甘くはない。

籠城などで粘りはするものの、最終的には抗しがたいという判断を下した二人は、黎陽県を放棄することにした。
目指すは鄴の都。そこまでの撤退戦、その道のりにある県、村の旗は、曹操軍が通るたびに塗り替わっていく。

それでも何とか曹操軍の攻撃をしのいでいた袁譚と袁尚は、鄴まで残りわずかとなった時点で、一計を案じた。
夜陰に乗じて動き出すと曹操軍もつられて追撃をかける。
そこで、闇に配置した伏兵で、曹操軍を返り討ちにするのだった。

やはり、地の利は袁家にあったということ。
兵を伏する起伏の存在に気づかなかったのだ。
夜が明けて、その被害を曹操が確認すると、臨戦状態が維持できないことが分かり、唖然とする。

「いささか相手を侮りすぎたか」
これまで、制圧してきた県や村からも撤退することになった。それほどの損害だったのである。
「ここは、意地を張らず、一旦、許都に戻りましょう」

黎陽県に戻った曹操に声をかけたのは、軍師の郭嘉だった。
戦線を維持できないとなれば、それも致し方ない。
曹操は、素直に頷いた。

「私が見るに、敵がいれば袁家は一致団結いたします。しかし、攻撃を緩めれば、必ずその団結は綻ぶかと思われます」
「うむ。私もそう思う。内輪もめが起こるのを、待つとしよう」
曹操は、賈信かしんという将に黎陽県を任せて、許都へと戻るのだった。


果たして、思惑通りに内輪もめが始まるのか、いくら曹操とはいえ、多少は不安に思っていた。
ところが曹操が撤退するやいなや、袁譚と袁尚の間に諍いが起きるのには、もう笑うしかないのである。

事の始まりは、曹操の退却に対して、追い討ちをかけるか、かけないかの言い争い。
結局、追い討ちはなかったのだが、戦後、袁譚に対して兵や物資の補充を袁尚が行わなかった。
それで、二人の仲は完全に決裂する。

「そもそも長男である袁譚さまを差し置く遺言を偽装したのも、袁譚さまが青州に行くことになったのも全て審配の差し金です」
「左様。鄴は本来、袁譚さまのもの。今こそ、手中になさるべきかと」
辛評と郭図の言葉に従い、袁譚は鄴の城外門を攻めたてる。
今まで、口論はあったものの、武力衝突をしたのは、これが初めてのことだった。

「兄者は、ついに狂ったか」
袁尚が反撃に転じると、あっさり、袁譚を追い詰めた。
大体にして、兵の補充を受けていない袁譚軍が、袁家の本拠地たる鄴を落とせるわけがない。
そのため、袁尚は袁譚の気がふれたのではないかと疑ったのだ。

敗れた袁譚は、兵をまとめて渤海郡の南皮県へ撤退する。
南皮県では、鄴を落とせなかったことに、じくじたる思いをする袁譚だった。早まった判断だったかと後悔もするが、もう遅い。

そんな時、袁譚を喜ばせることが起きた。配下の王修おうしゅうが青州兵を率いてやって来たのである。
しかし、その王修から、今回の早計と愚行に対しての諫言を受けると、一転、顔をしかめた。明らかに機嫌を悪くする。

「曹操という強大な敵を前に、兄弟で争うということは、戦う前に右手を斬りつけて、片手となったところで、相手に勝つと公言するようなものです」
「正しき序列を顕甫けんほが認めれば、私も争うようなことはしない」
「もう一度、お二人で話し合うことをお勧めします」

袁譚に話しても暖簾に腕押し。以前は、まだ、聞く耳を持ってくれた。
王修は、この原因が辛評や郭図にあると、感じてならない。

「袁譚さま、佞臣ねいしんとの関係を断ち、本当の敵はどこにあるか見極めるようお願いいたします」
王修の言葉を最後まで聞くことなく、袁譚は離れていくのだった。
結局、王修の言葉は届かず、兄弟の争いは治まる気配がない。

袁尚が鄴から軍を起こし南皮を攻めると、袁譚の善戦実らず青州平原まで逃げ込むことになった。
追い詰められた袁譚は、一時、降伏を考えるが、郭図が必死に止める。

「今は敗戦が続き、弱気になっているだけです。気をしっかりと持って下さい」
「しかし、ここまで追いつめられれば、致し方あるまい」
「ならば、劉表殿に援軍を頼みましょう。我が袁家とは長く同盟を結んでおります。彼を頼れば、きっと良い方向に話が進むと思われます」

袁譚は、郭図の進言に従って、劉表に書簡を送った。
そして、心待ちにしていた劉表からの返事を見ると、袁譚はひどく落胆する。

劉表の書簡には、兄弟の諍いを止める旨の内容が記載されており、袁譚の味方をしてくれるというものではなかった。
むしろ、袁尚の弟としての道義違反に苦言を呈するも、袁譚に仁者として身を屈めてでも国家の安寧を願う姿勢が必要だと説いてあった。
暗に降伏を示唆していたのである。

袁譚は、ますます迷ってしまうのだが、郭図と辛評は、決して袁尚への恭順に承服しない。
それもそのはず。今回の袁譚が起こした行動の元凶は、郭図と辛評にあると袁尚から見られている。

袁譚は、血を分けた兄弟であるため、投降しても生かされる可能性は高いが、この二人は、どうあっても処刑されるに決まっている。
自分の命がかかっていることもあり、二人は、段々、見境がなくなってくるのだった。

「袁譚さまが、どうしても降伏なさるというのであれば、今、この場で私を殺して下さい。袁尚になぶり殺されるくらいなら、主君に手をかけられた方が、まだましです」
郭図が、袁譚にそう迫る。頼りとしていた二人を処断することなど、袁譚にできようもなかった。
それはまるで、自分の命を賭けた脅迫である。

「それでは劉表殿に見放された今、我らは、どうすればいいというのだ?」
戦では、もはや活路は見いだせない。三人は、出口のない迷路に迷い込んだようだった。

「では、・・・に降伏しましょう」
「何?」
辛評の声が小さく、袁譚はよく聞き取れなかった。いや、実際には聞き取れていたのかもしれないが、頭が拒否して、その名前が入って来なかったのだ。

もう一度、辛評がはっきりと大きな声で話す。
「曹操に降伏いたしましょう」
「何を馬鹿なことを」

直接、殺されたわけではないが、曹操は父親、袁紹の仇敵といっていい存在。
そんな曹操に膝を折るのは、弟に屈するよりも袁譚にとっては屈辱的なことだった。
絶対にありえない。

しかし、郭図や辛評にとって、この現状を打破して生き残るには、もはやこの方法しかなかった。
「他に手はございません。後は潔く、討ち死にするのみでございますが、どちらを選択なさいますか?」

武門に生きる者として、討ち死の選択肢があってもおかしくないが、袁譚は自分の命を捨てるほど、腹が座っていない。
だから、袁尚への降伏を考えたのだ。

「曹操への降伏は、一時的なもの。袁尚と曹操が争っている隙に、我らは失地を回復することもできましょう。一時の恥を受け入れねば、大望は果たせませぬ」
郭図が辛評の意見を補完し、袁譚もようやく頷く。

こうして、曹操へ使者を送ることになったが、選ばれたのは辛評の弟の辛毗しんぴだった。
辛毗は、鄴に残っていた兄、辛評の家族が審配に殺されたことを、根深く恨んでいたため、その審配を滅ぼすためには、何でもする覚悟があった。

「必ずや、曹操の軍を引き連れてまいります」
そう誓って、平原を立つ。

許都に着いた辛毗は、まず、郭嘉を訪ねた。
郭嘉と郭図は同じ豫州潁川郡出身の同族。
その郭図から郭嘉あての手紙を預かっていたのだ。

郭嘉からしてみれば、郭図は出来の悪い親族。
いい迷惑なのだが、ここで見放しては目覚めが悪い。話だけは聞くことにした。

「私は袁譚を知らない。彼は信用に足る人物なのでしょうか?それを確認せず、曹操さまに取り次ぐことはできません」
すると辛毗は、迷った挙句、自分の思うところを正直に述べた。

「優柔不断で臣下の言に流されることがございます。信用という点は、足りないかもしれません」
「では、この話はなかったことにしていただきたい」

郭嘉が断りを入れようとすると、辛毗は突然、床に手をついて額を地に打ち付けた。
「袁兄弟の争いに、貴方が思っている以上に河北の民は困窮しています。河北四州を取るのは今が好機です。どうか曹操さまに進言をお願い致します」
「それでは、いずれ袁譚も討つことになりますが?」
「私は審配の首さえとれれば、他に望みはございません」

曹操陣営では、荊州を攻めるか冀州を攻めるかで割れていた。
劉表は劉備も加えて、万全の状態でいるだろう。
冀州の現状が、思っていたよりもひどいのであれば、先に北方を制しておく方がいいのかもしれない。
郭嘉が、そう考えると袁譚の降伏について、曹操に進言すると辛毗に約束した。

根回しのために荀彧、荀攸に相談すると二人の同意も得られる。
この家臣団の団結が袁家とは、全く違う。

目の当たりにした辛毗は、袁家が勝てるわけがないことを悟るのだった。
曹操は、参謀三人の意見を容れて袁譚の降伏を承諾する。
袁譚の救援と鄴攻略のために軍を起こすのだった。
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