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第17章 名門衰亡編
第101話 河東郡の騒乱
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曹操が鄴を陥落させる。
この結果が周辺に及ぼす影響は、曹操の想像以上に大きかった。
まず、長く漢王朝に逆らい続けた黒山賊の張燕が十余万の兵を率いて、帰順を申し出て来た。
曹操は大いに喜ぶと、張燕に平北将軍の位を与える。
そして、想定外の出来事は続き、何と并州刺史の高幹元才が降伏してきたのだ。
袁家の離反、造反は続いていたが、ここまでの大物が軍門に降ってきたのには曹操も吃驚する。
袁尚の降伏をはねつけた曹操だったが、高幹の降伏は、すぐに受け入れた。
それは、高幹が袁尚よりもはるかに優秀だったからだ。
高幹は、袁紹の姉の息子。
つまり、袁紹とは伯父、甥という間柄ながら、息子の袁譚、袁煕と同様に一州の統治を任されている。
それだけで高幹の優秀さが伺い知れるというものだった。
袁煕と合流した袁尚だったが、もっとも頼りとしていた高幹の裏切りには顔色を失う。
「元才ですら、袁家を見限るのであれば、他の者の心など、とうに曹操に向いているのではないか」
袁尚のこの言葉通り、幽州の豪族、権力者たちは雪崩を打ったかのように曹操に媚びへつらうようになった。
幽州の雍奴県、泉州県、安次県に勢力を持つ王松もその一人。
世話していた皇族の末裔、劉放の進言により、曹操への帰順を決意する。
その際の手紙を作成したのが劉放だったのだが、その文章があまりにも流麗であったため、曹操の興味を引いた。
併せて、王松の帰属が劉放の提案だったことを知ると、曹操は彼を招聘することに決める。
鄴にやって来た劉放に対して、曹操は喜んで、参司空軍事に取り立てるのだった。
王松のように、ただ帰順するだけなら、まだしも反乱を起こし、積極的に袁尚を攻撃する者も現れる。
袁煕の配下であった焦触と張南は、主を裏切ると他の諸将も扇動した。
特に焦触は幽州刺史を僭称し、太守や県令に自分につくように駆り立てる。
旗色が悪くなった袁尚と袁煕は、たまらず烏桓族を頼って、遼西まで落ち延びるのだった。
烏桓族の王・蹋頓は、袁紹から受けた厚遇を忘れずに感謝の念を抱いていたため、二人を快く受け入れて匿う。
この時、袁尚についた烏桓族は、蹋頓の他には蘇僕延と烏延だった。
三人は、袁尚のために幽州を取り戻そうと、曹操に帰服している鮮于輔を攻める。
すると、烏桓族に呼応するように、趙犢と霍奴が幽州で反乱を起こした。
魚陽郡の獷平県にいた鮮于輔は、周囲を敵に囲まれるが、粘り強く戦い何とか曹操の援軍到着まで、守り抜く。
曹操が到着すると、すぐに立場は逆転し、趙犢と霍奴は首を刎ねられた。烏桓族も自領へと逃げ帰るのである。
これで幽州の騒乱は収まったかのように思えた。
ところが、今度は、曹操が遠征に出た隙をついて、降伏したはずの高幹が反乱を起こす。
高幹は、密かに選抜した少数の精鋭部隊を鄴へ送り込むと、城内のかく乱を企てた。
しかし、この乱は、鄴の守備を任されていた荀彧の兄、荀衍の手によって、失敗に終わる。
高幹の精鋭部隊は壊滅させられたのだ。
知略に長けた荀彧の一族にあって、兄の荀衍は異色の存在。武芸にその才覚があった。
この功によって、荀衍は列侯に封ぜられる。
一方、計画が頓挫した高幹は、次の手を考えた。
「馬騰は、途中で裏切るし、鄴の文官の中にあそこまで剛の者がいるとは思わなかった。世の中、上手くいかないもんだね」
以前、河東郡で呼廚泉に呼応した反乱では、馬騰を味方に引き込む策を実行していたのは、実は高幹だった。
今回の鄴の強襲も城ではなく、人を狙ったもの。
主だった文官、官吏を殺して政治を麻痺させようとしたのだが失敗してしまったのだ。
目のつけ所が、他の者とは一線を画す。
袁紹が、なかなか後継者を定めなかったのは、高幹の能力が高すぎたため、自分の息子たちが見劣りして見えたからではと、袁家内で囁かれたこともあった。
その高幹は、上党郡にある交通の要所、壺関を占拠すると防備を固める。
守備体形が整ったところで、黒山賊で張燕と決別しながらも一万の兵力を保持してた張白騎に声をかけた。
張白騎が高幹の呼びかけに応えると長安周辺の京兆尹、左馮翊、右扶風のいわゆる三輔の中を広く暴れ回る。
すると、河東郡の張琰も軍を起こして反乱に加わった。
司隷、特に河東郡が一気に騒がしくなったため、曹操はこれを鎮めるための適正な人材を荀彧に求める。
「張白騎が三輔だけに飽き足らず、二崤山や澠池一帯を荒らしている。南方の劉表とも組み、造反する者はこれから他にも出るだろう。君には蕭何や寇恂のような優れた人物を推挙してほしい。それによって、この地を鎮めたい」
「それならば、杜畿殿がまさに適任と言えます」
蕭何や寇恂のような人物となると、なかなか見つかるものではないと思うのだが、荀彧があまりにも即答するので、曹操は驚くと同時に確信を持つ。
早速、杜畿を河東郡へ送るのだった。
太守交代の報せを受けて、司隷の地を任されていた鍾繇は、河東太守の王邑に太守の印綬返還を求める。
しかし、王邑は鍾繇の指示には従わず、自ら許都に印綬を返還しに行くのだった。
鍾繇の面目は潰れることになったが、これには理由がある。
王邑の配下の衛固と范先が謀反の計画を立ててる気配があり、河東に残っていたら、その謀反に巻き込まれる可能性があったのだ。
この地を早く立ち去りたい王邑は、本来の形式を無視して、直接、印綬の返還を名目に河東を脱したのである。
自身の監督不行き届きを嘆いた鍾繇は、職を辞す覚悟だったが、荀彧に事情を説明されて得心すると、衛固と范先を警戒した。
代わって河東に向かう杜畿にも、当然、この情報は入る。
杜畿と衛固、范先の探り合い、騙し合いが河東で行われることとなった。
まず、最初に衛固が太守交代に反対の意を表明して杜畿の河東入りを阻む。
黄河を渡るための陝津の渡しを兵を使って封鎖した。
杜畿が妨害を受け、立ち往生したことを知ると、これを叛意とみなし、曹操が夏侯惇を派遣する手配を行う。
この報せを受けた杜畿の従者が、
「ご主人さま、ようございました。夏侯惇将軍が来て下さいましたら、安心して河東に入れますね」と喜ぶ。
ところが、杜畿は渋い顔をした。
「いや、別の渡しから急いで渡ろう」
「どうしてでございますか?」
「河東には三万戸の民がいる。事情の知らぬ民が大軍に怯え、衛固の手先となった場合、罪のない者たちまで敵となる。それだけは避けねばならないのだよ」
そう言うと、陝津より西にある郖津という渡しから、急いで河東郡に入るのだった。
郡治所についた杜畿を、衛固と范先はしぶしぶ受け入れる。
出迎えとして、杜畿の肝を冷やしてやろうと、范先は主簿以下、三十人あまりを無実の罪で斬り殺すが杜畿は平然としていた。
その様子に、衛固は杜畿に対して、威嚇は無駄だと心得る。
「杜畿を殺したところで、我らの名を落とすだけだ。外から来たあいつには、何もできやしない」
衛固と范先は、配下となり上辺は杜畿を奉じることで意見を合わせた。
杜畿が太守の任につくと、衛固を都督に取り立てて太守の副官の仕事と権限の大きい功曹も兼ねさせた。また、范先には三千人の指揮権を与える。
二人に媚びを売るふりをして、とりあえず彼らの懐の中に入り込むことにしたのだ。
これで衛固と范先は、杜畿を軽く見る。自分たちの言いなりに出来ると踏むのだった。
ある時、衛固が兵を大動員しようとすると、杜畿は助言を与える。
「急に人を集めると、人々はよからぬ疑いや何事かと憂う者も現れるでしょう。ゆっくりと時間と費用をかけて兵を集めた方がいいのです」
「うむ。確かに」
納得した衛固は、言われた通りにするが、兵を集めるための費用を水増して、請求する者が衛固の周りには多かった。
日数をかけた方が儲かることに気づくと、本気で兵を集めようとする者など誰もいなくなる。結果、集められた兵数は少数のままだった。
また、兵集めがはかどらないことに苛立ち、周りの者を責める衛固に対して、
「郷里から離れていると、家のことが気になり仕事が進まないこともあります。叱責でいたずらに人心を離すよりも、彼らに休暇を与えて郷里に戻すことも必要です。状況に応じて召し寄せるのは簡単なことですから」
と、杜畿は伝え、人を分散させることにも成功する。
こうして、杜畿は衛固や范先から徐々に戦力を削ぎ取り、密かに自分の力となってくれる者たちを増やしていくのだった。
杜畿が太守に就任し、しばし時が経過したころ、張白騎が河東郡の東垣、高幹が濩澤を攻める。
この侵攻に参加したい衛固や范先だが、手持ちの兵が少ないことに二の足を踏んだ。
郷里に戻した者たちも、蓄えた財で贅沢な暮らしをしており、今さら、戦場に戻る気がしないと、衛固の呼びかけに応じない。
ここにきて、やっと杜畿の策に嵌ったことに気づくが、後の祭りだった。
せめて杜畿だけも殺しておきたいと考える衛固と范先だが、いつの間にか杜畿の周りには四千の精鋭が集まっており、攻め滅ぼすことができない。
そのうち、張白騎は西涼の馬超に、高幹は楽進と李典に敗れてしまうと衛固と范先は河東郡に孤立した。
張琰を討ち取った夏侯惇が衛固、范先の前に現れると、そこで二人の命運が尽きる。
衛固と范先の首が、あえなく宙に飛ぶのだった。
戦後、杜畿は、衛固、范先に付き従った者たちのほとんどを許し、そのまま元の職に就かせる。
それは、素早い収束を狙ってのもの。混乱により、一番の被害を被るのは民なのだ。
荀彧の推薦、曹操の期待に応えた杜畿は、その後、河東郡の善政に努め、以後、十六年間も統治を任されることになる。
その治績は、天下第一と称賛を受けるのだった。
この結果が周辺に及ぼす影響は、曹操の想像以上に大きかった。
まず、長く漢王朝に逆らい続けた黒山賊の張燕が十余万の兵を率いて、帰順を申し出て来た。
曹操は大いに喜ぶと、張燕に平北将軍の位を与える。
そして、想定外の出来事は続き、何と并州刺史の高幹元才が降伏してきたのだ。
袁家の離反、造反は続いていたが、ここまでの大物が軍門に降ってきたのには曹操も吃驚する。
袁尚の降伏をはねつけた曹操だったが、高幹の降伏は、すぐに受け入れた。
それは、高幹が袁尚よりもはるかに優秀だったからだ。
高幹は、袁紹の姉の息子。
つまり、袁紹とは伯父、甥という間柄ながら、息子の袁譚、袁煕と同様に一州の統治を任されている。
それだけで高幹の優秀さが伺い知れるというものだった。
袁煕と合流した袁尚だったが、もっとも頼りとしていた高幹の裏切りには顔色を失う。
「元才ですら、袁家を見限るのであれば、他の者の心など、とうに曹操に向いているのではないか」
袁尚のこの言葉通り、幽州の豪族、権力者たちは雪崩を打ったかのように曹操に媚びへつらうようになった。
幽州の雍奴県、泉州県、安次県に勢力を持つ王松もその一人。
世話していた皇族の末裔、劉放の進言により、曹操への帰順を決意する。
その際の手紙を作成したのが劉放だったのだが、その文章があまりにも流麗であったため、曹操の興味を引いた。
併せて、王松の帰属が劉放の提案だったことを知ると、曹操は彼を招聘することに決める。
鄴にやって来た劉放に対して、曹操は喜んで、参司空軍事に取り立てるのだった。
王松のように、ただ帰順するだけなら、まだしも反乱を起こし、積極的に袁尚を攻撃する者も現れる。
袁煕の配下であった焦触と張南は、主を裏切ると他の諸将も扇動した。
特に焦触は幽州刺史を僭称し、太守や県令に自分につくように駆り立てる。
旗色が悪くなった袁尚と袁煕は、たまらず烏桓族を頼って、遼西まで落ち延びるのだった。
烏桓族の王・蹋頓は、袁紹から受けた厚遇を忘れずに感謝の念を抱いていたため、二人を快く受け入れて匿う。
この時、袁尚についた烏桓族は、蹋頓の他には蘇僕延と烏延だった。
三人は、袁尚のために幽州を取り戻そうと、曹操に帰服している鮮于輔を攻める。
すると、烏桓族に呼応するように、趙犢と霍奴が幽州で反乱を起こした。
魚陽郡の獷平県にいた鮮于輔は、周囲を敵に囲まれるが、粘り強く戦い何とか曹操の援軍到着まで、守り抜く。
曹操が到着すると、すぐに立場は逆転し、趙犢と霍奴は首を刎ねられた。烏桓族も自領へと逃げ帰るのである。
これで幽州の騒乱は収まったかのように思えた。
ところが、今度は、曹操が遠征に出た隙をついて、降伏したはずの高幹が反乱を起こす。
高幹は、密かに選抜した少数の精鋭部隊を鄴へ送り込むと、城内のかく乱を企てた。
しかし、この乱は、鄴の守備を任されていた荀彧の兄、荀衍の手によって、失敗に終わる。
高幹の精鋭部隊は壊滅させられたのだ。
知略に長けた荀彧の一族にあって、兄の荀衍は異色の存在。武芸にその才覚があった。
この功によって、荀衍は列侯に封ぜられる。
一方、計画が頓挫した高幹は、次の手を考えた。
「馬騰は、途中で裏切るし、鄴の文官の中にあそこまで剛の者がいるとは思わなかった。世の中、上手くいかないもんだね」
以前、河東郡で呼廚泉に呼応した反乱では、馬騰を味方に引き込む策を実行していたのは、実は高幹だった。
今回の鄴の強襲も城ではなく、人を狙ったもの。
主だった文官、官吏を殺して政治を麻痺させようとしたのだが失敗してしまったのだ。
目のつけ所が、他の者とは一線を画す。
袁紹が、なかなか後継者を定めなかったのは、高幹の能力が高すぎたため、自分の息子たちが見劣りして見えたからではと、袁家内で囁かれたこともあった。
その高幹は、上党郡にある交通の要所、壺関を占拠すると防備を固める。
守備体形が整ったところで、黒山賊で張燕と決別しながらも一万の兵力を保持してた張白騎に声をかけた。
張白騎が高幹の呼びかけに応えると長安周辺の京兆尹、左馮翊、右扶風のいわゆる三輔の中を広く暴れ回る。
すると、河東郡の張琰も軍を起こして反乱に加わった。
司隷、特に河東郡が一気に騒がしくなったため、曹操はこれを鎮めるための適正な人材を荀彧に求める。
「張白騎が三輔だけに飽き足らず、二崤山や澠池一帯を荒らしている。南方の劉表とも組み、造反する者はこれから他にも出るだろう。君には蕭何や寇恂のような優れた人物を推挙してほしい。それによって、この地を鎮めたい」
「それならば、杜畿殿がまさに適任と言えます」
蕭何や寇恂のような人物となると、なかなか見つかるものではないと思うのだが、荀彧があまりにも即答するので、曹操は驚くと同時に確信を持つ。
早速、杜畿を河東郡へ送るのだった。
太守交代の報せを受けて、司隷の地を任されていた鍾繇は、河東太守の王邑に太守の印綬返還を求める。
しかし、王邑は鍾繇の指示には従わず、自ら許都に印綬を返還しに行くのだった。
鍾繇の面目は潰れることになったが、これには理由がある。
王邑の配下の衛固と范先が謀反の計画を立ててる気配があり、河東に残っていたら、その謀反に巻き込まれる可能性があったのだ。
この地を早く立ち去りたい王邑は、本来の形式を無視して、直接、印綬の返還を名目に河東を脱したのである。
自身の監督不行き届きを嘆いた鍾繇は、職を辞す覚悟だったが、荀彧に事情を説明されて得心すると、衛固と范先を警戒した。
代わって河東に向かう杜畿にも、当然、この情報は入る。
杜畿と衛固、范先の探り合い、騙し合いが河東で行われることとなった。
まず、最初に衛固が太守交代に反対の意を表明して杜畿の河東入りを阻む。
黄河を渡るための陝津の渡しを兵を使って封鎖した。
杜畿が妨害を受け、立ち往生したことを知ると、これを叛意とみなし、曹操が夏侯惇を派遣する手配を行う。
この報せを受けた杜畿の従者が、
「ご主人さま、ようございました。夏侯惇将軍が来て下さいましたら、安心して河東に入れますね」と喜ぶ。
ところが、杜畿は渋い顔をした。
「いや、別の渡しから急いで渡ろう」
「どうしてでございますか?」
「河東には三万戸の民がいる。事情の知らぬ民が大軍に怯え、衛固の手先となった場合、罪のない者たちまで敵となる。それだけは避けねばならないのだよ」
そう言うと、陝津より西にある郖津という渡しから、急いで河東郡に入るのだった。
郡治所についた杜畿を、衛固と范先はしぶしぶ受け入れる。
出迎えとして、杜畿の肝を冷やしてやろうと、范先は主簿以下、三十人あまりを無実の罪で斬り殺すが杜畿は平然としていた。
その様子に、衛固は杜畿に対して、威嚇は無駄だと心得る。
「杜畿を殺したところで、我らの名を落とすだけだ。外から来たあいつには、何もできやしない」
衛固と范先は、配下となり上辺は杜畿を奉じることで意見を合わせた。
杜畿が太守の任につくと、衛固を都督に取り立てて太守の副官の仕事と権限の大きい功曹も兼ねさせた。また、范先には三千人の指揮権を与える。
二人に媚びを売るふりをして、とりあえず彼らの懐の中に入り込むことにしたのだ。
これで衛固と范先は、杜畿を軽く見る。自分たちの言いなりに出来ると踏むのだった。
ある時、衛固が兵を大動員しようとすると、杜畿は助言を与える。
「急に人を集めると、人々はよからぬ疑いや何事かと憂う者も現れるでしょう。ゆっくりと時間と費用をかけて兵を集めた方がいいのです」
「うむ。確かに」
納得した衛固は、言われた通りにするが、兵を集めるための費用を水増して、請求する者が衛固の周りには多かった。
日数をかけた方が儲かることに気づくと、本気で兵を集めようとする者など誰もいなくなる。結果、集められた兵数は少数のままだった。
また、兵集めがはかどらないことに苛立ち、周りの者を責める衛固に対して、
「郷里から離れていると、家のことが気になり仕事が進まないこともあります。叱責でいたずらに人心を離すよりも、彼らに休暇を与えて郷里に戻すことも必要です。状況に応じて召し寄せるのは簡単なことですから」
と、杜畿は伝え、人を分散させることにも成功する。
こうして、杜畿は衛固や范先から徐々に戦力を削ぎ取り、密かに自分の力となってくれる者たちを増やしていくのだった。
杜畿が太守に就任し、しばし時が経過したころ、張白騎が河東郡の東垣、高幹が濩澤を攻める。
この侵攻に参加したい衛固や范先だが、手持ちの兵が少ないことに二の足を踏んだ。
郷里に戻した者たちも、蓄えた財で贅沢な暮らしをしており、今さら、戦場に戻る気がしないと、衛固の呼びかけに応じない。
ここにきて、やっと杜畿の策に嵌ったことに気づくが、後の祭りだった。
せめて杜畿だけも殺しておきたいと考える衛固と范先だが、いつの間にか杜畿の周りには四千の精鋭が集まっており、攻め滅ぼすことができない。
そのうち、張白騎は西涼の馬超に、高幹は楽進と李典に敗れてしまうと衛固と范先は河東郡に孤立した。
張琰を討ち取った夏侯惇が衛固、范先の前に現れると、そこで二人の命運が尽きる。
衛固と范先の首が、あえなく宙に飛ぶのだった。
戦後、杜畿は、衛固、范先に付き従った者たちのほとんどを許し、そのまま元の職に就かせる。
それは、素早い収束を狙ってのもの。混乱により、一番の被害を被るのは民なのだ。
荀彧の推薦、曹操の期待に応えた杜畿は、その後、河東郡の善政に努め、以後、十六年間も統治を任されることになる。
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