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第20章 皇叔逃走編
第124話 趙雲の単騎駆け
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麋夫人を亡くした哀しみを断ち切って、思い新たに農村を出た趙雲だったが、敵の厚みが増していることに曹操の本隊が到着していると察した。
今の状況で敵兵が増えることは、あまり歓迎できない。
阿斗君を抱いたままでは、涯角槍を片腕で操られねばならず、いつもの槍さばきを発揮できないのだ。
雑兵ごときならば、それでも趙雲は後れを取ることはないが、将軍級の猛者が現れたら、たちまち窮地となるだろう。
出来ることならば、敵を避けながら進みたいのだが、やはり思うようにはいかなかった。
立派な鎧に身を包み、三十騎ほどの兵を従える武将と出くわしてしまう。
身なりから、さぞかし名のある将かと思ったが、何やら勝手が違った。
通常、敵が三十騎もいれば趙雲を取囲むように隊列を組むはずだが、逆に騎兵は主を取囲むようにして離れようとしない。
曹操軍の要人か?
趙雲は咄嗟に、そう思った。だとすると、無用の争いを避けることができるかもしれない。
「私の名は趙雲子龍。そこもと、戦人にあらずと見た。できれば出会わなかったことにして、通してもらえないか?」
趙雲子龍という名を聞いて、どよめきが起こった。
さすがに趙雲の名は、曹操軍の中にも知れ渡っているようである。
騎兵たちは、この勇敵に分が悪いと思ったのか、どうするか相談していたが、当の主は顔を青ざめ口元も震わせながらも、
「そのような事できるわけがない」と叫んだ。
主の決定には従わねばならぬ。騎兵隊は意を決して、趙雲に飛びかかっていく。
趙雲にとって幸いだったのは、一度に三十騎の相手をせずに済んだことだった。
騎兵たちの本分は、主の護衛なのだろう。
つねに警護に気を配りながらの攻撃だったため、片手でも十分に相手が出来たのだ。
「夏侯恩さま、お逃げください」
二十騎ほど、趙雲に討ち取られて不利と悟った騎兵の一人が、撤退を促すが、その夏侯恩とやらは、頑として言うことを聞かない。
「私は逃げはせぬ」
その言葉に絶望を感じた残りの騎兵たちは、奇声のような大声を発して、趙雲の元へ飛び込むが、あえなく涯角槍の錆と消える。
最後に夏侯恩も、その胸を貫かれるのだった。
「言葉通り、逃げなかったことは褒めよう」
趙雲が、その場を去ろうとすると、夏侯恩が手にしていた剣の輝きが目に入る。
その刀身は一目見るだけで切れ味が鋭いと判断がついた。
試しに振ってもみるが、何とも軽い。
これは、名刀に間違いないと趙雲は思った。
夏侯恩の腰から鞘を取ると、そこには『青釭の剣』と書かれている。
「これがあの青釭の剣か。」
この剣は、曹操が持つという『倚天の剣』と対をなす名剣。
真のことかどうか分からないが、『斬れないものはない』という謳い文句まであるそうだ。
確か、寵愛する随身に渡したと聞くが、それが夏侯恩のことなのだろう。
何にせよ、この剣があれば片手の状態でも、襲ってくる曹操兵を斬り伏せて、囲みの突破が出来そうである。
趙雲は、苦難の中、活路を見出すのだった。
趙雲が愛馬白竜駒を疾走させていると、またもや曹操の一団が現れる。
今度の相手は、晏明と名乗った。
敵将曹洪の配下らしいこの男は、三尖両刃刀を操って、趙雲に挑んでくる。
早速、青釭の剣を抜いて、相手との距離を測った。
槍と剣では、間合いが違う。
趙雲は慎重に相手の出方を窺った。
晏明が繰り出す突きを二回ほどいなすと、剣の感覚を取り戻す。
三合目の攻撃を躱して、趙雲は青釭の剣を横に一閃。
晏明の首が地に落ちるのだった。
将が討たれると晏明の部下たちは、蜘蛛の子を散らすように逃げ出していく。
当然、趙雲は深追いせずに、今の闘いの感想を漏らした。
「剣を扱うのは久しぶりだが、もう大丈夫だろう」
それにしても名刀の切れ味には舌を巻く。
人の首を斬ったというのに手ごたえがまるでないのだ。
趙雲は、この青釭の剣によって、どんな難敵にも打ち勝つ自信を深める。
とはいえ、避けられる闘いはできるだけ避けたいというのも本音。
戦闘は胸に抱く阿斗君にも少なからず負担がかかるからだ。
敵に出会わぬよう大きな街道を外して走る趙雲だが、思わぬところで敵軍の旗指物が目に入る。
趙雲の記憶に間違いがなければ、あの旗は袁尚の降将、馬延、張顗の二将のはずだ。
この二人、袁家ではそれなりに重用されるも、有能な将が多い曹操の下では、存外に扱われることが多い。
今も戦果を得られる見込みのない地を任されていたのだ。
そこに現れたのが、この趙雲子龍。
しかも手には赤子を抱えおり、推察するに劉備の子息で間違いないと思える。
二人にとって、まさに垂涎の的だった。
「取囲んで逃がすな」
「ようやく運が巡って来たわ」
両将の兵は合わせて二百ほど。
先ほどの夏侯恩や晏明のときより兵は多いが、その代わり騎兵はいなかった。
将を討つか囲みを突破さえすれば、追ってくることはできないだろうと趙雲は判断する。
ざっと見回すと囲みが薄いのは、馬延と張顗のところだった。
趙雲は、白竜駒を一気に走らせると二人めがけて突進する。
馬延も張顗も、まさか自分たちのところに来るとは思っておらず、完全に不意を突かれた。
反射的に武器を繰り出すが、青釭の剣によって二人の得物は完全に破壊されると、なす術なく趙雲が囲みから脱出するのを見送るのである。
「くそ」
「卑怯な、尋常に勝負しろ」
戦う武器なくどうやって勝負するつもりか分からないが、負け犬の遠吠えを趙雲は完全に無視した。
そのまま全速力で馬を走らせるが、途中で裏道が途切れてしまった。
林の中を突っ切るという方法もあるが、悪路で阿斗君に万が一のことがあっても困る。
趙雲は、仕方なく曹操軍が多く集まる街道へと駒を進めた。
ここでも青釭の剣は大活躍し、趙雲を止められる者は誰もいない。
すると、自軍の中を無人の野を行くように駆け抜ける、敵将の存在を曹操が認める。
「あれは、趙雲子龍ではないか?」
曹操は、昔、徐州の地で劉備の窮地に颯爽と登場した白銀の鎧を着た勇将を思い出した。
隣にいた曹洪にも確認するが、趙雲で間違いないと答える。
「あの将が欲しい」
思わず呟いた曹操のこの一言が、趙雲に幸運をもたらすことになった。
「丞相、それは趙雲を生け捕りにせよということでしょうか?」
「うむ。どう見ても、あれは当代随一の虎将。ぜひ、我が配下に加えたい」
この曹操の意向により、趙雲に対して弓の類は使えなくなる。
間違って、急所にでも当たれば生きたまま捕らえることが叶わなくなるからだ。
また、実際に対峙する者たちも、どうしても本気を出せない。
それは趙雲に大怪我を負わせることも禁じられたからだ。
曹操の命令が行き届くと、兵たちは趙雲を遠巻きに囲むだけで、なかなか挑もうとする者がいなくなる。
但し、そのような敵軍の事情など、趙雲には関係なかった。
来ないというのであれば、自由に進むだけ。
白竜駒を思う存分、走らせた。
そんな中、やっと趙雲の前に立ちはだかる者が出てくる。
鍾縉、鍾紳と名乗る兄弟で、兄の鍾縉は大斧を使い、弟の鍾紳は方天戟の名手とのこと。
怪力の許褚が趙雲の後ろに回り込み、隙あれば素手で捕らえようともしていた。
ここで時間をかけるべきではないと判断した趙雲は、一度、振り返り、許褚に牽制を送ると、二人への視線を切ったまま、前進する。
慌てた鍾縉が大斧を振り下ろすが、寸前で躱して、その腕を斬り落とした。
兄の苦悶の表情の横で、鍾紳が突きを放つ。趙雲は余裕でいなして、方天戟の方向を逸らした。
「ぐわ」
勢い余った弟の得物は兄の胸に突き刺さる。
そして、青釭の剣を横に一回転させると狼狽している弟、鍾紳の首を刎ねるのだった。
趙雲の刃先は、後方の敵をも狙ったものだったが、許褚はぎりぎりで躱すと、その場に尻餅をつく。
「今だ」
白竜駒の手綱を扱くと、またもや曹操軍の囲みを突破するのだった。
やはり、あの趙雲を生け捕ることなど不可能。
作戦の失敗が曹操の脳裏に過ると、隣で司馬懿がぽつりと一言漏らす。
「いや、悪くないか」
司馬懿は別に進言するつもりはなかったため、小さな声で話したのだが、曹操が聞き咎めた。
「味方がやられている。何が悪くないというのかな?」
「いえ、このまま趙雲が逃げれば、その先に劉備がいるのだと思っただけでございます」
なるほど。そういう考え方もあるか。
曹操は、趙雲の生け捕り作戦を続行し、劉備の所まで案内してもらうことにした。
それで、あわよくば趙雲も捕らえることができれば一石二鳥である。
孤軍奮闘する白銀の戦士の様子を見ながら、曹操はにやりと笑うのだった。
今の状況で敵兵が増えることは、あまり歓迎できない。
阿斗君を抱いたままでは、涯角槍を片腕で操られねばならず、いつもの槍さばきを発揮できないのだ。
雑兵ごときならば、それでも趙雲は後れを取ることはないが、将軍級の猛者が現れたら、たちまち窮地となるだろう。
出来ることならば、敵を避けながら進みたいのだが、やはり思うようにはいかなかった。
立派な鎧に身を包み、三十騎ほどの兵を従える武将と出くわしてしまう。
身なりから、さぞかし名のある将かと思ったが、何やら勝手が違った。
通常、敵が三十騎もいれば趙雲を取囲むように隊列を組むはずだが、逆に騎兵は主を取囲むようにして離れようとしない。
曹操軍の要人か?
趙雲は咄嗟に、そう思った。だとすると、無用の争いを避けることができるかもしれない。
「私の名は趙雲子龍。そこもと、戦人にあらずと見た。できれば出会わなかったことにして、通してもらえないか?」
趙雲子龍という名を聞いて、どよめきが起こった。
さすがに趙雲の名は、曹操軍の中にも知れ渡っているようである。
騎兵たちは、この勇敵に分が悪いと思ったのか、どうするか相談していたが、当の主は顔を青ざめ口元も震わせながらも、
「そのような事できるわけがない」と叫んだ。
主の決定には従わねばならぬ。騎兵隊は意を決して、趙雲に飛びかかっていく。
趙雲にとって幸いだったのは、一度に三十騎の相手をせずに済んだことだった。
騎兵たちの本分は、主の護衛なのだろう。
つねに警護に気を配りながらの攻撃だったため、片手でも十分に相手が出来たのだ。
「夏侯恩さま、お逃げください」
二十騎ほど、趙雲に討ち取られて不利と悟った騎兵の一人が、撤退を促すが、その夏侯恩とやらは、頑として言うことを聞かない。
「私は逃げはせぬ」
その言葉に絶望を感じた残りの騎兵たちは、奇声のような大声を発して、趙雲の元へ飛び込むが、あえなく涯角槍の錆と消える。
最後に夏侯恩も、その胸を貫かれるのだった。
「言葉通り、逃げなかったことは褒めよう」
趙雲が、その場を去ろうとすると、夏侯恩が手にしていた剣の輝きが目に入る。
その刀身は一目見るだけで切れ味が鋭いと判断がついた。
試しに振ってもみるが、何とも軽い。
これは、名刀に間違いないと趙雲は思った。
夏侯恩の腰から鞘を取ると、そこには『青釭の剣』と書かれている。
「これがあの青釭の剣か。」
この剣は、曹操が持つという『倚天の剣』と対をなす名剣。
真のことかどうか分からないが、『斬れないものはない』という謳い文句まであるそうだ。
確か、寵愛する随身に渡したと聞くが、それが夏侯恩のことなのだろう。
何にせよ、この剣があれば片手の状態でも、襲ってくる曹操兵を斬り伏せて、囲みの突破が出来そうである。
趙雲は、苦難の中、活路を見出すのだった。
趙雲が愛馬白竜駒を疾走させていると、またもや曹操の一団が現れる。
今度の相手は、晏明と名乗った。
敵将曹洪の配下らしいこの男は、三尖両刃刀を操って、趙雲に挑んでくる。
早速、青釭の剣を抜いて、相手との距離を測った。
槍と剣では、間合いが違う。
趙雲は慎重に相手の出方を窺った。
晏明が繰り出す突きを二回ほどいなすと、剣の感覚を取り戻す。
三合目の攻撃を躱して、趙雲は青釭の剣を横に一閃。
晏明の首が地に落ちるのだった。
将が討たれると晏明の部下たちは、蜘蛛の子を散らすように逃げ出していく。
当然、趙雲は深追いせずに、今の闘いの感想を漏らした。
「剣を扱うのは久しぶりだが、もう大丈夫だろう」
それにしても名刀の切れ味には舌を巻く。
人の首を斬ったというのに手ごたえがまるでないのだ。
趙雲は、この青釭の剣によって、どんな難敵にも打ち勝つ自信を深める。
とはいえ、避けられる闘いはできるだけ避けたいというのも本音。
戦闘は胸に抱く阿斗君にも少なからず負担がかかるからだ。
敵に出会わぬよう大きな街道を外して走る趙雲だが、思わぬところで敵軍の旗指物が目に入る。
趙雲の記憶に間違いがなければ、あの旗は袁尚の降将、馬延、張顗の二将のはずだ。
この二人、袁家ではそれなりに重用されるも、有能な将が多い曹操の下では、存外に扱われることが多い。
今も戦果を得られる見込みのない地を任されていたのだ。
そこに現れたのが、この趙雲子龍。
しかも手には赤子を抱えおり、推察するに劉備の子息で間違いないと思える。
二人にとって、まさに垂涎の的だった。
「取囲んで逃がすな」
「ようやく運が巡って来たわ」
両将の兵は合わせて二百ほど。
先ほどの夏侯恩や晏明のときより兵は多いが、その代わり騎兵はいなかった。
将を討つか囲みを突破さえすれば、追ってくることはできないだろうと趙雲は判断する。
ざっと見回すと囲みが薄いのは、馬延と張顗のところだった。
趙雲は、白竜駒を一気に走らせると二人めがけて突進する。
馬延も張顗も、まさか自分たちのところに来るとは思っておらず、完全に不意を突かれた。
反射的に武器を繰り出すが、青釭の剣によって二人の得物は完全に破壊されると、なす術なく趙雲が囲みから脱出するのを見送るのである。
「くそ」
「卑怯な、尋常に勝負しろ」
戦う武器なくどうやって勝負するつもりか分からないが、負け犬の遠吠えを趙雲は完全に無視した。
そのまま全速力で馬を走らせるが、途中で裏道が途切れてしまった。
林の中を突っ切るという方法もあるが、悪路で阿斗君に万が一のことがあっても困る。
趙雲は、仕方なく曹操軍が多く集まる街道へと駒を進めた。
ここでも青釭の剣は大活躍し、趙雲を止められる者は誰もいない。
すると、自軍の中を無人の野を行くように駆け抜ける、敵将の存在を曹操が認める。
「あれは、趙雲子龍ではないか?」
曹操は、昔、徐州の地で劉備の窮地に颯爽と登場した白銀の鎧を着た勇将を思い出した。
隣にいた曹洪にも確認するが、趙雲で間違いないと答える。
「あの将が欲しい」
思わず呟いた曹操のこの一言が、趙雲に幸運をもたらすことになった。
「丞相、それは趙雲を生け捕りにせよということでしょうか?」
「うむ。どう見ても、あれは当代随一の虎将。ぜひ、我が配下に加えたい」
この曹操の意向により、趙雲に対して弓の類は使えなくなる。
間違って、急所にでも当たれば生きたまま捕らえることが叶わなくなるからだ。
また、実際に対峙する者たちも、どうしても本気を出せない。
それは趙雲に大怪我を負わせることも禁じられたからだ。
曹操の命令が行き届くと、兵たちは趙雲を遠巻きに囲むだけで、なかなか挑もうとする者がいなくなる。
但し、そのような敵軍の事情など、趙雲には関係なかった。
来ないというのであれば、自由に進むだけ。
白竜駒を思う存分、走らせた。
そんな中、やっと趙雲の前に立ちはだかる者が出てくる。
鍾縉、鍾紳と名乗る兄弟で、兄の鍾縉は大斧を使い、弟の鍾紳は方天戟の名手とのこと。
怪力の許褚が趙雲の後ろに回り込み、隙あれば素手で捕らえようともしていた。
ここで時間をかけるべきではないと判断した趙雲は、一度、振り返り、許褚に牽制を送ると、二人への視線を切ったまま、前進する。
慌てた鍾縉が大斧を振り下ろすが、寸前で躱して、その腕を斬り落とした。
兄の苦悶の表情の横で、鍾紳が突きを放つ。趙雲は余裕でいなして、方天戟の方向を逸らした。
「ぐわ」
勢い余った弟の得物は兄の胸に突き刺さる。
そして、青釭の剣を横に一回転させると狼狽している弟、鍾紳の首を刎ねるのだった。
趙雲の刃先は、後方の敵をも狙ったものだったが、許褚はぎりぎりで躱すと、その場に尻餅をつく。
「今だ」
白竜駒の手綱を扱くと、またもや曹操軍の囲みを突破するのだった。
やはり、あの趙雲を生け捕ることなど不可能。
作戦の失敗が曹操の脳裏に過ると、隣で司馬懿がぽつりと一言漏らす。
「いや、悪くないか」
司馬懿は別に進言するつもりはなかったため、小さな声で話したのだが、曹操が聞き咎めた。
「味方がやられている。何が悪くないというのかな?」
「いえ、このまま趙雲が逃げれば、その先に劉備がいるのだと思っただけでございます」
なるほど。そういう考え方もあるか。
曹操は、趙雲の生け捕り作戦を続行し、劉備の所まで案内してもらうことにした。
それで、あわよくば趙雲も捕らえることができれば一石二鳥である。
孤軍奮闘する白銀の戦士の様子を見ながら、曹操はにやりと笑うのだった。
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