矛先を折る!【完結】

おーぷにんぐ☆あうと

文字の大きさ
179 / 198
第26章 劉備入蜀編

第179話 ふたたび涪城へ

しおりを挟む
白水関が落ちたという報せに成都は大騒ぎとなった。更に陥落させた相手が、張魯ではなく劉備と知った時は、劉璋の顔が青ざめる。

「だから、老人兵ではなく、普通に援軍を送れば良かったのではないか?」
「いえ、あの劉備のこと、遅かれ早かれ本性を現したはずです。戦力を渡さなかった分だけ、まだ、吉かと思われます」

黄権は、劉備を益州に招き入れた時点で、この未来は確定していたと譲らなかった。
その是非は定かではなく、昔に戻って、やり直すこともできるわけではない。
今起きている問題に対して、議論しなくてはならないのだが・・・

「劉備は葭萌関を発して、付近の豪族たちの帰順を受け入れながら南下中、今頃は梓潼県しとうけん辺りだと思われます。早急に何か手を打ちませぬと・・・」
劉巴が過去の話を捨て、現実を直視する。

当初、劉備は二万の兵を連れて荊州からやって来た。ところが、今は白水関の兵と進軍中に加えた帰順兵と合わせて、その兵力が五万にまで膨れ上がっているという情報がある。
このまま傍観していては、ますます増えていくことが容易に想像できた。

「迎え撃つのであれば、涪城ふじょうがよろしいかと思います。早速、将兵を派遣いたしましょう」

劉巴と黄権は口を揃えて、迎撃を主張する。劉璋もそれしかないと思いつつ、劉備軍に勝てるのかという、一抹の不安が残った。
今なら、まだ和睦する機会が残っているのではないかと、弱気になる。

裏切り者の張松を怒りの感情のまま、処罰したところまでは良かったが、その後の劉備への対応は、もう少し冷静になっていればと、まだ、悔やんでいるのだ。
劉備と戦うことに尻込みする劉璋は、和睦はできないかと、群臣に投げかける。

「和睦など提案すれば条件として、巴郡はぐん広漢郡こうかんぐんくらいは要求されますぞ。この成都の近くに虎を住まわす、おつもりですか?」
「ならば、成都を離れ、越嶲郡えつすいぐん辺りに引っ越せばいいではないか」

劉璋は簡単に言うが、越嶲郡はすでに南蛮の異民族の勢力圏だった。
政治の中心たる州都を置けるような地ではない。

「現実問題として、戦うしかありません。賽はすでに投げられているのです」

これ以上、劉璋が馬鹿なことを言い出さない内に、黄権、劉巴らが主導して迎撃に向かう将の選抜を行った。
選ばれたのは、張任ちょうじん冷苞れいほう劉璝りゅうかい鄧賢とうけん呉懿ごいの五人である。

この中では、年長の張任を総大将として、五万の精鋭で涪城に向かうことになった。
戦の経験が少ない益州にあって、張任は名将と名高い人物の一人。

彼が劉備を撃ち破るもよし。万が一、敗れたとしても時間は十分、稼げる見積もりだった。
その間に成都の防備を高めることができる。

涪城が落ちた場合、次に通過するであろう綿竹関めんちくかんにも兵を派遣する準備を行った。
そして、広漢城主でもある黄権は、劉備への帰順者を、これ以上出さないように地域の安定を図ると言って、自身の居城に戻る。

「劉巴殿、成都はお頼み申した」
「承知いたしました。黄権殿もご成功、お祈りしております」

劉巴は黄権を見送ると、現在、置かれている状況を整理した。
成都には、他にも張粛や陰溥いんほなどの重臣はいたが、内政はともかく軍事に通じている者は劉巴しかいない。
別れ際に黄権が声をかけるように、自然と劉巴に期待が高まっていくのだ。

その劉巴は劉備に対して、特別な感情がある。
それは数年前、赤壁大戦の直後のこと。

曹操から荊州南部の防衛を託されながらも、力及ばず全ての所領を奪われたということがあった。
しかも、その時に関わった黄忠と魏延が先鋒として攻めてくるという。これは何かの巡り合わせ、まさしく因縁と言わずにいられなかった。

劉巴は、昂る感情を抑えて、慎重に綿竹関の防衛の任に当たるべき将を選考する。
適任なのは、劉巴も有能と認める李厳りげんしかいないという結論に至った。

これで、劉備を迎え撃つ体制としては、十分に整う。
あと涪城の攻防に際して、張任に助言を与えるための早馬を飛ばした。

攻め手の武将、黄忠と魏延であれば、魏延の方が与しやすいという情報を伝える。
あの魏延の性格を考えれば、必ず和を乱して、功に逸ることが予想できるのだ。

長沙郡での恥辱の借りを、ここで魏延に返してもらう。
劉巴は、そう目論見を立てるのだった。


劉備が駒を進めて、涪城に近づくと、言葉では言い表せない思いが駆け巡る。
ほんの数日前には、この城で劉璋からの歓待を受けていた。それが今は、完全に立場が変わって、この城郭を眺めているのである。

野心、決断を変えるつもりはないが、あの時、劉備を見ていた涪城の人々の目には、今の自分がどう映っているのだろうか?
悪鬼の如しと恨まれても、全てを受け止めようと劉備は考えていた。
それが侵略する者の責任なのである。

「今は、乱世。深く考えない方がいいと思いますけどねぇ」
黙り込んでいた劉備に龐統が話しかける。劉備の心情を察したのだろうが、そんな龐統を不思議な目で見た。

「何だ、憲和の奴がいるのかと思ったぜ」
声色は、全然違うのだが、話し方と内容がいかにも簡雍が言い出しそうだったため、そう感じたのである。

龐統は、にんまりと笑うと、真似てみましたと舌を出した。
劉備を元気づけるのには、これが一番だと判断したのである。

この龐統の態度で、初めて自分が気落ちしているのだと劉備は気付いた。
続けて、今、胸中にある思いを話し出す。

「周の武王が殷を滅ぼしたのは、正義の戦だというが、あれは、勝ったからこそ言える話だよなぁ?」
「まさしく、勝った方が歴史を作る。これは、古来より続く不文律でしょうね」

歴史とは、そういうもので、今の世で周の反乱を悪く言う者は、ほとんどいない。
しかし、一方では伯夷はくい叔斉しゅくせいのような兄弟の逸話も残っている。

当時、生きていた人々にとって、周の軍事行動は、本当に正義と思えたのだろうか?
今の涪城に住まう人々と同じ気持ちがあったのではないかと、劉備は思う。

「この戦、勝って終わらせて、俺は益州を取る。だが、大義なき侵略だった事実は、絶対に歪めない」
龐統は、黙って返事をしなかった。劉備の言うことは、見方によっては、ただの感傷と受け取られかねない。
考え方としては、立派だとは思うが・・・・

「分かっている。ただの自己満足にしか過ぎないってことも。だがら、俺は責任を持って、益州の人々の暮らしを豊かにする」
「それであれば、俺も同意しますよ。必ず、蜀を取りましょう」
劉備と龐統は、約束を交わす。また、これで劉備の決断が揺るぎないものに変わるのだった。

翌日、龐統は涪城を前にして、攻略のための指示を黄忠、魏延の二将軍に与える。
涪城を援護する形で、冷苞、鄧賢が左右に砦を築いていた。
まず、この両砦を撃破しないと涪城の攻略に取りかかられないのである。

そこで、黄忠と魏延、二手に分かれて、それぞれの砦に当たってもらおうというのだった。
黄忠が冷苞の砦、魏延が鄧賢という取り決めになる。

二将軍は、自分の隊に戻ると作戦決行の準備を始めるのだった。
敵の砦は、山岳の多い益州の地の利を活かしたもの。

森林に隠れての強襲を軍師から指示されている。
攻撃開始は、明朝、朝日が昇った後だった。

ここで明日の決戦に備える魏延に邪な気持ちが生まれる。
鄧賢を討っただけでは、冷苞を討つ黄忠と同じ手柄だ。黄忠よりも大きな戦功を挙げるためには、自身で二つの砦を落とせばいいと考えたのである。

今の劉備陣営では、関羽、張飛、趙雲が別格として不動の地位にいた。
それに次ぐのが陳到と言われているが、魏延に言わせれば、ただの古株で大したことはない。

あの絶大なる三将の次席を争う本命は、黄忠だと見ていた。
ならば、その黄忠を出し抜かねば、自分自身の出世は遠くなる。

幸い、今回の遠征は荊州から加わった新参者たちが手柄を立てやすいように組まれた編成となっていた。
この機会を利用して、少しでも三将に近づかなければと、一種の焦燥感のようなものが魏延には、あったのである。
密かに軍をまとめると、自分たちの担当とは違う方向を指示する指揮官に不審に思う者たちがいたが、それらの者は魏延が力づくで抑えつける。

「俺が出世したら、お前らにもいい目を見せてやる。だから、黙ってついて来い」

味方の黄忠にも見つかってはならないため、魏延隊は、かなり無理な行軍を強行した。
それでも何とか、予定の地点にたどり着くと息を潜める。
魏延は、朝日が昇る直前をじっと待つのだった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

織田信長IF… 天下統一再び!!

華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。 この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。 主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。 ※この物語はフィクションです。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

大東亜戦争を有利に

ゆみすけ
歴史・時代
 日本は大東亜戦争に負けた、完敗であった。 そこから架空戦記なるものが増殖する。 しかしおもしろくない、つまらない。 であるから自分なりに無双日本軍を架空戦記に参戦させました。 主観満載のラノベ戦記ですから、ご感弁を

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

札束艦隊

蒼 飛雲
歴史・時代
 生まれついての勝負師。  あるいは、根っからのギャンブラー。  札田場敏太(さつたば・びんた)はそんな自身の本能に引きずられるようにして魑魅魍魎が跋扈する、世界のマーケットにその身を投じる。  時は流れ、世界はその混沌の度を増していく。  そのような中、敏太は将来の日米関係に危惧を抱くようになる。  亡国を回避すべく、彼は金の力で帝国海軍の強化に乗り出す。  戦艦の高速化、ついでに出来の悪い四姉妹は四一センチ砲搭載戦艦に改装。  マル三計画で「翔鶴」型空母三番艦それに四番艦の追加建造。  マル四計画では戦時急造型空母を三隻新造。  高オクタン価ガソリン製造プラントもまるごと買い取り。  科学技術の低さもそれに工業力の貧弱さも、金さえあればどうにか出来る!

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

偽夫婦お家騒動始末記

紫紺
歴史・時代
【第10回歴史時代大賞、奨励賞受賞しました!】 故郷を捨て、江戸で寺子屋の先生を生業として暮らす篠宮隼(しのみやはやて)は、ある夜、茶屋から足抜けしてきた陰間と出会う。 紫音(しおん)という若い男との奇妙な共同生活が始まるのだが。 隼には胸に秘めた決意があり、紫音との生活はそれを遂げるための策の一つだ。だが、紫音の方にも実は裏があって……。 江戸を舞台に様々な陰謀が駆け巡る。敢えて裏街道を走る隼に、念願を叶える日はくるのだろうか。 そして、拾った陰間、紫音の正体は。 活劇と謎解き、そして恋心の長編エンタメ時代小説です。

戦神の星・武神の翼 ~ もしも日本に2000馬力エンジンが最初からあったなら

もろこし
歴史・時代
架空戦記ファンが一生に一度は思うこと。 『もし日本に最初から2000馬力エンジンがあったなら……』 よろしい。ならば作りましょう! 史実では中途半端な馬力だった『火星エンジン』を太平洋戦争前に2000馬力エンジンとして登場させます。そのために達成すべき課題を一つ一つ潰していく開発ストーリーをお送りします。 そして火星エンジンと言えば、皆さんもうお分かりですね。はい『一式陸攻』の運命も大きく変わります。 しかも史実より遙かに強力になって、さらに1年早く登場します。それは戦争そのものにも大きな影響を与えていきます。 え?火星エンジンなら『雷電』だろうって?そんなヒコーキ知りませんw お楽しみください。

処理中です...