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第28章 桑木の約編
第191話 隠れた名将
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葭萌関を守る霍峻は、一万の軍勢を前にも心は決して挫けなかった。
対峙する益州の将の名は、扶禁と向存。
葭萌関の城壁の上から、敵勢力を睨む霍峻の元に伝令が走る。
その伝令使が伝えたのは、面会を求める使者がやって来たとのことだ。
「ふん。降伏でも呼びかけに来たのか」
「いえ、使者は漢中の張魯からです」
これまで、全く動きを見せなかった張魯。それが、今になって何の用事だろうか?
考え込むが、いずれにせよ良い話ではなさそうだ。
とりあえず霍峻は、その使者の面会に応じることにする。
漢中からの使者の名は、楊帛という男だった。
会う前に、ともに葭萌関を守る孟達に確認すると、張魯に仕える楊一族の一人だという。
張魯の配下では閻圃が参謀役を担っているが、その閻圃と相対する形で、主君と密にあるのが楊一族ということだった。
ということは、張魯陣営でもそれなりの地位にある男なのかもしれない。
霍峻は、対面する前に、今一度、気を引き締めた。
「楊帛殿、この度はどういったご用件ですかな?」
「師君さまは、葭萌関の危機に大変、心を痛めております」
「我らの危機?」
霍峻の言葉に楊帛が頷く。師君とは、漢中を治める張魯が開く五斗米道という教団での呼び名だ。
五斗米道とは、張魯の祖父・張陵が起こした原始道教の一派である。
そして、張魯が三代目の教祖を務めていた。
「はい。目の前に劉璋の一万。一方、霍峻殿の手持ちの兵は、見たところ千にも満たないと思われます。これを危機と言わず、何を危機と言えばいいのでしょうか?」
「それでしたら、ご安心を。我らには天才軍師・龐統殿から授かった策があります」
その策の中身を明かすことはできないが、霍峻は自信を持って、問題ないことを伝える。
それでも楊帛は、しつこく引き下がらなかった。
「しかし、我らからの援軍があれば、その策とやらも楽に遂行できるのはありませんか?」
楊帛は、当然、この提案に食いついてくると思い込んでおり、満面の笑みで霍峻の言葉を待つ。
ところが、霍峻が断固として拒否した。
張魯の意図があまりにも見え透いているのである。
労なく葭萌関に兵を入れた後、内部から占拠。もしくは、霍峻自身を篭絡しようというのだろう。
「龐統軍師が兵の多寡で成功率が変わる策を授ける訳がないでしょう。どうぞ、お引き取りを・・・」
「・・しかし」
霍峻は立ち上がって、交渉の終了示したが、楊帛は立ち上がらない。
その様子に霍峻は、嘆息を一つ漏らした。
「貴方がたから見れば、無名の私のことなど歯牙にもかけていないのでしょう。確かに私を討つことは、簡単かもしれませんが、葭萌関を落とすのは容易なことではありませんよ」
「・・・いや、・・・承知しました」
楊帛は霍峻がどうあっても了承しないと分かると、漢中に戻って、このことを張魯に告げる。
すると張魯は、それ以上、葭萌関に関与するのを止めるのだった。
ただ、両者共倒れの機会を狙っているのか、葭萌関への監視だけは継続するのである。
まぁ、霍峻からすれば、下手に手出ししてこないのであればよし。勝手に見ていろという感じだった。
しかし、実際、数の不利があるという楊帛の指摘に間違いはない。ともに葭萌関を守る孟達からは、今後の方策について、求める声があがった。
「龐統軍師から授かった策があるのであれば、早めに対処してはどうだろうか?」
「いや、残念ながら、先ほどの言葉は方便です。軍師から、特に策は受けておりません」
「えっ」
あれほど自信満々に楊帛と話していたので、孟達の聞いていない秘事を霍峻だけは、受け取っているのだとばかり思っていたが、どうやら、違うらしい。
孟達は、思わず絶句した。
「では、どうなさるおつもりか?」
「なに、あの龐統殿が策を授けなかったのは、我らだけで対処できると判断されてのこと。これから、考えましょう」
この少々、楽観的な考えにすぐに賛同することはできなかったが、ここに至っては覚悟を決めるしかない。
孟達は開き直ることにした。
ここを奪われては、本隊の背後が脅かされることになる。
それだけは、何としても避けなければ、亡き張松に会す顔がなくなるのだ。
霍峻と孟達は、扶禁、向存の軍勢をよく観察し、対応策を考えることにする。
劉璋の軍勢は、葭萌関の守備兵が寡兵であることをよく理解しているようだ。
その分、侮っているというか油断している様子が見て取れる。
霍峻と孟達は、そこに勝機があるように思えた。
「敵は、どうやら我らが打って出るとは思っていないようです。機を見て、私が出陣します」
「分かりましたが、やはり夜襲ですか?」
出撃する機は、霍峻も悩んでいる。夜陰に乗じるほど、ここの地形をよく把握しているわけではないのだ。
兵が少ないため、奇襲での失敗は許されない。
霍峻は考え込みながら、観察を続けた。
今は丁度、昼時で扶禁、向存陣内からは、炊煙がもくもくと上がっている。
それを見ていた霍峻が、あることに気づいて手を叩いた。
「奇襲は、明日の昼時。今とほぼ同時刻に決行します」
「このような明るい時間帯で、大丈夫でしょうか?」
孟達の質問に霍峻は、劉璋陣内から上がる炊煙を指さす。
「ご覧ください。あれだけの炊煙があがっているということは、一万の兵は一斉に休憩に入っているのでしょう」
「そう言われると、確かに炊煙の量は多い。・・・いや、これは・・・」
これこそ、劉璋軍が油断しまくっているという動かぬ証拠だった。
通常は兵を分けて、時間差で休憩をとるものである。
一斉に休憩をとっては、緊急時に対処できなくなるからだ。
孟達は、思わず唖然とする。元とはいえ、孟達も劉璋に仕えていた男。
かつての同僚が、ここまで兵法に疎いということに、立場を忘れて恥じ入るのだった。
「なるほど。龐統軍師が策を授けない理由は、これでしたね」
霍峻の言葉に納得すると同時に、孟達は目の前の将が、けして有名というわけではなかったが、実はかなりの名将なのではと感心する。
そう見抜いた龐統の信頼があってこそ、少ない兵で重要な葭萌関を任されたのだろう。
孟達は、明日の奇襲が成功すると確信するのだった。
そして、翌日、劉璋陣内から炊煙があがるのを確認して、霍峻が三百騎ほど率いて出陣する。
昼飯が出来上がり、丁度、食事を取ろうかという頃合いの奇襲は、ものの見事に成功した。
扶禁、向存の兵は、まず、武器すら手に持っていない状態なのである。
霍峻は、手当たり次第に敵兵を討って回ると、向存が構える陣を見つけた。
士気が上がっている霍峻軍は、そのまま向存の部隊へと突撃を敢行する。
「おのれ、人が休んでいるところを狙い撃ちしおって」
「私が悪いような言い方は止めてくれ。油断しているお前らが悪い」
全くその通りであるため、向存はそれ以上言い返せなかった。
また、すぐに物理的にも言い返せない状態になる。
霍峻の薙刀によって、向存の首と胴が切り離されたのだ。
「敵将、獲ったぞ」
戦場で早くも凱歌があがると、劉璋兵は逃げ惑うばかりとなる。
霍峻は、頃合いを見計らって退却の指示を出した。
この奇襲で向存を討つことが叶い成果としては、十分すぎる結果である。
意気揚々として葭萌関へと戻るのだった。
僅か数百と侮り、なす術もなく同僚を討ち取られた扶禁は、以降、奇襲に備えて自陣から動こうとしなくなる。
攻めることを止めて、ただの睨み合いが続くのだった。
これは、霍峻にとって望む展開。下手に敵を殲滅して更に増援されるよりも、単純に時間を稼げる方がいい。
この地を守り通している間に、主力部隊が成都を落とせば、役目としては大成功なのだ。
この状況を観察していた楊帛は、勝負あったと見張りの兵を退かせる。
そして、霍峻の名を胸に刻み込むのだった。
「あの将の目が漢中に向く前に、我らも防備を固めた方がいい」
漢中に戻った楊帛は、そう報告すると、張魯もその言に従う。ただ、霍峻を篭絡できなかったことだけは、非常に悔やむのだった。
いずれにせよ、張魯の益州併呑が遠のいたことだけは間違いない。
そもそも戦略が大いに狂うことになったのは、馬超の離反。
益州を諦めきれない張魯は、もう一度、あの猛将を手元に戻せないか、苦心するのだった。
対峙する益州の将の名は、扶禁と向存。
葭萌関の城壁の上から、敵勢力を睨む霍峻の元に伝令が走る。
その伝令使が伝えたのは、面会を求める使者がやって来たとのことだ。
「ふん。降伏でも呼びかけに来たのか」
「いえ、使者は漢中の張魯からです」
これまで、全く動きを見せなかった張魯。それが、今になって何の用事だろうか?
考え込むが、いずれにせよ良い話ではなさそうだ。
とりあえず霍峻は、その使者の面会に応じることにする。
漢中からの使者の名は、楊帛という男だった。
会う前に、ともに葭萌関を守る孟達に確認すると、張魯に仕える楊一族の一人だという。
張魯の配下では閻圃が参謀役を担っているが、その閻圃と相対する形で、主君と密にあるのが楊一族ということだった。
ということは、張魯陣営でもそれなりの地位にある男なのかもしれない。
霍峻は、対面する前に、今一度、気を引き締めた。
「楊帛殿、この度はどういったご用件ですかな?」
「師君さまは、葭萌関の危機に大変、心を痛めております」
「我らの危機?」
霍峻の言葉に楊帛が頷く。師君とは、漢中を治める張魯が開く五斗米道という教団での呼び名だ。
五斗米道とは、張魯の祖父・張陵が起こした原始道教の一派である。
そして、張魯が三代目の教祖を務めていた。
「はい。目の前に劉璋の一万。一方、霍峻殿の手持ちの兵は、見たところ千にも満たないと思われます。これを危機と言わず、何を危機と言えばいいのでしょうか?」
「それでしたら、ご安心を。我らには天才軍師・龐統殿から授かった策があります」
その策の中身を明かすことはできないが、霍峻は自信を持って、問題ないことを伝える。
それでも楊帛は、しつこく引き下がらなかった。
「しかし、我らからの援軍があれば、その策とやらも楽に遂行できるのはありませんか?」
楊帛は、当然、この提案に食いついてくると思い込んでおり、満面の笑みで霍峻の言葉を待つ。
ところが、霍峻が断固として拒否した。
張魯の意図があまりにも見え透いているのである。
労なく葭萌関に兵を入れた後、内部から占拠。もしくは、霍峻自身を篭絡しようというのだろう。
「龐統軍師が兵の多寡で成功率が変わる策を授ける訳がないでしょう。どうぞ、お引き取りを・・・」
「・・しかし」
霍峻は立ち上がって、交渉の終了示したが、楊帛は立ち上がらない。
その様子に霍峻は、嘆息を一つ漏らした。
「貴方がたから見れば、無名の私のことなど歯牙にもかけていないのでしょう。確かに私を討つことは、簡単かもしれませんが、葭萌関を落とすのは容易なことではありませんよ」
「・・・いや、・・・承知しました」
楊帛は霍峻がどうあっても了承しないと分かると、漢中に戻って、このことを張魯に告げる。
すると張魯は、それ以上、葭萌関に関与するのを止めるのだった。
ただ、両者共倒れの機会を狙っているのか、葭萌関への監視だけは継続するのである。
まぁ、霍峻からすれば、下手に手出ししてこないのであればよし。勝手に見ていろという感じだった。
しかし、実際、数の不利があるという楊帛の指摘に間違いはない。ともに葭萌関を守る孟達からは、今後の方策について、求める声があがった。
「龐統軍師から授かった策があるのであれば、早めに対処してはどうだろうか?」
「いや、残念ながら、先ほどの言葉は方便です。軍師から、特に策は受けておりません」
「えっ」
あれほど自信満々に楊帛と話していたので、孟達の聞いていない秘事を霍峻だけは、受け取っているのだとばかり思っていたが、どうやら、違うらしい。
孟達は、思わず絶句した。
「では、どうなさるおつもりか?」
「なに、あの龐統殿が策を授けなかったのは、我らだけで対処できると判断されてのこと。これから、考えましょう」
この少々、楽観的な考えにすぐに賛同することはできなかったが、ここに至っては覚悟を決めるしかない。
孟達は開き直ることにした。
ここを奪われては、本隊の背後が脅かされることになる。
それだけは、何としても避けなければ、亡き張松に会す顔がなくなるのだ。
霍峻と孟達は、扶禁、向存の軍勢をよく観察し、対応策を考えることにする。
劉璋の軍勢は、葭萌関の守備兵が寡兵であることをよく理解しているようだ。
その分、侮っているというか油断している様子が見て取れる。
霍峻と孟達は、そこに勝機があるように思えた。
「敵は、どうやら我らが打って出るとは思っていないようです。機を見て、私が出陣します」
「分かりましたが、やはり夜襲ですか?」
出撃する機は、霍峻も悩んでいる。夜陰に乗じるほど、ここの地形をよく把握しているわけではないのだ。
兵が少ないため、奇襲での失敗は許されない。
霍峻は考え込みながら、観察を続けた。
今は丁度、昼時で扶禁、向存陣内からは、炊煙がもくもくと上がっている。
それを見ていた霍峻が、あることに気づいて手を叩いた。
「奇襲は、明日の昼時。今とほぼ同時刻に決行します」
「このような明るい時間帯で、大丈夫でしょうか?」
孟達の質問に霍峻は、劉璋陣内から上がる炊煙を指さす。
「ご覧ください。あれだけの炊煙があがっているということは、一万の兵は一斉に休憩に入っているのでしょう」
「そう言われると、確かに炊煙の量は多い。・・・いや、これは・・・」
これこそ、劉璋軍が油断しまくっているという動かぬ証拠だった。
通常は兵を分けて、時間差で休憩をとるものである。
一斉に休憩をとっては、緊急時に対処できなくなるからだ。
孟達は、思わず唖然とする。元とはいえ、孟達も劉璋に仕えていた男。
かつての同僚が、ここまで兵法に疎いということに、立場を忘れて恥じ入るのだった。
「なるほど。龐統軍師が策を授けない理由は、これでしたね」
霍峻の言葉に納得すると同時に、孟達は目の前の将が、けして有名というわけではなかったが、実はかなりの名将なのではと感心する。
そう見抜いた龐統の信頼があってこそ、少ない兵で重要な葭萌関を任されたのだろう。
孟達は、明日の奇襲が成功すると確信するのだった。
そして、翌日、劉璋陣内から炊煙があがるのを確認して、霍峻が三百騎ほど率いて出陣する。
昼飯が出来上がり、丁度、食事を取ろうかという頃合いの奇襲は、ものの見事に成功した。
扶禁、向存の兵は、まず、武器すら手に持っていない状態なのである。
霍峻は、手当たり次第に敵兵を討って回ると、向存が構える陣を見つけた。
士気が上がっている霍峻軍は、そのまま向存の部隊へと突撃を敢行する。
「おのれ、人が休んでいるところを狙い撃ちしおって」
「私が悪いような言い方は止めてくれ。油断しているお前らが悪い」
全くその通りであるため、向存はそれ以上言い返せなかった。
また、すぐに物理的にも言い返せない状態になる。
霍峻の薙刀によって、向存の首と胴が切り離されたのだ。
「敵将、獲ったぞ」
戦場で早くも凱歌があがると、劉璋兵は逃げ惑うばかりとなる。
霍峻は、頃合いを見計らって退却の指示を出した。
この奇襲で向存を討つことが叶い成果としては、十分すぎる結果である。
意気揚々として葭萌関へと戻るのだった。
僅か数百と侮り、なす術もなく同僚を討ち取られた扶禁は、以降、奇襲に備えて自陣から動こうとしなくなる。
攻めることを止めて、ただの睨み合いが続くのだった。
これは、霍峻にとって望む展開。下手に敵を殲滅して更に増援されるよりも、単純に時間を稼げる方がいい。
この地を守り通している間に、主力部隊が成都を落とせば、役目としては大成功なのだ。
この状況を観察していた楊帛は、勝負あったと見張りの兵を退かせる。
そして、霍峻の名を胸に刻み込むのだった。
「あの将の目が漢中に向く前に、我らも防備を固めた方がいい」
漢中に戻った楊帛は、そう報告すると、張魯もその言に従う。ただ、霍峻を篭絡できなかったことだけは、非常に悔やむのだった。
いずれにせよ、張魯の益州併呑が遠のいたことだけは間違いない。
そもそも戦略が大いに狂うことになったのは、馬超の離反。
益州を諦めきれない張魯は、もう一度、あの猛将を手元に戻せないか、苦心するのだった。
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