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第28章 桑木の約編

第198話 成都陥落、そして・・・

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成都城の前にある武将が立ち、降伏を促した。
それは劉璋にとって、まさに青天の霹靂へきれき。悪夢のような出来事が起きてしまったのである。

当然だが、何度見返そうとも、城外に立つ将の姿が変わることはなかった。
凛然りんぜんとしたたたずまい。あの西涼の錦、馬超孟起、その人が立っているのだ。

しかも、このような事は、これで二度目。
一度目は、重臣たちの反対を押し切り劉備を荊州から招いて裏切られた。

そして、今回は重臣たちの意見に従い、在野の馬超に救援を求めたのだが、同様の結果となる。
劉璋は、もう、何を信用していいか、分からなくなってしまった。

成都を取囲んだ劉備軍は、ついに十万にまで膨れ上がる。
率いる将の顔ぶれも、張飛、趙雲、黄忠、魏延、陳到、李厳、厳顔、呉懿。
極めつけに馬超である。

重臣たちが必死に知恵を絞り、意見を出し合っているが有効な意見は何も出なかった。
どう考えても、反撃の糸口すら見出せないのである。

夜になれば、人目を盗んで成都から脱走し、劉備に寝返る者が日に日に増える一方だった。
もはや、成都は沈没寸前の船と化す。

「成都を落とすのに、もう武力はいりません。私が行ってきますよ」
この状況に簡雍が、劉璋を説得すると名乗り出た。

周りからは、危険ではないかと心配する声が上がるが、劉備は簡雍にこの任務を任せる。
思えば、今までも重要な局面を簡雍に任せ、その交渉術で乗り切って来たのだ。

劉備玄徳の人生で、最大の山場。
託す人物は、この人しかいなかった。

簡雍は護衛に陳到を伴って、成都の門をくぐる。
通された城主の間には、やつれた表情の劉璋が肩を落として座っていた。

それは、そうだろう。
やる事なす事、全てが裏目に出ている。

もう何も考えられなくなっているといった感じだった。
簡雍は、こんな劉璋を早く楽にしてあげるべきだとおもんばかる。

「お初にお目にかかります。私、従事中郎の簡雍と申します」
「私が劉璋である。簡雍殿の用向きはいかに?」
「劉璋殿とゆっくり、お話がしたいのですが、よろしいか?」

一応、確認をしたものの、降伏するよう説き伏せに来たことは明白だった。
いきなりではなく、その対話の中で切り出そうというのか?
劉璋はそう勘ぐるが、簡雍と話がしやすいようにと、お酒と多少の料理を用意させる。

「いや、ここまで、していただくつもりはありませんでした。感謝いたします」

簡雍は慇懃いんぎんに礼を述べ、劉璋の盃に酌をした。勧められるまま、注がれた酒を一気に飲み干す。
酒は五臓六腑に染みわたり、劉璋は一息つくのだった。
思えば、この一年、ゆっくりと酒を味わう機会もなかったのである。

「失礼」
「何、気になさらずに」

少々、気持ちがほぐれ、ちょっと油断した表情を見せた。
その点を謝罪する劉璋だが、簡雍は気にも留めない。

そもそも腹を割って話しがしたいがために、この状況を作るよう仕向けたのだ。
堅苦しくない雰囲気の方がいいのである。
何気ない世間話しで、多少、盛り上がった後、不意に簡雍は劉璋に頭を下げた。

「焦土作戦を採用されなかったこと、感謝の気持ちでいっぱいです」
「自国の民を苦しめる作戦をとりたくなかった。ただ、それだけです」
「それこそが聡明な判断と言えるのです」

簡雍は劉璋を褒めるが、よく考えれば劉備陣営に称賛されるというのも変な話である。
ただ、劉璋は不思議と悪い気はしない。

とった作戦、全てが上手くいかなかったのだが、無益に民を疲弊させる策は取らなかった。
それは、親子二代にわたって益州を支えてくれた民に対して、感謝の気持ちがあったからである。

その民たちのことを考えれば、この後、どうすればいいのだろうか?
劉備との戦。その趨勢すうせいは、ほぼ定まっている。

この成都には三万の兵と一年分の兵糧があることから、今暫くの抵抗は可能だが、果たして、それは何のためになるというのか?
劉璋は自問を繰り返していた。

その間、簡雍はゆっくりと待つ。一国の君主に降伏を突きつけるより、自身で答えを導き出した方が、納得もするし自尊心も傷つけないはずだ。
そして、劉璋は答えを出す。

「簡雍殿。玄徳殿とお引き合わせ願えないだろうか?」
自ら、劉備と会い、降伏を伝えると言うのだ。劉璋のこの発言に、どこかホッとした空気が会場に流れる。
多くの臣たちは、やはり、もう諦めていたのだ。

そんな空気とは関係なく、簡雍は、劉璋を立派な君主だと褒めたたえる。
この決断は、誰にでもできるものではないからだ。

「それでは、私とともに参りましょう」
簡雍は劉璋の手を取る。誘われるまま、劉璋が立ち上がろうとしたその時・・・

「益州は、渡さんぞ」
背中に痛みを感じて、簡雍が振り返ると、そこには短剣を突き刺す劉巴がいた。

余りにも突然の出来事に、劉璋は腰を抜かしてしまう。
護衛の陳到が慌てて、劉巴を突き飛ばし、短剣を抜き取った。

「この城に、誰か医者はいないのか」
陳到の言葉にすぐ反応する者はおらず、仕方なく自ら、必死に簡雍の背中を抑えつける。
だが、思ったより傷が深く、血が止まる様子はなかった。

暫くして、ようやく医療の心得がある者が登場し、簡雍の治療にあたる。
しかし、あまりにも血を流し過ぎていた。

最悪の事態を思い浮かべた陳到は、護衛の任を達成できなかった自分を責める。
ただ、この変事を劉備に伝えなければならない。急いで使者を送るのだった。

程なくして、劉備がやって来る。よほど慌てていたのだろう。
まだ、降伏も占領もしていない敵の城内で、剣すら帯びずに駆けつけたのだ。

もちろん、張飛と趙雲も一緒に来ているため、劉備に危険が及ぶ心配はなかったが・・・
自分の身の心配より、劉備にとっては簡雍の方が大切なことが十分に伝わった。

「憲和。おい、返事しろ」
血の気が失せて、青白くなった簡雍を劉備は抱きかかえる。
手の中で、徐々に簡雍の体温が下がっていくのを劉備は感じた。

「おい、まだ、約束を守っていないぞ。これから、まだまだ、お前の力が必要なんだよ」
劉備は叫ぶが、簡雍からの返事は一切ない。張飛は涙を浮かべ、趙雲は口を一文字に固く閉じた。

必死に歯を食いしばっているようである。
簡雍の手がだらりと床に落ちると、劉備の慟哭が響きわたるのだった。


その後、紆余曲折うよきょくせつあり。
益州を手に入れた劉備は、曹操との決戦を制し、高祖・劉邦にとって運命の地、漢中を所領とする。

既に曹操は魏王に就任しており、その野心を天下に包み隠すことをしていなかった。劉備は、対抗するように王への就任を漢室に上奏し、漢中王を名乗る。
劉姓の漢中王誕生に、劉邦と重ねる人々が多く、世間の劉備への期待は高まるのだった。

そんな中、西暦220年。
劉備が危惧していた出来事が、ついに起こった。

曹操の跡を継いだ息子、曹丕が漢室に禅譲ぜんじょうを強要すると、献帝はついに折れる。
帝位を簒奪して、漢を滅ぼすのだった。

当然、そのような暴挙を劉備は認めることなく、蜀の地に新たな漢王朝を建てる。
翌年、万民の支持を得て、蜀漢の初代皇帝に即位した。
故郷の楼桑村を出て、おおよそ四十年後のことである。

ただ、欠けていることが一つ。
この即位を促した勧進文かんじんぶんの中にも、即位を祝う式典の中にも簡雍の名、姿がないのだった。

帝位に就いた劉備は、成都城中の民に、その姿をお披露目するため御車へと向かう。
今回のために作らせた天蓋付きの車は、遠くから見ると故郷の桑の木にそっくりだった。

これは偶然ではなく、劉備がそう注文して造らせたのである。
いざ、乗り込もうと車に手を伸ばすと、先客がいることに笑みを浮かべた。

「何だ、先に乗っていたのか?」
「ええ、そういう約束だったでしょ。大将。・・・いや、陛下ですか」
劉備はご機嫌な表情を崩さずに首を振る。

「いや、調子が狂うから、前のままでいいぜ。・・・憲和」
新しい御車に劉備より先に乗っていたのは、あの簡雍憲和であった。
簡雍は、あの大怪我の後、奇跡的に命をとりとめる。

しかし、半身不随となる障害が残ってしまった。
これでは、政務につけないと官職を持して、一時は劉備の元を去ろうとするのだが、そんなことを許す劉備ではなかった。

これからは、友人として残り、今まで通り相談事に乗ってほしいと懇願する。
そう願うのは劉備だけではなく、劉備に仕える臣、一堂から請われるに至って、簡雍は残る決心をしたのだ。

立場は、もう臣下でないため、軍議等に参加することはない。ただ、諸葛亮に頼まれて、意見を述べる機会はあった。

そんな時は、体が不自由であったため、長椅子に身を委ねての軍議への参加だったが、当然、咎める者は誰もいない。
劉備が漢中を制し、皇帝にまで昇りつけた陰に簡雍の助言もあったのだ。

「体の調子どうだ?」
「変わらずですよ。今日は、気分がいいから、ましな方ですね」
「そうか」

簡雍の視線は遠くを見つめるようである。それは、劉備も同じだった。
遠い昔、子供のころの約束が、本当に果たされる日が来るとは、正直、思ってもいなかったのである。

幾多の苦労があり、いつ死んでもおかしくない状況を経て、今があった。
万感の思いが、二人を襲う。
熱いものが頬を伝うのだが、お互い恥ずかしく、すぐに隠した。

「どうだ、乗り心地は最高だろ?」
照れながら、満面の笑みを浮かべる劉備に、子供のころの台詞が重なる。

『この人は、やっぱり稀代の人たらしだ。・・・でも、この人と一緒だから、今まで、やって来られた』

簡雍は、楼桑村で、初めて出会ったあの時の情景を思い起こした。
破顔一笑。
そこには、当時と同じく大きく頷く簡雍がいるのだった。

                              完
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みんなの感想(1件)

リュカ
2022.11.24 リュカ

関羽△(古い)
それにしても赤兎馬なみの早さでしたね。
まぁ、演出でしょうけど(笑)

解除
1 / 5

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