宝生の樹

丸家れい

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第一章

美弥藤の屋敷

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 予波ノ島の東端にある上尾かみおという小高い土地に美弥藤家の屋敷があった。

 崖に面した美弥藤家の屋敷から扇状に家臣団の屋敷が建てられ、島の半分以上を覆っている森まで農村が点在していた。農村は、尾東びとう尾西びせい尾南びなん尾中びちゅう尾崎びざきと五つに区分けされ、大小様々な溜池が四つ。

 予波ノ島が開拓されているのは東側の一部のみで、あとは手つかずの深い緑の海が広がっている。

 かつて、まつろわぬ民である伊予の一族が森を切り開いて天皇家との戦いの拠点とした東端に美弥藤家が屋敷を構えた。先人たちはさらに森を開拓しようと試みたが、開拓に携わっていた者が次々と原因不明の病にかかってしまったらしい。

 伊予の一族の祟りだと恐れを成した当時の美弥藤家の当主は、森の開拓を断念したのだとか。因みに、南の森を、原ノ森はらのもり。西の森を、瀬ノ森せのもりと呼び、特に北端に位置する沫ノ森あわのもりは、伊予の一族が神域としていた崇高な場所があるらしい。そして、そこには宝生ほうしょうという宝玉の成る大樹が聳え立っているという伝承が残っている。

 海に面している美弥藤家の屋敷は常に、崖に打ち寄せる波の音が聴こえていた。塀で囲まれた細長い屋敷の端――南東に位置する二間続きの部屋が青の部屋だった。

 つい数か月前までは、四季折々の木々が植えられていた庭園が望める南側の部屋だったのだが、東を引き取ることになってすぐに部屋を替えていた。

 先代の美弥藤家当主は、正室、側室含め十三人の子宝に恵まれていた。屋敷を増築させて幼子が暮らせる離れを作ったそうだ。今では先代のように子はおらず、離れは使われていなかった。

 そこに目を付けた青は離れへ移動させてもらったのだ。

 この南東の部屋から望める庭は、砂利や飛び石が施され、椿の木が一本植えられただけの質素なものではあったが、玄関から一番遠く、保親と正室の部屋からも遠いことが利点である。どうしても、保親と正室の居住空間は人通りが多く、青の以前の部屋もよく侍女が行き交っていた。
 
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