宝生の樹

丸家れい

文字の大きさ
16 / 40
第一章

長雨

しおりを挟む
 ***

 雨が降り続いていた。

 東が降らせた雨ではなく、自然に降り出した雨は梅雨明けの時期にも拘わらず、十日間止むことなく雨粒が地面を打ち続けている。

 恵みの雨ではあるのだが、何日にも渡る長雨だとさすがに気が滅入ってしまう。
 しかも、先月から風邪を拗らせて寝込んでいた美弥藤家の嫡男・國保くにやすの容体が悪化し、屋敷内には重々しい空気が漂っていた。

 異母兄弟である三歳年上の國保は、生まれつき身体が弱く、床に臥せることが多かった。國保の体調が良い日には外で一緒に遊んだことはあるが、片手で数えられるほどしか記憶はない。

 青が幼い頃は、母親の幸子と共に寝込んだ國保の見舞いに行っていたが、いつの日からか青はひとりで行くようになり、数日に一度は顔を合わせている。

 話をすることは決まって、國保は本の話、青は武芸や農村の話だった。

 國保は本が好きで、倭ノ国に残る伝承や貴族に仕える女官が書いた物語、中央で流行っている歌が記された本も好んで読んでいた。最近は、各地に残る倭ノ国の伝承を集めてひとつの物語にすると面白いかもしれない、と國保は熱心に伝承を書写していた。

 文学が苦手な青は國保から学び、身体を動かせない國保は青から上尾がどのような状態なのかを知った。國保は嫡男という責任感からか、村人たちのこと、村人が作っている農作物のことを知りたがっていた。

 だから、青もそれに応えるため、定期的に農村に出向いて積極的に村人の話を聞いて國保に伝えた。村人がどんな風に暮らし、どんなことに困っているのか言細かく話をした。

 それはいつか、國保が美弥藤家の当主になると信じていたからだ。

 國保の容体が悪くなったと聞かされたのは、十日以上も前のこと。発熱が続き、意識が朦朧としていることを告げられた。

 そのことを幸子に告げるか悩んだ挙句、青は幸子に報告した。

 案の定、幸子は無遠慮に陰々とした笑みを浮かべていた。正直、そんな母親の顔を見るのは嫌だった。

 自分と國保を比べたらどちらが当主に向いているのかは一目瞭然である。

 美弥藤家の当主は、國保しかいない。

 國保は身体が思うように動かないことを悲観することなく、知識を得ようと本を読んで美弥藤家のために未来を見据えていた。次期当主として相応しくあるために。

「青さん、垂れてない?」

 不意に東に声を掛けられた青は我に返った。

 何が垂れているのだ、と瞳を瞬かせる青に、東は苦笑しながら人差し指を下に向ける手振りをする。

 視線を落とした青は愕然とした。白い半紙の上に墨汁が滲み、黒い湖が出来てしまっていたのだ。

「あぁ……書き直しだ」

 國保を見倣って少しは文学に触れてみようと、以前より國保から借りていた本を書き写していたのだ。如何せん、読むだけでは眠くなってしまうので、書写してみようと試みたのは良いものの、この有様である。

 筆を置いた青は、半紙の隅を指で摘まんで折ったが、墨が滲んでふやけてしまったところが破けてしまった。
 哀れな半紙の姿に青は自嘲する。

「私には向いていないな」

 青と向き合うように座る東が布作面を揺らして笑う。

「そうだね。青さんは、身体を動かすことが好きみたい」

「わかるか?」

 うん、と素直に頷く東に青は唇を歪めて笑った。ひと月前から始めた書写ではあるが、未だ半分も写せていない。

「今日は仕舞いだ」

 青は軽く笑って腰を上げた。
 障子を開けて雨に濡れた庭を見つめる。庭に敷かれた飛び石も、植えられた木々も、曇天の下では色を深くして世界を暗色に染めていた。

「國保も、青空が恋しいだろうな。……國保の様子を聞いてくる」

 そう青が部屋から一歩踏み出したとき、焦燥めいた足音が迫ってきた。何事かと青も足音の方へ歩を進めると、駆けてきた若党が青を見つけるなり跪く。

「青さま、大変でございます。今しがた屋敷を訪れた……」

「要件を早く言え」

 端的に鋭く言う青に「はっ」とさらに頭を下げた若党が言った。

「溜池が決壊したとのことです」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

偽夫婦お家騒動始末記

紫紺
歴史・時代
【第10回歴史時代大賞、奨励賞受賞しました!】 故郷を捨て、江戸で寺子屋の先生を生業として暮らす篠宮隼(しのみやはやて)は、ある夜、茶屋から足抜けしてきた陰間と出会う。 紫音(しおん)という若い男との奇妙な共同生活が始まるのだが。 隼には胸に秘めた決意があり、紫音との生活はそれを遂げるための策の一つだ。だが、紫音の方にも実は裏があって……。 江戸を舞台に様々な陰謀が駆け巡る。敢えて裏街道を走る隼に、念願を叶える日はくるのだろうか。 そして、拾った陰間、紫音の正体は。 活劇と謎解き、そして恋心の長編エンタメ時代小説です。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

思いを込めてあなたに贈る

あんど もあ
ファンタジー
ファナの母が亡くなった二ヶ月後に、父は新しい妻とその妻との間に生まれた赤ん坊を家に連れて来た。義母は、お前はもうこの家の後継者では無いと母から受け継いだ家宝のネックレスを奪うが、そのネックレスは……。

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします

二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位! ※この物語はフィクションです 流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。 当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。

処理中です...