宝生の樹

丸家れい

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第一章

長雨

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 ***

 雨が降り続いていた。

 東が降らせた雨ではなく、自然に降り出した雨は梅雨明けの時期にも拘わらず、十日間止むことなく雨粒が地面を打ち続けている。

 恵みの雨ではあるのだが、何日にも渡る長雨だとさすがに気が滅入ってしまう。
 しかも、先月から風邪を拗らせて寝込んでいた美弥藤家の嫡男・國保くにやすの容体が悪化し、屋敷内には重々しい空気が漂っていた。

 異母兄弟である三歳年上の國保は、生まれつき身体が弱く、床に臥せることが多かった。國保の体調が良い日には外で一緒に遊んだことはあるが、片手で数えられるほどしか記憶はない。

 青が幼い頃は、母親の幸子と共に寝込んだ國保の見舞いに行っていたが、いつの日からか青はひとりで行くようになり、数日に一度は顔を合わせている。

 話をすることは決まって、國保は本の話、青は武芸や農村の話だった。

 國保は本が好きで、倭ノ国に残る伝承や貴族に仕える女官が書いた物語、中央で流行っている歌が記された本も好んで読んでいた。最近は、各地に残る倭ノ国の伝承を集めてひとつの物語にすると面白いかもしれない、と國保は熱心に伝承を書写していた。

 文学が苦手な青は國保から学び、身体を動かせない國保は青から上尾がどのような状態なのかを知った。國保は嫡男という責任感からか、村人たちのこと、村人が作っている農作物のことを知りたがっていた。

 だから、青もそれに応えるため、定期的に農村に出向いて積極的に村人の話を聞いて國保に伝えた。村人がどんな風に暮らし、どんなことに困っているのか言細かく話をした。

 それはいつか、國保が美弥藤家の当主になると信じていたからだ。

 國保の容体が悪くなったと聞かされたのは、十日以上も前のこと。発熱が続き、意識が朦朧としていることを告げられた。

 そのことを幸子に告げるか悩んだ挙句、青は幸子に報告した。

 案の定、幸子は無遠慮に陰々とした笑みを浮かべていた。正直、そんな母親の顔を見るのは嫌だった。

 自分と國保を比べたらどちらが当主に向いているのかは一目瞭然である。

 美弥藤家の当主は、國保しかいない。

 國保は身体が思うように動かないことを悲観することなく、知識を得ようと本を読んで美弥藤家のために未来を見据えていた。次期当主として相応しくあるために。

「青さん、垂れてない?」

 不意に東に声を掛けられた青は我に返った。

 何が垂れているのだ、と瞳を瞬かせる青に、東は苦笑しながら人差し指を下に向ける手振りをする。

 視線を落とした青は愕然とした。白い半紙の上に墨汁が滲み、黒い湖が出来てしまっていたのだ。

「あぁ……書き直しだ」

 國保を見倣って少しは文学に触れてみようと、以前より國保から借りていた本を書き写していたのだ。如何せん、読むだけでは眠くなってしまうので、書写してみようと試みたのは良いものの、この有様である。

 筆を置いた青は、半紙の隅を指で摘まんで折ったが、墨が滲んでふやけてしまったところが破けてしまった。
 哀れな半紙の姿に青は自嘲する。

「私には向いていないな」

 青と向き合うように座る東が布作面を揺らして笑う。

「そうだね。青さんは、身体を動かすことが好きみたい」

「わかるか?」

 うん、と素直に頷く東に青は唇を歪めて笑った。ひと月前から始めた書写ではあるが、未だ半分も写せていない。

「今日は仕舞いだ」

 青は軽く笑って腰を上げた。
 障子を開けて雨に濡れた庭を見つめる。庭に敷かれた飛び石も、植えられた木々も、曇天の下では色を深くして世界を暗色に染めていた。

「國保も、青空が恋しいだろうな。……國保の様子を聞いてくる」

 そう青が部屋から一歩踏み出したとき、焦燥めいた足音が迫ってきた。何事かと青も足音の方へ歩を進めると、駆けてきた若党が青を見つけるなり跪く。

「青さま、大変でございます。今しがた屋敷を訪れた……」

「要件を早く言え」

 端的に鋭く言う青に「はっ」とさらに頭を下げた若党が言った。

「溜池が決壊したとのことです」
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