宝生の樹

丸家れい

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第一章

決壊

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 青と東は雲母に乗って、溜池が決壊した農村――尾東びとうへ急いで向かった。上尾の南東に位置する尾東は屋敷からほど近く、予波ノ島で一番古い溜池がある村だった。

 尾東に到着した二人は、目の前に広がる惨状に息を呑んだ。

 崩れた堤体が土砂と化し、堤体の斜面に咲き誇っていた紫陽花も溜池付近に建てられていた家屋も押し流して跡形もなく消えていた。

 沈痛に表情を歪めた青は曇天を見上げた。

 まだ雨が降り続いている。他の溜池も危ないかもしれない。

 青の存在に気付いた村人――佐助が駆けてくる。青はすぐに雲母から飛び降りた。

「佐助! 他の人たちは大丈夫か?」

「いや、……何人も巻き込まれてらぁ。今みんなで泥を掻き出してはいるがな」

 溜池の水だからって油断ならねえな、と渋い表情を見せる佐助に救助作業は難航しているようだ。

「私も行こう」

 青と佐助は土砂に埋まった村人を助けるために駆け出した。慌てて雲母から降りようとする東に青が振り返る。

「東は雲母とそこで待っていろ」

「いやだ! 僕もいく!」

 必死に叫んだ東の声が震えている。

 青は察しがついた。
 東は自分を責めている。自分が溜池を満たすほどの雨を降らせたから、決壊したのだと。

 青は迷いを見せるように歯噛みしたが、瞬時に声を張り上げる。

「おまえは雲母に乗って、村人を美弥藤の屋敷まで避難させろ! 他の溜池が決壊する前に!」

 東を雲母に乗せ続けて四か月以上。雲母も東の存在を受け入れてくれている。大丈夫だと青は目で訴えかけた。

 青の思考を読み取り、下唇を噛み締めた東は、

「はい!」

 と、手綱を強く握り締めて声を上げた。
 
 青は、雲母の絹のような尾が揺れるさまを見届けて、佐助の後を追った。

 村人は、鍬や鋤、桶など泥を掻き出せる道具を駆使して、土砂に巻き込まれた人の救出作業を行っていた。

 青もまた、溜池の近くにあった又吉の家があったと思しき場所で泥を掻き出す。
 跡形もなく崩れた家屋の木材を避け、ぬかるみに足を取られながら救出作業を続けた。

 どこに人が埋まっているのかわからない。
 
 わからないが、早く助け出さなければ死んでしまう。

 いや、こんな泥に埋まってしまっていては助からないかもしれない。

 それでも、間に合うかもしれない。

 生きている人はいるかもしれない。

 黙々と手を動かしながら様々な思考が巡る。

 泥を掻き出しても、掻き出しても、水分を多く含んだ土砂はすぐに流動して、戻ってきてしまう。作業が進んでいるのか、進んでいないのかわからない。

 苛立ったように青は鍬を放り投げ、泥の中に手を突っ込んで掻き出した。爪に泥や石が引っ掛かって、皮膚が裂けようとも青は、ひたすら泥が流れ戻ってくる前に両腕で掻いて、掻いて、掻き出し続けた。

 そのとき、憤懣をぶつけるように大きく泥を掻いた一瞬間、人の肌のような明るい色が見えた。衝かれたように目を見開いた青は一心不乱に腕を動かした。
 
 一縷の光を逃がすまいと。

 再び見えた光を青は勢いよく腕を突っ込んで捕まえた。

「よしっ! 今助けてやる!」

 安堵の色を滲ませつつも、青は慎重にそれを引き抜いた。

 腕だった。
 胴体を失った、千切れた腕だった。

 どっと脱力した青はその場に座り込む。が、腑抜けている場合ではない、まだ終わっていないと自分に叱咤し青は立ち上がった。

 不意に、青の後ろで作業していた佐助が憔悴しきった声で呟いた。

「又吉さん……」

 青が駆けつけると、そこには又吉が横たわっていた。土砂に半身が埋もれた又吉の開かれた口からは泥が溢れ、片腕が千切れてしまっている。

 生気を感じることはできないが、青は跪いて又吉の頬にそっと触れた。

 雨に濡れ、泥に塗れた又吉の頬は冷たかった。

 口惜しく唇を噛みしめた青は佐助と共に、丁寧に泥を避けて又吉の身体を土砂から掻き出した。胴体も脚も捩れ、骨が剥き出しになり、遺体は悲惨な状態だった。

 御座の上に遺体を乗せて、千切れた腕を添えて青は手を合わせた。

 今まで共に上尾を支えてくれたことに感謝を伝えて遺体に御座を覆いかぶせ、青は未だ土砂に埋もれている村人の救助へ向かった。
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