宝生の樹

丸家れい

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第三章

悪い子

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 ***

 顔色を真っ青にして東が美弥藤家に戻ってきたのは五日前の夜更けのこと。

 東は幾度にも渡って、予波ノ島の龍神を開放すべく出掛けていたが、此度のように十日の間も家に帰ってこないということはなかった。何かあったのではないかと案じていた時に東が帰宅し、青は安堵した。

 しかし、美弥藤家の敷居を跨ぐときには飄々としていた東であったが、私室に入った途端に倒れ込んでしまった。
 驚いた青が慌てて頭巾と布作面をのけると、東の顔が青白く白銀の髪は汗に濡れていた。

 すぐさま蒲団に寝かせて侍女に薬を持ってくるよう頼もうとしたが、東に止められてしまう。魔物の攻撃にあったため普通の薬が効かないとのこと、自力で治療するほかないのだということを告げられた。

 それから、東は床に臥せっていた。その間、青は農村の偵察にいくこともせず、ずっと東の看病をしていた。

 看病と言っても、額に浮いた汗を拭ったり、水分を摂らせるときに身体を支えてやることしかできない。成す術もなくもどかしい心地で過ごしていた青はあることを思い立ち、裁縫に挑戦することにした。

 細やかな作業が苦手とする青ではあるが、小さな小袋――自分が首から下げているお守り袋のような巾着なら作れるだろうと思ったのだ。

 章子から裁縫道具を借りた青はちまちまと縫っていた。裁縫道具を借りたついでに巾着の作り方も章子に教わり縫っていたが、青は苦戦する羽目になる。

 ただコの字に縫うだなのに、まっすぐに縫えない。

 自分が不器用であることも一因なのだろうが、章子から譲り受けた生地が良すぎるせいもあるだろう。

 章子が生まれてくる子のために調達した反物は、しっかりとした生地をしていて、重ねると分厚くなってしまい針が通しにくくなるのだ。だからと言って力を入れすぎると生地を勢いよく突き通してしまい、指先を刺してしまう。

 苦難を強いられたが、どうにかこうにか縫い終えて生地をひっくり返した青は顔を綻ばせた。不格好な袋になってしまったが、生地の模様が良いおかげで見目は悪くないはずだ。

 蘇芳色の生地に施された金色の麻の葉文様の刺繍。

 麻の葉の文様には、子の健やかな成長を願う意がある。
 青は呂色の瞳を細めた。

 次こそは、殺させやしない。

 完成間近の巾着を見つめながら、青がひとつ息をついたとき、不意に目を覚ました東が問うてきた。

「……何、しているの」

 どこか幼き頃を思わせる東の口調に、青はふっと唇を緩めた。

「秘密だ。……食欲はどうだ? 食べられそうなら粥を作ってもらうぞ」

 東は力なく首を振って、再び目を閉じてしまった。
 東の安らかな寝息に青は安堵する。

 東の額に手を当てるも、熱はない。当初は、眠っている間も全身に汗を浮かせて、苦しげに呻いていたが、昨晩あたりから安定してきた。
 少しずつ体調も回復傾向にあるようだ。

「早く良くなれ」

 そう眠る東に顔を近づけて、祈りが直接届くように、そっと額を重ね合わせた。
 そのとき、夕焼け色に染まる障子越しに声をかけられた。

「青。今、話ができるかえ?」

 憂鬱な心地にさせる声の主は幸子だった。
 畳に滲む幸子の黒い影に陰気な靄が纏わりついているように見えた青は目を擦った。細かい作業をしていたせいで目が疲れたのかもしれない。

「青? いないのかい?」

 幸子に急かされた青は嘆息をついて重い腰を上げる。私室と東の部屋を区切る襖を締めて、障子を開けた。

 開けるや否や、背伸びをして部屋の中を伺う素振りを見せる幸子に青は嫌悪感を抱かずにはいられない。

「なんでしょう、母上」

 苛立ちを押さえて淡々と言うと、幸子は屈託なく笑った。

「東の調子はどうだい? もう話はできそうかい?」

 またか、と青は心の中で悪態をついた。

 東が寝込んだと知った幸子は毎日、朝晩とやってくるようになった。うんざりした青は、すぐには治らないと幸子に告げたのだが、こちらの心情を察せないのか、夕方になれば訪ねてくる。

「母上、前にも申した通り、東の容体は落ち着きました。が、そう話せる状態にありません。今しばらく放っておいてはくれませんか?」

 幸子は悲哀の色を滲ませて着物の袖を口元に当てる。

「私は、東を心配しているのだよ。そのような物言いをされると母は悲しい。少しでもよいのだ。東の顔を見せておくれよ」

 胸に渦巻く靄を吐き出すように青が溜息をついた。
 青の邪険な態度に幸子は顔色を一変させる。

「なんだい? その態度は」

「本当に東のことを案じているのであれば、急かすような行動はしないでしょう。……あなたは嘘をついている」

「な……」

 青は気色ばむ幸子を見据えて淡々と言った。

「ここではっきり申し上げる。東はあなたの小間使いではない。以後、東に近づかないでいただきたい」

 口惜し気に唇を噛み締めていた幸子は、頬を引き攣らせながら口を開ける。

「青の小間使いでもないぞ」

 青は唇に薄く弧を描き、笑顔を繕った。

「そんなことわかっています。それでは」

 一方的に障子を閉めた青に幸子が癇癪を起した。

「なんて、悪い子なんだろうね! 腹を痛めて生んだ子にこんな仕打ちをされるとは……! 絶対に、許さないからね!」

 憤怒する幸子の影が去っていくのを見つめ、青は溜息をついた。

 幸子と会話をしているとどっと疲れてしまう。まるでこちらの生気を奪われているような気さえする。
 そう思っていると脳が揺れたかのように眩暈を起こした。
 少し身体を休めようと、青は雪崩れ込むように畳に横になって瞳を閉じた。
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