御曹司様はご乱心!!!

萌菜加あん

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第三十三話 只今、取り込み中につき

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「お帰りなさいませ、総一郎さま」

本邸に戻った俺を、
屋敷の執事を筆頭に使用人たちが総出で出迎える。

外門をくぐると、屋敷へと続く石畳の小道が敷かれている。
あたりはきちんと掃かれて、チリひとつ落ちてはいない。

打ち水が施された石畳には、
幹の蛇行した年季を感じさせる大きな松が、影を落としている。

俺は目を閉じて、すっと息を吸った。

『お父様、お母様、見て! 松ぼっくりだ』

ふと、幼い日の自分が、こちらに向かってかけてくる、
そんな幻影を見た気がした。

『まあ、総ちゃんたら。そんなに走ると危ないわよ』

まっ白い日傘を差した母が、
そう言って自分に微笑みかけたような気がした。

今はもう、しかとは思い出すことのできない、
母の朧げな面影が消えて、

彼女に重なった。

『さくら、行ってくる』

そう言って車に乗り込んだ俺を、
精一杯の笑顔で送り出してくれた彼女の表情を、

俺は不覚にも、美しいと思ってしまった。

すべてを悟り、覚悟を決めた者の凛とした眼差しが、
真っすぐに俺に向けられていた。

俺はそんなあいつに、『すぐに戻る』と言いそびれた。

速攻で要件を片付けて、
必ずお前のもとに戻るのだと。

「……総一郎様? いかがなさいましたか?」

執事にそう問われて、我に返る。

「あっ、いや」

俺は視線を落とす。

風が吹いた。
一陣の風が。

俺は片目を閉じて手を伸ばす。

不確かな、春霞の向こう側に向かって。

◇◇◇

「ふんぬー!」

今日も今日とて、あたしは自転車を漕ぐ。

欄城大学の駐輪場を目指して。

入学式のときに満開だったさくらは、
今はもうすっかり散ってしまったけれども、

それでも新芽がでて、鮮やかな緑を芽吹いている。

(あたしも、がんばらなくっちゃ)

そう気を引き締めて、歩みを進める。

◇◇◇

講義室に入ると、

「やだ、望月さんよ」

「誰よ、あんな子と鳥羽様が恋人だなんて言ったのは」

皆の好奇な視線にさらされる。

当人は声をひそめているつもりかもしれないが、
しっかりと聞こえている。

「あっと……大丈夫? 望月さん」

隣で講義を受けていた一ノ瀬君が、気遣ってくれるが、

「平気」

そう言って、なんとか笑ってやり過ごす。

「それで、当の鳥羽様はどうなさっていらっしゃるの?」

だけど、やっぱりダメだ。

今はまだ、鳥羽さんのことを平静に聞くだけの
心の余裕はない。

(聞きたくない)

どこからともなく聞こえてくるその声に、
あたしは、耳を塞ぎたくなった。

「望月さん……やっぱり、顔色悪いよ?
保健室、付き添おうか?」

一ノ瀬君が心配そうにあたしの顔を伺う。

「大丈夫、少し涼しいところに行って、頭を冷やしてくるよ。
悪いけどあとでノート写させてくれない?」

そうお願いすると、一ノ瀬君は笑顔で応じてくれた。

あたしは目立たぬように、講義室の後方にある扉から、
こっそりと抜け出した。

大学に入学して、はじめて授業をさぼってしまった。
もやもやとした気持ちを抱えながら、

あたしはカフェテリアに向かう。

自販機で紅茶を購入しようとしたら、

「あっれー? さくらちゃんじゃない?」

あたしに話しかけてきた人がいた。

振り返ると、少し色を抜いたグランジヘアーの
男の人があたしに親し気に微笑みかけてきた。

「えっと、あの……」

どちら様でしたっけ?

とは、なかなか問えない。

「ああ、俺? 俺は相良煉さがら れんっていうの。
建築学部の三年生さ」

そこまでいうと、すっと相良さんの顔から笑みが引いて、
小声になる。

「鳥羽総一郎の友人だ」

そういって、カフェテリアの後方を小さく顎でしゃくるから、
あたしはその方向に視線を向けた。

『今すぐ離れろ! このボケっ!』

少し距離のあるところで、鳥羽さんが黒のマッキーで、
ノートに文字を書きなぐって、掲げた。

「なんか、あいつ、継母に色々言われているらしいぜ?」

そういって、相良さんは親指で後方の鳥羽さんを指さした。

「そのなかで君との接触も、禁止されていて、
どうやら念書を書かされたようだ。
本人曰く、多分身の回りのものに盗聴器がしかけられているから、
うかつに君と話せないんだとよ」

状況から考えるとまあ、大体のことは察しが付く。

「映像ではないんだ?」

心に過ったことを質問すると、

「それはさすがにプライバシーがヤバイっしょ」

相良さんが苦笑いをした。

『望月さくらっ! 
お前に言っておきたいことがある』

掲げられたノートに、

『なによっ?』

あたしも文字を書きなぐって応じる。

『あのとき言い忘れたけど、俺は速攻で要件を終わらせて、
お前のもとに必ず戻るんだからな!
それまで浮気すんじゃねぇぞ!』

不愛想に掲げられたマッキーの文字に
あたしはきつく拳を握りしめる。

それでも、涙が零れた。

後から後から流れて止まらない。

「さくら……ちゃん?」

相良さんが訝し気にあたしを眺めているが、

あたしもノートに
文字を書きなぐる。

『そっちこそっ!』

そして、思いっきり鳥羽さんを睨みつけてそれを掲げた。

鳥羽さんが二、三、瞬きをして、
またノートに何かを書きなぐって、

それからつかつかとこちらに歩いてきた。

あたしは壁際に追い詰められて、
唇を奪われる。

『……っ!』

その口元を覆うように
掲げられたノートには、

『只今、取り込み中につき!』

と書かれてあった。
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