神さまの寵愛も楽じゃない

藤雪花(ふじゆきはな)

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第6話 顔のない女

56-2、

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 一度も思い出しもしなかった、あのときの断片を見ているもうひとりのわたしがいる。
 
「それカラ……?」
「彼はわたしの眼鏡をぬきとって、キスをした」
「こんな風に?」

 山口先輩は両手で顔を挟み、唇を押しつけた。
 唇を割る。
「山口先輩、ちょっと待って」
「櫻木君はキスははじめて?」

 恥ずかしくて顔に血が上る。
 はじめてだ。
 はじめだから、知らなかった。
 男の人の唇が柔らかくて、温かいということ。肌で触れあうということは、気持ちがよいということ。
 自分と他人の境目がわからなくなること。
 己の中に相手を取り込んで、自分だけの小さな世界に相手を飲み込んで、もっと大きな世界を信頼できる彼の目から見てみたいと望むこと。
 同じものなのに、きっと違う景色が広がっている。
 
 でも、その時はそんな深く考えてなくて。
 無我夢中で唇の感覚を追った。

 男の手がわたしのブラウスのボタンを器用に外していく。背中に手を回しねじり押すだけでブラのホックが外れる。
 山口先輩、手慣れている。
 わたしは押し倒されていた。
 押しとどめようとしたわたしの手を、逆につかみ自分の胸に押しつけた。
 激しく打つ心臓の音に先輩の興奮を伝え、その興奮はたちまちわたしに伝染する。
 先輩は胸に押し当てたわたしの手を握り込み、口づけする。身体が熱い。
 真っ赤な夕日にわたしは包まれていた。
 服ははだけ、誰にもみせたことのない肌があらわになる。
 わたしのすべてをさらけ出し、わたしは神に捧げられた生け贄のような、妖しい感覚に捉えられた。
 何かいいわけをして逃げることも、拒絶することも選択肢にはない。
 興奮した男の呼吸に、わたしの内側にともった火種が煽られる。
 そのまま身を任せるだけでよいはずで。
 しかしながら、わたしを見つめるその目は、先ほどまでの興奮を凌駕するほどの驚きで見開かれ、睫が震えていた。

「これは……、何だ……?」

 わたしの手の甲をなで腕をたどり腹にふれた。
 そのまま震える指先で、何かを辿るように大きく揺れる。
 まるでなにかの模様を羽でなであげているようだった。
 宗教的な儀式にも似た、厳粛さを思わせる。

 そして……。




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