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第5夜 鳳の羽
36-2、
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上だと思ったのは真っ暗な底だった。恐怖にかられやみくもに身をよじた。
水の中でも空よりも青い空が見えた。助かる道はそこだけなのに、見えているのに、手を必死で伸ばしても夜空の星を掴むことはできないのと同様に、浮かび上がることはできない。
望んでも、一族のものが濃霧にまかれて森の外へいけないのと同じ。こことあちらと、不可侵の境界線がひかれている。
背中に背負っていた籠がひしゃげて、来る途中に集めた黒と白の羽が流れでて、水中で踊っていた。
だけど、それだけじゃない。
桜色や淡い水色や黄色の、朝方に見る優しい夢のような色の羽が混ざっている。しかも、わたしは大量の淡い色の羽に、頭から足先まで包まれていた。
黒でも白でもない羽は、あってはならないものだった。
この滝壺の水は渓流となって霧向こうの集落に続いている。
羽は全て集めなければならないのに、このままでは、黒も白も、そして桜色の羽も、流れていってしまう。
今浮かび上がれば回収に間に合うかもしれないけれど、浮かび上がろうにも瀑布の水圧が水底へと押し付ける。
あがけばあがくほど水を飲み込み、酸素を浪費する。
次第に目の前が暗くなり、意識が遠のく。
ヒロはわたしの死を残念だと思ってくれるのだろうか。
ダイゴは、少しは悲しんでくれるのだろうか。
訪れるものがいない寂しい家に、一人病床につく母を残していくことが、つらかった。
あがくのをやめ、死を覚悟したその時。
誰かがわたしの腕を掴んだ。
重い水圧から助け出せば、たちまち空へと上昇する水流に乗る。
わたしを助けたのは、目を閉じていてもわかる銀色に輝く存在だった。
龍だと思った。
背中に腕が回され、陸上におしあげられた。
必死でまぶたを持ち上げる。
水に濡れた黒髪が水面の光を反射させて銀色に輝いていた。
冷ややかな目。
冷たく整った目鼻立ち。
龍だと思ったのは、完璧なという表現では足りないほどの美貌の男だった。
「ご主人さま、このままでは娘子は死にまするぞ。結界が解けてようやく見つけたのに、すぐに死なせてしまえば、再び見つけるのにどれだけの月日が流れるのか」
男の他に何かがいた。
しゃがれた声の主はこの状況を楽しんでいるようである。
美貌の男はちいさく悪態をついた。
口にやわらかな唇が触れて息が吹き込まれる。
何度も何度も吹き込まれ、わたしは肺から逆流する水に激しくむせてえずきながら、水をはきだした。
そのままうつぶせに突っ伏し、足りない酸素を思いっきり吸って、またむせる。急に全身が痛み出し、息をするのも苦しい。
死は一瞬なのに比べて、生きることの方が本当はつらくて苦しいのではないかと思えた。
「……お前は人ではないのだな。魂が、別種のものに入りこんでいる」
「結界…?意味が……、わたし……人よ、醜い出来損の……」
「醜くく、出来損ないの人?」
男と何者かは、面白げに笑った。
「こんなに美しい羽を持っているのに?」
背中に手が触れた。
身体の芯が震えるほどの快感が走る。
そして思い出した。
滝壺に落ちたときに、衝撃で隠していた羽が飛び出した。
この男がわたしを助けたときも、今も羽をだしたままだったのだ。
わたしが成ったのは、十六になってから。
遅い発現で、見ているのは漆の木々と小鳥たちだけだった。
痛みを一人で堪え忍びながら、これでわたしも城内へ一族の者として迎えられ、ダイゴに会えるのだと歓喜した。
だけど、喜びが絶望に変わるのは一瞬だった。こんな羽色は見たことも聞いたこともなかった。この羽を指さされ、さげすまれることは耐えられない。
「成る」ことができなかった出来損ないであるほうが、ましだと思った。
「……アレの痕跡というよりもむしろ、虹を閉じ込めたように美しいではないか」
わたしは力を振り絞り、羽を身体にしまい、仰向けになる。
水の中でも空よりも青い空が見えた。助かる道はそこだけなのに、見えているのに、手を必死で伸ばしても夜空の星を掴むことはできないのと同様に、浮かび上がることはできない。
望んでも、一族のものが濃霧にまかれて森の外へいけないのと同じ。こことあちらと、不可侵の境界線がひかれている。
背中に背負っていた籠がひしゃげて、来る途中に集めた黒と白の羽が流れでて、水中で踊っていた。
だけど、それだけじゃない。
桜色や淡い水色や黄色の、朝方に見る優しい夢のような色の羽が混ざっている。しかも、わたしは大量の淡い色の羽に、頭から足先まで包まれていた。
黒でも白でもない羽は、あってはならないものだった。
この滝壺の水は渓流となって霧向こうの集落に続いている。
羽は全て集めなければならないのに、このままでは、黒も白も、そして桜色の羽も、流れていってしまう。
今浮かび上がれば回収に間に合うかもしれないけれど、浮かび上がろうにも瀑布の水圧が水底へと押し付ける。
あがけばあがくほど水を飲み込み、酸素を浪費する。
次第に目の前が暗くなり、意識が遠のく。
ヒロはわたしの死を残念だと思ってくれるのだろうか。
ダイゴは、少しは悲しんでくれるのだろうか。
訪れるものがいない寂しい家に、一人病床につく母を残していくことが、つらかった。
あがくのをやめ、死を覚悟したその時。
誰かがわたしの腕を掴んだ。
重い水圧から助け出せば、たちまち空へと上昇する水流に乗る。
わたしを助けたのは、目を閉じていてもわかる銀色に輝く存在だった。
龍だと思った。
背中に腕が回され、陸上におしあげられた。
必死でまぶたを持ち上げる。
水に濡れた黒髪が水面の光を反射させて銀色に輝いていた。
冷ややかな目。
冷たく整った目鼻立ち。
龍だと思ったのは、完璧なという表現では足りないほどの美貌の男だった。
「ご主人さま、このままでは娘子は死にまするぞ。結界が解けてようやく見つけたのに、すぐに死なせてしまえば、再び見つけるのにどれだけの月日が流れるのか」
男の他に何かがいた。
しゃがれた声の主はこの状況を楽しんでいるようである。
美貌の男はちいさく悪態をついた。
口にやわらかな唇が触れて息が吹き込まれる。
何度も何度も吹き込まれ、わたしは肺から逆流する水に激しくむせてえずきながら、水をはきだした。
そのままうつぶせに突っ伏し、足りない酸素を思いっきり吸って、またむせる。急に全身が痛み出し、息をするのも苦しい。
死は一瞬なのに比べて、生きることの方が本当はつらくて苦しいのではないかと思えた。
「……お前は人ではないのだな。魂が、別種のものに入りこんでいる」
「結界…?意味が……、わたし……人よ、醜い出来損の……」
「醜くく、出来損ないの人?」
男と何者かは、面白げに笑った。
「こんなに美しい羽を持っているのに?」
背中に手が触れた。
身体の芯が震えるほどの快感が走る。
そして思い出した。
滝壺に落ちたときに、衝撃で隠していた羽が飛び出した。
この男がわたしを助けたときも、今も羽をだしたままだったのだ。
わたしが成ったのは、十六になってから。
遅い発現で、見ているのは漆の木々と小鳥たちだけだった。
痛みを一人で堪え忍びながら、これでわたしも城内へ一族の者として迎えられ、ダイゴに会えるのだと歓喜した。
だけど、喜びが絶望に変わるのは一瞬だった。こんな羽色は見たことも聞いたこともなかった。この羽を指さされ、さげすまれることは耐えられない。
「成る」ことができなかった出来損ないであるほうが、ましだと思った。
「……アレの痕跡というよりもむしろ、虹を閉じ込めたように美しいではないか」
わたしは力を振り絞り、羽を身体にしまい、仰向けになる。
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