神さまの寵愛も楽じゃない

藤雪花(ふじゆきはな)

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第5夜 鳳の羽

36、「成る」②

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 その日は山頂から風が激しく吹き下ろす。
 風の音を聞くと洗顔した顔から水を滴らせ、拭くまも惜しんで籠を背負うと家を飛び出した。
 森の中の獣道を一気に駆けあがっていく。
 耳をすませた。
 小鳥たちのなく声に、せせらぎの音。
 ざあと打つ滝の音が混ざりはじめ、方向を定める。目的地はすぐそこだった。
 目指すのは滝壺近くの偉容を誇る、樹齢数百年のホオノキである。

 その木は手で抱えきれないほどの太さのある幹が滝壺に向かう。
 重力に負けていったん落ちこむが、そこから足を踏ん張り根を岩の隙間の奥に巡らせ、ぐっと頭をもたげると、森の中と違って遮るものもない天へと高く伸ばす、奇跡の巨木である。

 細かな水滴に濡れている木肌に手を置き、足をかけた。
 するすると登れば、森の樹冠を突き抜けることができる。
 枝がわたしの重さを支えられるぎりぎりまで登ると、期待した通り、山嵐が狭間の濃霧を吹き散し、これ以上ないというほど遠くまで見通すことができた。

 すぐ近くで村の女たちが朝餉の準備や染料を焚く煙が風になびいている。
 山間の窪みは、渓谷の筋でもあり、時折水面を見せてきらきらと輝き、その先で一族の森が終わる。
 渓谷は川となりうねうねと身をくねらせながらおだやかに蛇行している。
 川の両脇には水田と畑、黒っぽい屋根が連なる集落らしきものが大小点在し、さらにその先は空よりも深い青が真一文字に線を引いていた。
 海だ。

 しばらく見ていると、ふたたび樹冠の狭間のおちこちから煙のような霧が吹き上がり、外の世界を白く塗りつぶしていく。
 外の世界の海を見るために、ここまで急いで上がってきたのだった。

 大きく息を継ぎ、肩の力を抜いた。
 今度は海と逆の方へ首を巡らし、峻険な山の中の岩間に築かれた城壁の内側に目を向けた。
 この高さまで上がれば、族長の住む立派な邸宅や、方丈に走る道や甍を連ねている家々と、そして顔や服まで明瞭ではないが人々の営みまで見えるのだ。牛馬が荷物を運ぶ。人々は声をかけ、立ち話をする。
 会話まで聞こえてきそうだった。

 修練場は族長の邸宅の敷地内にあった。
 大勢の男たちが地上で、空で、武器を使ったり、素手だったり、様々な修練を行うのをみることもできた。

 数日前の深更の会話を思い出した。
 ヒロの身体はいつも打ち身が絶えなかった。
 青あざに指を走らせ、彼のために用意した薬を塗る。
 どうしていつも傷だらけなのかと問うた。
 部族の男たちは最強の戦士だ。先の戦でも大鳥の一族の男たちはめざましい戦果をあげた。強い者が部族を率いることになるだろう。
 だから、俺も鍛えなければならないのだと。
 族長を支えるために?と聞くと、そうだな、とヒロはなぜかあいまいに濁したのだった。問い詰めようとした口を口でふさがれて、その会話は終わってしまったのだけど。

 今朝も、修練場の上空でカラスのような鳥が二羽、ぶつかっては離れを繰り返している。それは大きな羽を持った人で、ヒロとダイゴかもしれないと思った。

 その時、鳥の動きが宙で静止した。
 目が合ったような気がした。
 とっさに首をすくめて幹に身体を隠す。心臓がどきどきする。
 逃げるように滑り降りた。
 この距離では顔の識別などできないし、目が合うことなどあり得ないのだけれど。
 のぞき見しようとして見ていたわけじゃないのに羞恥心でいたたまれない。

 焦りすぎて、足を滑らせてしまった。
 とっさに掴んだ枝は頼りなく細い。
 わたしの全体重を支えられず、根元から折れ、足が離れ体が空に落ちた。
 
 「成る」ことができた彼らなら危険でも何でもないはずのことがわたしのような出来損ないにとっては命取りだ。
 こうやって、行方不明になったものたちは死んでいったのかもしれないとよぎった。

 真下は滝壺で、水面にたたきつけられた衝撃とともに、底深い滝壺に飲みこまれた。
 一瞬のできごとだった。
 泡立つ水が、口から鼻から、はき出された空気の代わりに勢いよく流れ込んでくる。とてもはき出すことはできない。苦しくてあえげばさらに飲み込んだ。
 助かるすべを探して必死に手足をばたつかせ眼をこじあける。


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