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第5夜 鳳の羽
43、帰還①
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翼の出し方を忘れていたのに、地面に激突する恐怖に自ずとはばたいていた。
「あやかしだ!射ろ!」
「霧でよくわからないが桃色じゃないか?あやかしじゃなく、大きな鳥じゃないか?うわッ、なんだこれはッ。すごい数の鳥だ……」
「とにかく落とせ!鳥か、あやかしかどうかは打ち落とせばわかる……」
数千の色とりどりの鳥たちも、燃え上がる炎から放たれていた。
あたり一帯の大気を振動させるごうごうたる羽ばたきの音、恐怖に恐慌をきたした鳥たちが鳴きわめく声が、館が崩れる音と人間たちの声をかき消したのである。
霧は、煙幕のように視界を不確かにする。
矢が方々から射かけられていたが通り過ぎた影が、はたして鳥なのか矢なのかわからない。
地上で矢を放つ者たちがそうであったのと同様に、わたしも天か地か、北か南か、どこに向かっているのか定かでなかった。
目覚めそうで抜けられない濃霧の悪夢をみているようだった。
わたしの瞬きまで支配したダイゴも、一族から逃れて自由に共に生きようといったヒロも、炎の中に置き去りにしていく。
それがわたしを愛した男たちの、最期の願い。
わたしは、どちらの男からも愛されるにふさわしい女でなかったし、そのいずれの愛もちゃんと応えられない、女としても出来損ないだった。
※
世界の境界線が曖昧である。
このままずっと森羅万象は互いが互いに浸食しあい続けるのだろうか。
あれだけうるさかった鳥たちの鳴き声はない。
わたしは大地に仰向けに横たわっていた。
何かにぶつかったのか、落ちたのか、思い出すのも億劫だった。
途切れることのない瀑布の音。顔に手に、絶え間なく降りかかる細かなしぶき。
たどり着いたのは、午後の陽射しを遮る威容を誇るホオノキの根元で、慣れ親しんだ大鳥の山中だった。
「……このような見事な結界は数年ぶりだな」
「ご主人さま、見事といえばこの娘子を愛する男たちもまた見事な死に様でございましたね。ただ、ひとつ残念なのが、せっかく逃がした娘子が、気まぐれな流れ矢にその臓腑を射貫かれたことでございましょうか。まったく、運がないというか」
「いましばし生かすこともできるが、苦しみを伸ばすだけだがどうする?」
頭上で誰かが会話をしていた。
聞くともなしに耳を傾けた。最後の言葉はわたしに向けられたもののようだった。
だみ声の男と、凍った泉を滑るような静けさを持つもうひとりの男を知っているような気がした。
その時も、この滝壺の縁で、同じように身体が動かなかったのではなかったか。
男たちがいうように、腹に矢が突き刺さっているのだろう。
確認するにも手の感覚がなくて動かない。
血が流れすぎた。
うっすらと目を開く。視界がぼやけ、男の顔をはっきりと見ることはできなかったが、恐ろしいほど美しい男だということはわかってしまう。そして、冷たい男。
彼こそ、人ならざる者だ。
豊臣からの来客を迎えたその中に、ヒロと逃亡したときの宿屋の宿泊客の中に、紛れ込んでいたではなかったか?
そんな気さえしてくる。
「……逝かせて……」
そう、ちゃんと言葉にできたのかどうか。
胸につかえていた苦しみも悲しみも喜びも、人生のいろんな岐路で選択しなかった未来の可能性への羨望も。
すべてこの身体から吐き出して、生まれる前にまどろんでいたあの虚空の暗闇の中で深い眠りに、ただただ、たゆたいたい……。
男は娘の頭の向こうに立ち、ミイナの言葉にならない気持ちに耳を傾け、最後の息を吐くのを見守っていた。
「あやかしだ!射ろ!」
「霧でよくわからないが桃色じゃないか?あやかしじゃなく、大きな鳥じゃないか?うわッ、なんだこれはッ。すごい数の鳥だ……」
「とにかく落とせ!鳥か、あやかしかどうかは打ち落とせばわかる……」
数千の色とりどりの鳥たちも、燃え上がる炎から放たれていた。
あたり一帯の大気を振動させるごうごうたる羽ばたきの音、恐怖に恐慌をきたした鳥たちが鳴きわめく声が、館が崩れる音と人間たちの声をかき消したのである。
霧は、煙幕のように視界を不確かにする。
矢が方々から射かけられていたが通り過ぎた影が、はたして鳥なのか矢なのかわからない。
地上で矢を放つ者たちがそうであったのと同様に、わたしも天か地か、北か南か、どこに向かっているのか定かでなかった。
目覚めそうで抜けられない濃霧の悪夢をみているようだった。
わたしの瞬きまで支配したダイゴも、一族から逃れて自由に共に生きようといったヒロも、炎の中に置き去りにしていく。
それがわたしを愛した男たちの、最期の願い。
わたしは、どちらの男からも愛されるにふさわしい女でなかったし、そのいずれの愛もちゃんと応えられない、女としても出来損ないだった。
※
世界の境界線が曖昧である。
このままずっと森羅万象は互いが互いに浸食しあい続けるのだろうか。
あれだけうるさかった鳥たちの鳴き声はない。
わたしは大地に仰向けに横たわっていた。
何かにぶつかったのか、落ちたのか、思い出すのも億劫だった。
途切れることのない瀑布の音。顔に手に、絶え間なく降りかかる細かなしぶき。
たどり着いたのは、午後の陽射しを遮る威容を誇るホオノキの根元で、慣れ親しんだ大鳥の山中だった。
「……このような見事な結界は数年ぶりだな」
「ご主人さま、見事といえばこの娘子を愛する男たちもまた見事な死に様でございましたね。ただ、ひとつ残念なのが、せっかく逃がした娘子が、気まぐれな流れ矢にその臓腑を射貫かれたことでございましょうか。まったく、運がないというか」
「いましばし生かすこともできるが、苦しみを伸ばすだけだがどうする?」
頭上で誰かが会話をしていた。
聞くともなしに耳を傾けた。最後の言葉はわたしに向けられたもののようだった。
だみ声の男と、凍った泉を滑るような静けさを持つもうひとりの男を知っているような気がした。
その時も、この滝壺の縁で、同じように身体が動かなかったのではなかったか。
男たちがいうように、腹に矢が突き刺さっているのだろう。
確認するにも手の感覚がなくて動かない。
血が流れすぎた。
うっすらと目を開く。視界がぼやけ、男の顔をはっきりと見ることはできなかったが、恐ろしいほど美しい男だということはわかってしまう。そして、冷たい男。
彼こそ、人ならざる者だ。
豊臣からの来客を迎えたその中に、ヒロと逃亡したときの宿屋の宿泊客の中に、紛れ込んでいたではなかったか?
そんな気さえしてくる。
「……逝かせて……」
そう、ちゃんと言葉にできたのかどうか。
胸につかえていた苦しみも悲しみも喜びも、人生のいろんな岐路で選択しなかった未来の可能性への羨望も。
すべてこの身体から吐き出して、生まれる前にまどろんでいたあの虚空の暗闇の中で深い眠りに、ただただ、たゆたいたい……。
男は娘の頭の向こうに立ち、ミイナの言葉にならない気持ちに耳を傾け、最後の息を吐くのを見守っていた。
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