18 / 72
第三章 嵐
第17話 図書館
しおりを挟む
「ジュリさま、体調がお悪いのですか?いつもこの時間には起きていらっしゃるのに」
カーテンを開いて留め、洗顔用の盥とタオルを持ってきて、朝からアリサは忙しく立ち働いている。
「もう起きるわ」
ようやくベッドから体を起こした。
体が重い。
今は大丈夫だけれど、時折、激しく胸が痛み咳が出るのも気にかかる。
「もしかして台風がくるかもしれないわね」
ようやくベッドから体を起こした。
アリサは窓から空を見た。
「雲一つない晴天ですよ?」
「頭痛がするのよ。この感じ、気圧性の頭痛と同じ感じなの」
「ただの風邪の頭痛じゃないのですか?医師にきてもらいましょうか?」
「シャディーンじゃなくて?」
「医師ですよ。シャディーンさまは、なんでもおできになられる方ですが、国防の要の方。そうそう気軽にお願いすることは遠慮してしまいます」
「へえ?」
そういえば、額を怪我したとき、ルシルス王子もシャディーンではなくて医師を呼ぼうとしていた。
「シャディーンには、最初に転んだ時、肘と膝を、王城にきてからは額を、新月の儀式の後は疲労回復の治療をしてもらったんだけど」
「ええ?あのシャディーンさまが?」
アリサは手をとめてわたしの顔をじっと見た。
「ジュリさまは、シャディーンさまにとってほんと、特別なんですね」
「ジュリア姫が回復するのにわたしはなくてはならない存在だからよ」
「それだけでしょうか……」
「それ以外にないでしょう?ちょっとは特別扱いされているかもしれないけれど、それだけ」
ジュリア姫のためにわたしはこの世界に呼び寄せられたのだ。
国のために助けてほしいと、シャディーンは王城に連れてくるときに言った。
そして自分は、国のために盾と槍になるのが仕事だという。
ジュリア姫は帝国の皇子妃候補というアストリア国の命運を背負っている。
そのジュリア姫を助けるわたしは、当然、大事にしなければならない存在なのではないか。
それを、王妃の侍女やアリサも勘違いをしている。
「今日はどうなさいますか?朝から王子の謁見は続くようですが。もうじき、音楽も始まりますし。今日は制服はだめですよ」
ダメ出しをするが、わたしはアリサの忠告を聞き入れるつもりはない。
「アリサ、わたしはレディを目指していないし、ここにいるのは必要があるからその期間だけ滞在する異国の旅行者のようなもの。だからかつらもかぶらないし、ジュリアのドレスも着ない。それで、仕立て屋を早い時間に呼んでほしいの」
「王城お抱えのお針子がおりますが」
「なら、話は早いわ。さっそくきてもらって。制服がだめなら、今日着る服がないのよ。掃除をしている女中の制服でもいいんだけど」
女中は膝より少し長い目の丈のワンピースにエプロンをしている。
床を引きずるドレスよりも機能的なのだ。
「それは、だめです。ジュリさまに女中の服を着せたとシャディーンさまに知られたら、わたしは仕事を失います。首が飛ぶかもしれません。絶対にダメですから」
お針子の50代と10代のベテランと若手がやってきた。
50代のベテランはわたしの要望になかなか首を振らなかったが、若手は興味深々である。ベテランはわたしは責任をとりませんからね、と何度も念をおして、ジュリアのドレスの裾にはさみをいれ、余分な装飾を取り外していく。
一度はさみを入れれば、お針子たちの迷いも吹っ切れたのである。
女中の制服のように、シンプルかつ機能的に。
それがわたしの要望である。
ひとまず3着ほどジュリアのドレスを転用する予定である。
若手はすぐにわたしのいわんとするところをつかんでくれる。
綿素材のしっかりした生地から作るものは、準備しなければできないので後日になった。
明日にも着たいところだけれど、徹夜する必要はないというと、目に見えて安堵されてしまう。
そして急仕立てで一時間ほどで出来上がったワンピースは上半身はすっきりと、膝が隠れるほどの長さのふんわりと広がるスカート。
くるりとまわるとバレリーナのようにまあるく広がるが、これは元のドレスそのままだからしょうがない。
すでに楽団の演奏が聞こえてくる。
ルシルス王子に謁見できる2日目のパーティーが始まっていた。
竪琴を手にするマグナーの姿が思い浮かんだ。
「はあ。やってしまいましたね。姫さまのご友人は変人だとなったら、友は類を呼ぶということで、姫さまも変人扱いされてしまいそうで、姫さまの評判が心配です。これからどこに行かれるのですか?」
「図書館に行きたいの」
「読みたい本があるようでしたらわたしが取ってきますが」
「気分転換に動きたいから自分で行くわ」
扉の外にはハリーが柄に手を置き、背を向けている。
ちょうど両肩が大きく上がり、大あくびをしているところだった。
わたしの姿にため息をつく。
「かつらもドレスもとうとう卒業ですか。皆、驚きますよ」
「かまわないわ」
ハリーの案内で図書館へ行く。
すれ違った全員に振り返られたのである。
※
ハリーは書棚に延々と並ぶタイトルの書かれた背表紙を見るとめまいがするというので、図書館には一人で入ることにする。
ここまで楽の音や人々のざわめきは届かない。
ジュリアの部屋のようなブーンと空調を効かせた音がする。
日に焼けるのを防ぐために、カーテンが引かれているが、わたしに反応して明かりがともる。
オイルランプではなく発光する石が、書棚の上部にはめ込まれている。
人がいる証拠に、少し離れたところでも石の明かりがいくつかともっている。
各国の歴史や、さまざまな土地に暮らす民族の伝承、王族の系譜などから、船具の手入れ方法、船や家具の設計、バラの品種改良方法、あるお姫さまの日記、など一般的なものから怪しげなタイトルのものまで棚ごとに趣をかえて並んでいた。
一冊手に取ってみると、ずしりと重い。
なめした羊皮紙の表紙に、中は荒い繊維をすいた和紙のような紙に手書きの文字が滑らかに書かれていて、大変労力をかけて作られた貴重なもののようである。
大量に印刷する技術が発達していないのかもしれない。
アストリア国と帝国の関係がわかるような歴史本も興味があり、国名の並んだ棚で足を止めた。
ロスフェルス帝国と金の文字が押された分厚い本が視界に飛び込んでくる。
「ロスフェルス帝国……」
ジュリアが帝国の皇子の妃にと望まれたのは、ロスフェルス帝国のことだった。帝国といえばロスフェルス帝国なので、会話ではいつもロスフェルスは省略されてしまっている。
手を伸ばしても届かない高さにある。
背伸びをしたらなんとか指の先が届くかもしれない。
「……帝国のことに興味があるのですか?」
ひょいと背後から腕が伸びて、背中に男の体が密着する。
人があまりいないと油断してしまっていた。
本を追えば、肩越しには優し気な笑顔がある。
「やあ、またお会いしましたね。樹里」
「グリー!?」
昨日、シャディーンが現れて消えてしまったグリーだった。
「あなたとは不思議な縁がありますね。誰もいないところでいつもあなたとお会いするような気がします。これを取りたかったのですか?」
グリーは金表紙の本をわたしに手渡した。
正対するわたしを、目を細めながら足先から頭の先まで眺めた。
「あなたは、今日も、なんというか、素敵な格好ですね。とても、枠にはまらない自由な人だということがわかりました」
「わたしはあんたが、神出鬼没だということがわかったわ」
「そうですか?滞在先に図書館があれば寄るようにしているだけですよ」
「ここに入るのには許可証もいるのでしょう?」
「図書館利用許可証をみますか?ここに持っていますよ」
グリーは胸元から赤い紙を少し引き出して見せた。
正式に許可を取っているのならば、警戒する必要はなさそうである。
「帝国のことを知りたかったのですか?」
再度グリーは口にする。
なんとなく、わたしに帝国に興味があるといわせたいという圧力を感じる。
「残念ながら、ただ目に留まっただけ。知りたいのはもっと別のこと。でもせっかく取ってくれたから目を通すことにするわ」
「なら、お目当ての本を一緒に探しましょうか?昨日は助けてもらったことですし、それぐらいわたしにさせてください」
わたしは迷う。
一人で探すつもりだったのだ。
「ふたりで探した方が、時間の節約になりますよ?どうせ暇をしておりますから」
「え、でも、じゃあ、お言葉に甘えて……」
甘い目元が頼ってくださいと懇願していた。
つくづく罪な美少年である。
今回は彼が手助けをする側だけれども、立場が逆になって、彼から助けてほしいと頼まれれば、断るのは容易ではなさそうと思ったのだった。
カーテンを開いて留め、洗顔用の盥とタオルを持ってきて、朝からアリサは忙しく立ち働いている。
「もう起きるわ」
ようやくベッドから体を起こした。
体が重い。
今は大丈夫だけれど、時折、激しく胸が痛み咳が出るのも気にかかる。
「もしかして台風がくるかもしれないわね」
ようやくベッドから体を起こした。
アリサは窓から空を見た。
「雲一つない晴天ですよ?」
「頭痛がするのよ。この感じ、気圧性の頭痛と同じ感じなの」
「ただの風邪の頭痛じゃないのですか?医師にきてもらいましょうか?」
「シャディーンじゃなくて?」
「医師ですよ。シャディーンさまは、なんでもおできになられる方ですが、国防の要の方。そうそう気軽にお願いすることは遠慮してしまいます」
「へえ?」
そういえば、額を怪我したとき、ルシルス王子もシャディーンではなくて医師を呼ぼうとしていた。
「シャディーンには、最初に転んだ時、肘と膝を、王城にきてからは額を、新月の儀式の後は疲労回復の治療をしてもらったんだけど」
「ええ?あのシャディーンさまが?」
アリサは手をとめてわたしの顔をじっと見た。
「ジュリさまは、シャディーンさまにとってほんと、特別なんですね」
「ジュリア姫が回復するのにわたしはなくてはならない存在だからよ」
「それだけでしょうか……」
「それ以外にないでしょう?ちょっとは特別扱いされているかもしれないけれど、それだけ」
ジュリア姫のためにわたしはこの世界に呼び寄せられたのだ。
国のために助けてほしいと、シャディーンは王城に連れてくるときに言った。
そして自分は、国のために盾と槍になるのが仕事だという。
ジュリア姫は帝国の皇子妃候補というアストリア国の命運を背負っている。
そのジュリア姫を助けるわたしは、当然、大事にしなければならない存在なのではないか。
それを、王妃の侍女やアリサも勘違いをしている。
「今日はどうなさいますか?朝から王子の謁見は続くようですが。もうじき、音楽も始まりますし。今日は制服はだめですよ」
ダメ出しをするが、わたしはアリサの忠告を聞き入れるつもりはない。
「アリサ、わたしはレディを目指していないし、ここにいるのは必要があるからその期間だけ滞在する異国の旅行者のようなもの。だからかつらもかぶらないし、ジュリアのドレスも着ない。それで、仕立て屋を早い時間に呼んでほしいの」
「王城お抱えのお針子がおりますが」
「なら、話は早いわ。さっそくきてもらって。制服がだめなら、今日着る服がないのよ。掃除をしている女中の制服でもいいんだけど」
女中は膝より少し長い目の丈のワンピースにエプロンをしている。
床を引きずるドレスよりも機能的なのだ。
「それは、だめです。ジュリさまに女中の服を着せたとシャディーンさまに知られたら、わたしは仕事を失います。首が飛ぶかもしれません。絶対にダメですから」
お針子の50代と10代のベテランと若手がやってきた。
50代のベテランはわたしの要望になかなか首を振らなかったが、若手は興味深々である。ベテランはわたしは責任をとりませんからね、と何度も念をおして、ジュリアのドレスの裾にはさみをいれ、余分な装飾を取り外していく。
一度はさみを入れれば、お針子たちの迷いも吹っ切れたのである。
女中の制服のように、シンプルかつ機能的に。
それがわたしの要望である。
ひとまず3着ほどジュリアのドレスを転用する予定である。
若手はすぐにわたしのいわんとするところをつかんでくれる。
綿素材のしっかりした生地から作るものは、準備しなければできないので後日になった。
明日にも着たいところだけれど、徹夜する必要はないというと、目に見えて安堵されてしまう。
そして急仕立てで一時間ほどで出来上がったワンピースは上半身はすっきりと、膝が隠れるほどの長さのふんわりと広がるスカート。
くるりとまわるとバレリーナのようにまあるく広がるが、これは元のドレスそのままだからしょうがない。
すでに楽団の演奏が聞こえてくる。
ルシルス王子に謁見できる2日目のパーティーが始まっていた。
竪琴を手にするマグナーの姿が思い浮かんだ。
「はあ。やってしまいましたね。姫さまのご友人は変人だとなったら、友は類を呼ぶということで、姫さまも変人扱いされてしまいそうで、姫さまの評判が心配です。これからどこに行かれるのですか?」
「図書館に行きたいの」
「読みたい本があるようでしたらわたしが取ってきますが」
「気分転換に動きたいから自分で行くわ」
扉の外にはハリーが柄に手を置き、背を向けている。
ちょうど両肩が大きく上がり、大あくびをしているところだった。
わたしの姿にため息をつく。
「かつらもドレスもとうとう卒業ですか。皆、驚きますよ」
「かまわないわ」
ハリーの案内で図書館へ行く。
すれ違った全員に振り返られたのである。
※
ハリーは書棚に延々と並ぶタイトルの書かれた背表紙を見るとめまいがするというので、図書館には一人で入ることにする。
ここまで楽の音や人々のざわめきは届かない。
ジュリアの部屋のようなブーンと空調を効かせた音がする。
日に焼けるのを防ぐために、カーテンが引かれているが、わたしに反応して明かりがともる。
オイルランプではなく発光する石が、書棚の上部にはめ込まれている。
人がいる証拠に、少し離れたところでも石の明かりがいくつかともっている。
各国の歴史や、さまざまな土地に暮らす民族の伝承、王族の系譜などから、船具の手入れ方法、船や家具の設計、バラの品種改良方法、あるお姫さまの日記、など一般的なものから怪しげなタイトルのものまで棚ごとに趣をかえて並んでいた。
一冊手に取ってみると、ずしりと重い。
なめした羊皮紙の表紙に、中は荒い繊維をすいた和紙のような紙に手書きの文字が滑らかに書かれていて、大変労力をかけて作られた貴重なもののようである。
大量に印刷する技術が発達していないのかもしれない。
アストリア国と帝国の関係がわかるような歴史本も興味があり、国名の並んだ棚で足を止めた。
ロスフェルス帝国と金の文字が押された分厚い本が視界に飛び込んでくる。
「ロスフェルス帝国……」
ジュリアが帝国の皇子の妃にと望まれたのは、ロスフェルス帝国のことだった。帝国といえばロスフェルス帝国なので、会話ではいつもロスフェルスは省略されてしまっている。
手を伸ばしても届かない高さにある。
背伸びをしたらなんとか指の先が届くかもしれない。
「……帝国のことに興味があるのですか?」
ひょいと背後から腕が伸びて、背中に男の体が密着する。
人があまりいないと油断してしまっていた。
本を追えば、肩越しには優し気な笑顔がある。
「やあ、またお会いしましたね。樹里」
「グリー!?」
昨日、シャディーンが現れて消えてしまったグリーだった。
「あなたとは不思議な縁がありますね。誰もいないところでいつもあなたとお会いするような気がします。これを取りたかったのですか?」
グリーは金表紙の本をわたしに手渡した。
正対するわたしを、目を細めながら足先から頭の先まで眺めた。
「あなたは、今日も、なんというか、素敵な格好ですね。とても、枠にはまらない自由な人だということがわかりました」
「わたしはあんたが、神出鬼没だということがわかったわ」
「そうですか?滞在先に図書館があれば寄るようにしているだけですよ」
「ここに入るのには許可証もいるのでしょう?」
「図書館利用許可証をみますか?ここに持っていますよ」
グリーは胸元から赤い紙を少し引き出して見せた。
正式に許可を取っているのならば、警戒する必要はなさそうである。
「帝国のことを知りたかったのですか?」
再度グリーは口にする。
なんとなく、わたしに帝国に興味があるといわせたいという圧力を感じる。
「残念ながら、ただ目に留まっただけ。知りたいのはもっと別のこと。でもせっかく取ってくれたから目を通すことにするわ」
「なら、お目当ての本を一緒に探しましょうか?昨日は助けてもらったことですし、それぐらいわたしにさせてください」
わたしは迷う。
一人で探すつもりだったのだ。
「ふたりで探した方が、時間の節約になりますよ?どうせ暇をしておりますから」
「え、でも、じゃあ、お言葉に甘えて……」
甘い目元が頼ってくださいと懇願していた。
つくづく罪な美少年である。
今回は彼が手助けをする側だけれども、立場が逆になって、彼から助けてほしいと頼まれれば、断るのは容易ではなさそうと思ったのだった。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
17
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる