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第三章 嵐

第19話 禁術

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 知りたかったことは、魔術によりこちらの世界に召喚された者たちのその後である。
 シャジャーンが満月の夜に魔術を使ったということは、すでに確立されたやり方があるわけで。
 わたし以外にもそんな人たちがいると思うから。


 異世界から召喚された者たちの記録が記された本を映して頂戴。

 
 水盤で検索し、水から引き上げたベンガラで染めた赤い羊皮紙の本は、側面に五つの穴が開き紐で綴られている。
 日常や文語で使う言語よりも古い、カリグラフィックで美しい絵画的な文字で始まる。
 ぱらぱらと全体をめくると、字体は次第に簡略化されていく。
 文字が特別な者たちだけが使える呪術記号であったものから、多くの者が読み書きできるものへと変遷していく歴史がめくるだけで見て取れるようである。
 字体だけでなく、筆致も変わる。幾世代にもわたって書き続けられてきたことがわかる。
 時に神経質にみっちりと書き込まれ、時に殴り書いたような、うっすらと引かれた罫線も意味をなさない文字もあった。
 一頁毎に、また一文で終わる者もいる。
 莫大な記録であった。
 
 表紙に戻る。
 このくねくねとうねり、時に鏃のように鋭く、そして何かを絵柄で意味しているかのような文字は、シャジャーンが魔術を用いた時に空中に現れるクルアーンと同じもの。
 かすれるインク文字を指でたどった。

 
『魔物や疫病や戦乱は、我々の、ささやかに享受する安穏と平穏を無慈悲にもことごとく奪い去る。
 相次ぐ悲劇と時代の閉そく感を払拭する、一筋の光明を与えてくれるであろう存在を、我らは求めずにはいられない。
 近くにありながら交わらない3000世界の果てでは、時間や理が異なり、我々の生死を左右する難題事はとっくの昔に靴の中に転がり込んだ小石程度の扱いになっていることもあれば、逆もまたしかりであろう。
 我々魔術師は、希望を胸に、闇の中に心の目を飛ばし、水盤に移し、この手に知恵ある者、希望をもたらす者、我らに価値をもたらす者を引き寄せようと試みてきた。
 この本を作成しようと思う以前にも、多くの魔術師たちは、幾千通りものやり方を試み、幾万通りもの失敗があった。そしてこれからも同じだけ、いやそれ以上の失敗と成功を我らは手にするだろう。

 召喚するのではなく、自らが実験体となって果敢にも異世界へ行くことを試みる者さえもいる。
 その記録はまた別の本に記すことにする。
 こうした試行錯誤の試みにより、ある時は召喚術は成功した。
 その後の、我々の世界の進歩発展は、彼らに由来するところが大きい。
 だがしかし、その後に払った多くの犠牲を鑑みるに、はたして召喚が妥当であったのかどうかを今ここで答えを出すことははばかられる。よき結果につながることは多いが、同時にそうでないことも数多、発生しているからだ。
 この本は、異世界と交流した者の記録として後世の者に残し、その者たちに評価を託すことにする。
 さらに、研究を行うものは、続きを書き連ねていただくことを願い、前文とさせていただく』

 かたぐるしい前文である。

 さらに、その下に赤字で斜めに吊り上がるような文字で、
『帝国歴349年、偉大なる魔術師サラディンは、召喚術を禁術となす』
 と記されている。

 いまから200年ほど前のことである。
 この本は349年で終わっている。


「召喚が禁止されたということ?」
 急に重く心臓が打ち、呼吸が乱れた。
「積極的に研究された時代があったのに、利益よりも害悪が多いと判断されて、禁じられたっていうこと……?ならわたしは、禁じられた魔術で呼び寄せられたってこと?シャジャーンが召喚術が禁術であることを知らないはずがないのに……」

 生唾を飲み込んだ。
 誰それが何を召喚した、という事実の羅列されたページを飛ばす。
 魔術師サラディンが禁じるまでに、一体何が起ったのか。
 禁じられる理由があるはずだった。
 最後の方から目を通す。
 読み進めるにつれて、血が下がっていく。
 腿の上に置いた本が重くて、圧迫する。
 ページをめくる指先が震えた。
 

「……王妃がいらっしゃいますが、どうされますか?」
 途中、ハリーが王妃の訪問を告げる。
 王妃はわたしのふしだらな格好が風紀を乱すと直接文句を言いに来たのだった。
 わたしは、室内に招き入れてお茶でも出しながらそれを聞くべきだと思うのだが、部屋を整える気力がわかなかった。
 廊下で侍女二人を左右に連れたアイリス王妃と対面する。
 この世界のレディの基準を無視するわたしを、彼女たちは怒っていた。

「あなたがこの国にとって大事な方であることはわかっているのですけれど、賓客なら賓客の装いでいらしていただかないと。今日は、ありえない恰好でうろうろしていたそうじゃないですか……」

 わたしはただ苦情をやり過ごす心づもりだと早く理解してほしい。
 ハリーに追い返してもらってもよかった。
 でも、でてきてあげたのだ。
 言い返そうとするアリサを身振りで制止する。

「まあ、まともにお返事もできないほど、体調がお悪いのですか?足腰だけなくて、もっと別のところが」

 侍女たちはくすくす笑った。
 頭が悪いと言いたいのか。
 どうも、それが今日の彼女たちが繰り出した、わたしへの侮辱だったようである。
 
「ほんとうにあなたの存在が、レソラ・ジュリアの助けになっているのかしら。新月の儀式の後も血色がよくなったとルシルスも喜んでいたけれど、わたくしにはそうは思えません。ジュリアがこのまま亡くなることにでもなったら、この責任はあなたと、そしてシャディーンにとっていただく心づもりでありますのよ。だから、余計な波風をわざわさ立てたり、その頭やはしたない恰好で過ごしたいのなら勝手にしなさい。干渉いたしませんわ。ですが、あなたとわたくしたちとは全く縁もゆかりもないということにさせてもらいますから」
 
 王妃は黄金の髪をなびかせ、帰っていく。
 王妃はジュリアがこのまま目を開かず、亡くなることも視野に入れている。
 ジュリアが元気になり帝国の皇子の皇子妃となり、アストリア国とロスフェルス帝国皇室との太いパイプを持つよりも、ジュリアが亡くなり、代わりにまだ小さな二の姫、セシリアが皇子妃になることを望んでいるのか。
 前王妃の娘であるジュリアと、アイリス王妃の仲はどうだったのだろう。

「たしかにジュリさまは、わたしたちの基準からはぶっとんでおられますが、なにはともあれ、勝手にしていいと言質をとったことになりますね。ジュリアさまがああなったのも、アイリス王妃が関係しているという噂も……」
「アイリス王妃がジュリアを襲わせたというかもしれないというの?」

 アリサははっと口をふさいだ。

「すみません。お許しください。言いすぎました。ただの噂の一つにすぎません。本気になさらないでください。犯人は魔術を使うもので全く痕跡を残さなかった。ジュリア姫は王城で襲われ倒れられ、犯人はいまだに捕まっていない。それが唯一の真実ですから。アイリス王妃とジュリア姫が仲が良くなかったとはいえ、お二人の間でなにも起こりようがございません」

 唯一の真実。
 わたしの嫌いな強い言葉。
 強すぎて、かえって別の可能性があることを疑ってしまうじゃないの。


「それよりも、本当にお顔色がすぐれませんね。今夜はシャディーンさまが来られる日ですね。雨が降り出し少し肌寒く感じますから、身体が冷えたのでしょうか。朝の頭痛が収まっているようでしたら、お風呂に入って温まっておきましょう。ジュリさまのいった通り、嵐でもきそうですね……」
 
 わたしはいつも三日に一度のシャディーンとのキスを心待ちにしていた。
 美貌の魔術師から口移しで魔術をかけてもらうなんて、役得で、ロマンチックだと思っていたのだ。
 だけど今は、わからない。

 赤い本の中で記されていたのは、召喚された者たちが例外なく短いものなら30日で、長ければ1年の間に、ある者は体が腐り、ある者は血を吐き、不可解な死を遂げていた。

 サラディンは水か大気、もしくは召喚された者たちの世界にはない、こちら側の要素、たとえば魔術の元になる魔素のような、そういうものが、死をもたらす作用を引き起こしたのではないかと推測する。

『できるだけ早い段階で異世界人を彼らの世界に戻すことが、彼らの早すぎる死を免れる方法である。それ以外の解決法が見つからぬ限り、人道的見地より、われらは召喚術を禁止することに至る』

 この世界に来て、激しくせき込む頻度も高くなっている。
 これが、水か大気か魔素のせいなのかわからない。
 今日でアストリア国18日目。
 死に瀕しているのでは、眠り続けるジュリアよりもむしろ、わたしではないの?

 シャディーンはこの世界にとどまるわたしの命の危険を言及しなかった。
 意図的に事実を伝えないことは、だましているのと同じだと思うのだ。

 
 
  
 



 
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