悪女がお姫さまになるとき

藤雪花(ふじゆきはな)

文字の大きさ
22 / 72
第四章 帝国の皇子

第21話 嵐の夜

しおりを挟む
 どんどんと激しく扉を叩く音に、男の名を呼ぶ声が切れ切れに届く。
 男の動きがはたと止まり、舌打ちをする。
 それは、中断された憤りか、それとも関係を持ってしまったことに対しての後悔か。
 わたしは心が締め付けられるような気がした。
 それでも彼の重みと熱が遠ざかると、体にはぽかりと穴が開いたように思えた。
 シーツをかぶっても、波のように打ち寄せる暴風雨のうなり声は防ぐことができない。
 しばらくしてシャディーンは戻ってくる。

「樹里、王城の結界石の調子が悪いようだから今すぐ行かなくてはならなくなった。君は……」
「ちゃんと今夜もお姫さまのところに行くから」
「今夜は無理をするな。王城内部が騒がしい」
「大丈夫よ。おかげさまで調子もいい。わたしはそのために来たのでしょ」
「そうだが、一人では出歩くな」

 その声に含まれる安堵の気配をわたしは読み間違えることはない。
 その中に、わたしを心配する気持ちも含まれているのだろうか。
 シーツから顔を出すと、シャディーンは身支度を整えていた。
 美しい顔がしかめられ、事態の深刻さが読み取れた。

「こんな嵐の夜に、誰かが攻めてくるとでもいうの?」
「用心に越したことはない。戻るまで待っていてくれ」

 シャディーンのマントは黒い闇のようだと思う。
 闇をその身まとい、背負い、銀に輝く髪を隠し、息を潜ませ、機会をうかがい、わたしがわたしを取り巻く世界を呪った瞬間に美奈でもなく、他の者でもなく、わたしをからめとったのだった。

 扉外で待ち構える同じく黒いマントの王城魔術師たちとともにあわただしく行ってしまう。
 
 もしかして、ジュリア姫が襲われた日もこんな夜だったのか。
 わたしはどんな状況で暴漢に襲われたのか全く知らないことに気が付いた。
 アリサに聞けばわかるのか。

 何をしてもしなくても、刻々と時間が過ぎていく。
 嵐は静まるようすはなく、ますます激しくなっていく。
 稲妻が光り、遠くで轟く。
 まだ遠いがいずれ近くにきそうだった。
 高台に築かれた城は高波は防げたとしても、稲妻には弱いのかもしれない。 

 アリサが夜に来る時間帯が過ぎても一人だった。
 シャディーンが戻るのを待たずに、今日の日課を果たしに一人でジュリアの部屋に行くことにする。
 ジュリアの部屋は同じ階の最奥である。
 
 脱いだワンピースに再び袖を通し、その上に裾の長い前合わせのローブを羽織った。
 はしたないと顔をしかめられる生足は、ひとまず隠れる形にする。

 部屋の外は異様な騒々しさに包まれていた。
 壁にはめ込まれた魔術石の明かりがどこかで雷が落ちた振動で不安げにゆらぎ、がたがたと窓ガラスが嵐に揺さぶられている。この階ではめったに見ない男の使用人が木材を持ち走る姿も遠くに見えた。アリサが窓の外側の木戸を閉めようとして、風にあおられ悲鳴を上げて転ぶ。彼女の代わりに木戸を閉めたのはハリー。
 わたしの足元まで雨の飛沫が降りかかる。

「ハリー!」
「ジュリさま。部屋にとどまってください。この階もすべて窓を閉めないと何が飛んでくるかわからず危険です」
 ハリーの上半身はまだらにずぶぬれである。
「台風がくるってわかっているのに、何のんびりしてるのよ。ずいぶん前からこうなることがわかっていたじゃないの」
 ハリーの顔には焦りと戸惑いが浮かんでいる。
 額から流れる水を指先で払った。

「普段ならば結界石により、王城は堅牢に守られているので台風ごときにはびくともしないはずなのに、突発的なことが起こっていて、魔術師たちがひとつひとつ結界石を確認している。こんな事態、今までなかったことで、王城は今大変な騒ぎになっているんだ」
「大変な騒ぎ?」
「避難してきた民を受け入れているんです!一階は人であふれかえっていて、その人員整理に騎士も女中たちもみんな駆り出されているんです!」
 そういうアリサは半泣きで、まだ閉められていない窓を見た。
「わたしも手伝う」
「なりません。お客さまにそのようなことをさせられません」
「それでも窓が破られたら困るのはわたしでもあるのだから、手伝わせて」
 ハリーとアリサは顔を見合わせた。
「本当はこんなことをさせられないんだけど、手伝ってくれるなら、護衛をしながら窓を閉めることができそう」

 決まりだった。
 閉められていない窓はジュリアの部屋まで続いている。
 アリサが窓を開くとわたしとハリーが左右の壁の向こうに収められている引き戸を引き閉じる。
 木の葉が雨に紛れて顔にぶつかり、たちまちわたしたちは顎から水を滴らせ、靴の中までぐっしょりと濡れそぼる。
 一つ閉じる度にほっとするが、まだいくつも続く。
 そうやって、わたしたちはひとつひとつ閉じていき、ジュリアの部屋まであと一つとなった。
 閉じようとした木戸に何かが激突した。

「うわッ」

 反動で、ハリーとわたしは背後へ飛ばされた。
 アリサも倒れ込むわたしたちに巻き込まれ、ハリーの体の下で悲鳴を上げた。
 ガラスが割れ、葉を茂らせた腕の太さほどある木の枝が、顔のすぐ横の床を激しく打ちつける。
 稲妻が光り、床に突き刺さった巨大なガラス片と粉々に砕けた小片に、千々に反射する。

「ジュリさま、ひとまず避難をしてください!姫さまの部屋に!どいてくださいハリー、枝よりもあなたの鎖帷子で怪我しますから!」
 アリサが甲高く叫び、ハリーを押しのけようとしている。
「ジュリさまは大丈夫ですか!アリサのいうようにここは俺たちにまかせて行ってください!」
「でもこんな状態でふたりを置いていけない」

 起きようとしたわたしの手を取った者がいる。
 わたしたちを追い立てようとするかのように再びひらめいた稲妻が、鮮やかに銀の筋の入った金髪と美貌をくっきりと照らし出した。
 細い体に仕立ての良い服の若者。
 ドンと落ちた音は、先ほどよりも間がない。
 だんだん雷は近づいている。

「また会ったね、ジュリ」
「グリー!」
「下の階は人が多くて。上に上がれたから来てみたら、あなたたちが奮闘していたから手伝おうと思って」
「おい、この階は関係者以外に入れないことになっている!」

 不意に現れた部外者の存在に、ハリーの顔つきが変わった。
 上体を起こそうとして、アリサの乱れた髪が帷子の留め具に絡まり、アリサは悲鳴を上げる。

 グリーはわたしを起こし、にこりと笑う。絡まる髪をほどこうと躍起になる二人を尻目に、グリーはわたしの肩を後ろから支えて促した。

「お二人が言うように、ここは危険だからひとまずその部屋へ避難しましょう」

「だけど、この部屋は、限られた人しか入れない部屋なのよ」
「でもあなたは入れるのでしょう?それに緊急事態だから」

 開いた窓からざっと風雨が降り注いだ。
 悪態をついたのはハリー。
 アリサと離れられたが、これ以上雨も風に飛ばされてくる凶器のようなものを吹き込ませないために、何はともあれ再び木戸を締めにかからなければならない。

「ジュリさま、ここは俺がなんとかしますから!」

 ハリーが割れたガラスを避けてばたつく木戸を捉えた。
 アリサも援護に入った。
 それを見届け、わたしはジュリアの部屋のマホガニーの扉に手をかけた。

「わかったわ。グリー、ここで待っていて。皆の分の余分なタオルを取ってくるから。この部屋は結界が張られているのよ」

 そういいつつ、王城の結界石がおかしくなったように、ジュリア姫の部屋の結界もおかしくなっているかもしれないと思い当たった。
 ガラス張りの温室のような部屋は内からの結界がないと、嵐の前で脆弱なのではないか。白いゲルのような天蓋のベッドはもしかしてなぎ倒された観葉植物やら吹き込んだ雨風でめちゃくちゃになっているのではないか、崩れ落ちたガラスの天井が、眠り続けるジュリア姫の体に突き刺さり、とどめを刺してしまったのではないか。

 そんな映像が脳裏に浮かぶ。
 空気を循環させるいつもの静かな音。
 来訪者の気配に、いくつも置かれた明かりが、ジュリア姫が横たわる中心に向かってともっていく。人の顔ほどある観葉植物の葉がそよぎもしていない。
 心配は杞憂で、嵐の静けさとは無縁の静寂がいつもと同じようにわたしを迎える。

「この部屋の結界は、どうやら無事のようね?」

 安心したのは束の間。
 背後から鋭く押された。
 この王城の中で最も守りが堅牢なのではないかと思われたジュリアの部屋へと、グリーに押し込まれたのである。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。 だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。 しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。 王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。 そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。 地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。 ⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

はじめまして、私の知らない婚約者様

有木珠乃@『ヒロ弟』コミカライズ配信中
ファンタジー
ミルドレッド・カーマイン公爵令嬢は突然、学園の食堂で話しかけられる。 見覚えのない男性。傍らには豊満な体型の女性がいる。 けれどその女性から発せられた男性の名前には、聞き覚えがあった。 ミルドレッドの婚約者であるブルーノ王子であることを。 けれどミルドレッドの反応は薄い。なぜなら彼女は……。 この世界を乙女ゲームだと知った人々による、悪役令嬢とヒロイン、魔女の入れ替え話です。 悪役令嬢を救いたかったはずなのに、どうしてこんなことに? ※他サイトにも掲載しています。

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

思いを込めてあなたに贈る

あんど もあ
ファンタジー
ファナの母が亡くなった二ヶ月後に、父は新しい妻とその妻との間に生まれた赤ん坊を家に連れて来た。義母は、お前はもうこの家の後継者では無いと母から受け継いだ家宝のネックレスを奪うが、そのネックレスは……。

処理中です...