悪女がお姫さまになるとき

藤雪花(ふじゆきはな)

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第五章 価値あるもの

第35話 酒造り ②

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 酒造りは、麹と蒸した米を混ぜ合わせてデンプンを糖に変える一段階目と、酵母の働きで糖をアルコールに変える二段階目がある。
 わたしがここで飲んだ酒のうち、果実酒ではなく、米の酒を造りたいと思う。
 ジュリアの酒蔵も米酒の匂いが残っているので、米の酒であることは確かだった。

 だけど第一段階目のでんぷんを糖に変えるのに、何を触媒にしているのだろうか。
 アリサに聞いてみた。
「でんぷんを糖に変える触媒ですか?米以外の材料ということですか?米以外にはつかいませんよ。うちのところは発芽させた玄米を使っていますけれど?」
「発芽玄米!?麦芽の酵素を使ってビールを作るぐらいだから、発芽玄米もありえるかも?」
「そうです。発芽玄米を蒸して、とろとろのおかゆにして、イチジクを中に入れておくんです」
「イチジク!?天然酵母でアルコール発酵を促すということなの!?」
「あのシシリーにも聞いてみましょう」
 シシリーとは女中頭である。
 女中頭は発芽トウモロコシである。
 発芽トウモロコシが手に入らないときには麦芽。
「玄米を使うと、ぬかくさいというか、匂いが強くなり酸味がでるので、わたしのところはトウモロコシを使いますよ。サンディ!ちょっと!」
 シシリーは洗濯物の籠を抱えた若い女中を呼ぶ。 
「あんたのところは酒造りはどうしているの?」
 普段は厳しい顔をしている女中頭に呼ばれてサンディはびくびくしている。
 わたしが何を知りたいかを知ると、女中たちは別の女中を呼ぶ。
 避難所のことがあってから、相変わらずズボンや女中のような固いワンピースに肩までの短い髪という常識外れの格好であっても、好意的に受け入れられていた。

「まとめると、発芽させた玄米、トウモロコシ、麦が多くて、玄米はそのままおかゆにし、トウモロコシや麦にはどろどろに炊いた米を混ぜ、さらに天然酵母豊富なイチジクやリンゴや干しぶどうを投入したりして確実にアルコール発酵を促すということね」
「おまじないのようなものですよ。手に入ればパイナップルの皮、マンゴーの皮、メロンの皮だってなんだって入れます」
 女中頭は言う。
 わたしは家の酒蔵で必ず出てくるものがあがらないことに気が付いていた。
 それは麹である。

「麹ですか?なんですか、それは」
「麹は、麹よ。かび菌」
「かびですか!そんなものでお酒を造ったら腐ってしまいます!変なものが混ざれば、酒は即、酢になりますから!」
 女たちは顔色を変え、首を振る。
「体に害のない種類のだから、大丈夫よ。っていうか、ここでは麹を使ってないのね。だから酒に雑味がしてくさいのかなあ。じゃあ、麹で酒をつくったら、たんぱくで淡麗な味のおいしい酒ができるんじゃないの」
「酒は、がっつんとくるのがいいんですよ」

 アリサがこぶしを握り締めて力強さを訴えた。
 港町に住むというサラに話を聞いても、カビの話は出てこない。
 
「ここじゃ、麹菌から酒をつくっていないなんて想定外だった。麹菌、よく研いだ米、美味しい水、で作ればいいと思っていたんだけど、麹菌がわけてもらえないんじゃ、美味しいお酒造りは難しいかも……」

 女たちの酒造りの話題に王城でも港町でも一歩引いて控えていたハリーは、わたしの落胆するのを気にしてくれる。

「俺のところは、森との境にある農家で先祖代々の古くからのやり方を貫いているぜ?雪深く、ド田舎であるから外国や町との交流がすくなくて、麦やらとうもろこしは手に入らず、玄米は来年の作付けに重要だから無駄にはできないし。ジュリさまが見たいというのなら、おばあちゃんに話をつけてもいいけど」

 でんぷんを糖に変えるのに一番手短にある方法がある。
 物資がまずしくても、米と体一つあればできる方法は、藤崎家の巫女の仕事の一つだったもの。

「ハリーのところは、もしかして口噛みをしているの?米を口に含み咬んで唾液と混ぜ、唾液アミラーゼででんぷんの分解を促すというやつかな」
「よく知ってるな!そうだよ。おかあさん、おばあちゃんが朝から昼までくちゃくちゃとしてだーっと唾液をだすのを続けるんだ。男たちは近づけない神聖な儀式で、俺が見たのはまだ小さなころで、おかあちゃんとおばあちゃんのおにぎりを食べようとして怒られた思い出があって。いまでは、俺ん家の地区ぐらいかもな」
「ハリーの出身、ずいぶん僻地だったのね」
 口噛み酒は巫女の酒。
藤崎家の始まりの酒だ。世界中に女たちが口噛みで作った酒の伝統が残っている。唾液アミラーゼはすごい、人体って良くできていると感動したのを思い出す。
 
 口噛み酒も雑味が混ざるという。
 わたしが美味しいと思う酒とは違うのである。
 作ってみたいのは、藤崎家で作っていた麹の酒。
 この世界でまだ出会っていない、父と母の、芳醇な酒。
 わたしは実家にあった雑誌のコラムを思い出そうとする。
 著名な腸内環境を整えることが健康につながると説いていた自然派の医者が、調味料をすべて手作りするというコラムをこの世界に来る直前に読んでいた。
 それに、麹菌のことが書いてあった。


 



 今日はあの日だ。
 三日に一度繰り返される、わたしがこの世界で意思疎通を図れるようになるための儀式。
 男を部屋に入れるにはずいぶん遅い時間で、もうこのまま寝てもいい、前合わせの夜着。
 だけど、来る気配はない。
 明日の朝一番なら問題がないとでも思っているのだろうか。
 そんなことを思っているうちに、うつらうつらしてしまう。
  
 きしりとベッドがきしむ気配に目をさました。
 灯りもなく、男はわたしのベッドに腰を下ろしていた。

「……酒を造って帝国に差し出すつもりなんだな」
「そのつもりなんだけど、わたしのイメージする酒造りに、わたしの世界なら手軽に手に入るものがここではなくて、どうしようかと悩んでいるんだけど。米が収穫されるまえに田んぼを見に行かなくちゃ……」

 あくびをかみ殺し、三日月が照らす男に目を凝らす。

「田んぼ?畑のことか」
「そうよ。稲穂に麹菌のかたまりである稲だまっていうものができて、それがあらゆる発酵食品の種麹になるっていうものがあるそうなの。実際に見たことはないんだけど」
「姫の畑に行けばいい」
「ジュリア姫は酒蔵だけじゃなくて、自分の畑まで持っているっていうの?」
「それが王家の伝統だから」

 手が伸びて髪に触れる。 
 ただの定期的な儀式のキスを、わたしはただのキスで終わらせるつもりはない。
 キスの前に、喉をからませ、ふたつみっつ、せき込んで見せた。
 
「体調がまだ戻らないのか?」
「最近また、咳が出始めて」
「……」

 シャディーンは口の中で小さく悪態をつき、マントを脱ぐ。
 クルアーンを唱えはじめた。
 魔術紋様が現れては消える。
 治療のクルアーンである。
 ジュリアが目を開くことがあったとしても、まだ意識が明確にあるわけではない。
 わたしにはまだ価値がある。
 彼が治療目的でわたしを抱いていると思っても、体を重ねれば情が湧く。
 ジュリアが目覚めてわたしが用なしになったとき、もしくはジュリアが目覚めることなく亡くなった時、いずれにしても、この世界がわたしを完全に蝕む前に、元の世界に戻りたい。

 治癒にしても、元の世界にもどるにしても、この銀髪の美貌の魔術師はわたしの命綱。

「キスを」

 わたしは腕を広げた。
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