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番外編
その1、槇原空也(メイクアップアーティスト)
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槇原空也の実家は美容室である。
住宅街の中にある、小さな家族経営サロンで、ご近所のおばさんや、その娘さん、そのまたちいさなお子さんが通う。
空也はそういう環境で育ったので、髪をカットした後のお客さんが、すっきりきれいになって満足して帰る姿を、毎日見て育つ。
たまに、メイクもしてほしいという結婚式や同窓会にこれから参加するというお客さんがくる。
その顔は母の手により、みるみる肌が明るくなり、目鼻のメリハリがついて、化粧が終わった時には、外見ももちろんのこと、10才は内面が若くなって、背筋も延びて、大満足でサロンを出る姿を見ることが、毎回、楽しみになっていた。
だから、美容師の国家資格を得てさらにメイクを学びにニューヨークへ渡ったのも当然の流れと言えた。
仕事は順調で、空也を気に入っている女優が毎回撮影の度に彼を必要としてくれたり、ファッションショーのデザイナーに呼ばれたり、忙しい。
流行の最先端から、ナチュラルメイクまで必要に応じてなんでもこなす。
中堅どころの化粧品メーカーA社の企画広報室の担当者も彼を気に入っていて、最近は事あるごとに単発のイベント仕事に呼ばれている。
仕事柄、顔をみて感じるところを大事にする槇原空也である。
その人がもっている内面を、はっきりと浮き出させるメイクをすると、本人にとって矛盾がなく満足度が格段と上がる。
顔を作るというよりも、被ったベールを剥がしていく感覚に近い。
ベールを剥がして、内側に埋もれてしまっていたまっさらなその人を、白日の元に引き出すのだ。
当人さえも知らないものを引き出してしまうこともある。
槇原空也がメイクの天才と言われるのも、メイクの腕前や色に対する優れた感性というよりもむしろ、その人の内面を視る能力に長けているところが大きいのである。
だから、A社の若い担当者と顔合わせをしたときも、仕事柄、担当者を観察してしまう。
神野紗良は地味である。
ひっつめの髪を後ろに束ね、縁の銀色の眼鏡をかける。
肌は手入れがいきとどいているが、肌を作り込むことはしない。
服からもその人がわかる。
自分を包む服は、どうみられたいかの明確な自己主張だからである。
神野紗良は全身で主張している。
わたしを深く傷つけた男には頼らない。
男に媚びず、仕事を頑張る。
わたしには見てくれの賛辞は不要。
彼女の仕事は化粧品を売ってなんぼの仕事なのに?
その内側の彼女自身は?
槇原空也は感じる。
地味な外面を固い鎧に、
彼女はぎゅっと燃える情熱を閉じ込めている。
わたしはここにいる!
手に入れたいならば、いばらの道でも構わず踏みこみ、ここまでたどり着いて頂戴。
目で見えるものに、惑わされないで。
わたしにかけられた魔法を、見事解いて頂戴。
そうすれば、わたしの全てをあげるわ!
熱い情熱の限り、あなたを愛するわ!
でも、無駄でしょうね。
傷つきたくなければ、わたしをそっとしておいて?
愛なんていらないのだから。
仕事がわたしの恋人。
心変りしない絶対無二の存在。
「ふうん?」
「?」
槇原空也は、手のひらの熱を伝えるように、クリームを紗良の肌に浸透させる。
肌に触れる空也の手のひらの大きさと、その染み入り体の内側に侵入して広がる熱にたじろぎ、少しあがらい、そして諦めて受け入れるさまを間近で見る。
ほわっと紗良の体の緊張感が抜ける。
メイクショーのステージであることを空也も紗良も忘れる。
後は、空也の感じるまま、肌にのせていく。流行色は使うけれど、紗良自身が見て、不快感を感じない、ああ、鏡の自分は思い描く自分自身である、と感じさせるような内面を投影したメイクをする。
「あんたは愛されたいのに、安売りはしたくないんだな。
だから、こんなに妖艶な容姿に、オンナのいいにおいをさせているのに、隠してしまうんだ?
見てくれではなくて、ニオイで気がついてって主張しているんだ?本人のニオイは隠せないだろ?しかも生きる本能と結び付いている。
ニオイってエロいな」
空也の手によって、目の前の、先程まで地味な顔の仮面をかぶっていた女の仮面が剥がされていく。
空也がしたのは目元は三色でぼかし、ホンの少し、肌を整え、ホンの少しその肌に色を乗せただけ。
メイクをしている間、ちらりと鏡を見る女のその変化も見る。
現れだした妖艶なオンナに紗良は少し驚きたじろぐがそれも僅かな時間だけ。
そして受け入れていく。
その色っぽい彼女も、彼女の本質でもあるから、強烈な拒絶感は起こらない。
ああ、これがわたし自身。
「ああ、これが本当のあんただ。
愛を求めずにはいられない、焦がれるオンナ。
そんな目でじっと見詰められたら、どんなオトコでもクラっとくる」
紗良の耳にささやくようにいう。
「ほら。出来上り」
フラッシュがいくつもたかれる。
マイクを手にもったリポーターもいる。
「流石、榎原空也だけある」
紗良は口許をほころばせた。
その唇を求めて、男は寄ってくるだろう。
そして、彼女のいいニオイに捕らわれる。
それはまるで罠にかかった猛獣のように。
空也のショーは成功だった。
神野紗良は別人のように、艶やかなオンナになって、フラッシュの前に立つ。
ビフォアーアフターの際立ちが圧巻であった。
その日の午後、箇別相談コーナーで妖艶なメイクをしてほしいという依頼を彼は受けまくることになる。
「あなたには、色っぽいというよりカワイイの方がにあうよ?、、、その上で、このルージュをつけると、嫌みでなくちょっと色っぽくなる」
と何回言ったことか。
夕方、空也の仕事終わりにA社の神野紗良が待っていた。
「すごい反響が本社にあったようよ?」
そういう神野紗良は嬉しそうだ。
だが、引っつめの髪に銀の目がね。メイクは落としていないが、ルージュは地味な色味に変更している。
再び堅物OL全開にしている。
「せっかくきれいにしたのに、なんで変えたんだ?」
紗良は肩をすくめた。
「だって、あれから周りが煩くて、さやかとお昼ご飯してても店員は頼みもしないデザートを持ってくるし、お昼のサラリーマンに声をかけられるのよ?
イチイチ断る時間がもったいなくて!
だから、目立たぬように手直ししちゃった」
ああ、この女は仕事一筋のオンナだった。
美しい容姿を利用せずに、仕事で成功を得ようとしていた。
まだ彼女は恋を知らない。
槇原空也は思う。
恋をすれば、利用できるものは全て利用して、己は誰よりもきれいになって好きな相手の心を得ようとするからだ。
彼女が、自分から変身したいと思わせる男はいったいどんな男だろう。
槇原空也は思った。
変身していくその様子をみたいと思う。
彼女に変化をもたらす熱が自分であればと思うと、堪らなくなる。
つい、誘ってしまっていた。
「この後はどうするんだ?
おいしいコーヒーを出してくれるカフェがこの辺りにあるよ」
思いものかけないお茶のお誘いに、紗良ははっとし、そして戸惑うような表情が浮かぶが、それも一瞬。
何やら理由をつけて断られる。
彼女のガードは固い。
恋の兆しに敏感に反応し、そして避ける。
今までしてきたように。
颯爽と、後輩の女の子を連れて去る姿を目で追う。
彼女が自ら鎧を脱ぎ心を晒す男はどんなオトコなのだろうと、槇原空也は思う。
わかっていたが、それは自分ではないということだった。
槇原空也は神野紗良と会うたびに、変化を確認してしまう。
彼女はまだ出会っていない。
まだ出会っていない。
なんだかその都度ホッとする自分がいる。
彼女の鎧を誰にも剥がすことはできないのなら、誰にも手に入れられないということで、それはそれで良いのではないか?
それから何日もたって、懇意にしている俳優の、控え室におかれた雑誌を何の気なしにめくる。
槇原空也の目は飛び込んできたものに釘付けになった。
それはセクシーなドレスに身を包んだ神野紗良と、その後ろから彼女の手首を握り胸を開く端正な男の写真。
その恥じらいながらもうっとりとしたその顔は、神野紗良を知る自分は一度も目にしたことがないものだった。
「あの堅物、ちゃんと恋してるじゃん」
じっくり写真を眺めて槇原空也は呟いた。
もう彼女に執着するのは終わりにしようと思ったのだった。
その1 完
住宅街の中にある、小さな家族経営サロンで、ご近所のおばさんや、その娘さん、そのまたちいさなお子さんが通う。
空也はそういう環境で育ったので、髪をカットした後のお客さんが、すっきりきれいになって満足して帰る姿を、毎日見て育つ。
たまに、メイクもしてほしいという結婚式や同窓会にこれから参加するというお客さんがくる。
その顔は母の手により、みるみる肌が明るくなり、目鼻のメリハリがついて、化粧が終わった時には、外見ももちろんのこと、10才は内面が若くなって、背筋も延びて、大満足でサロンを出る姿を見ることが、毎回、楽しみになっていた。
だから、美容師の国家資格を得てさらにメイクを学びにニューヨークへ渡ったのも当然の流れと言えた。
仕事は順調で、空也を気に入っている女優が毎回撮影の度に彼を必要としてくれたり、ファッションショーのデザイナーに呼ばれたり、忙しい。
流行の最先端から、ナチュラルメイクまで必要に応じてなんでもこなす。
中堅どころの化粧品メーカーA社の企画広報室の担当者も彼を気に入っていて、最近は事あるごとに単発のイベント仕事に呼ばれている。
仕事柄、顔をみて感じるところを大事にする槇原空也である。
その人がもっている内面を、はっきりと浮き出させるメイクをすると、本人にとって矛盾がなく満足度が格段と上がる。
顔を作るというよりも、被ったベールを剥がしていく感覚に近い。
ベールを剥がして、内側に埋もれてしまっていたまっさらなその人を、白日の元に引き出すのだ。
当人さえも知らないものを引き出してしまうこともある。
槇原空也がメイクの天才と言われるのも、メイクの腕前や色に対する優れた感性というよりもむしろ、その人の内面を視る能力に長けているところが大きいのである。
だから、A社の若い担当者と顔合わせをしたときも、仕事柄、担当者を観察してしまう。
神野紗良は地味である。
ひっつめの髪を後ろに束ね、縁の銀色の眼鏡をかける。
肌は手入れがいきとどいているが、肌を作り込むことはしない。
服からもその人がわかる。
自分を包む服は、どうみられたいかの明確な自己主張だからである。
神野紗良は全身で主張している。
わたしを深く傷つけた男には頼らない。
男に媚びず、仕事を頑張る。
わたしには見てくれの賛辞は不要。
彼女の仕事は化粧品を売ってなんぼの仕事なのに?
その内側の彼女自身は?
槇原空也は感じる。
地味な外面を固い鎧に、
彼女はぎゅっと燃える情熱を閉じ込めている。
わたしはここにいる!
手に入れたいならば、いばらの道でも構わず踏みこみ、ここまでたどり着いて頂戴。
目で見えるものに、惑わされないで。
わたしにかけられた魔法を、見事解いて頂戴。
そうすれば、わたしの全てをあげるわ!
熱い情熱の限り、あなたを愛するわ!
でも、無駄でしょうね。
傷つきたくなければ、わたしをそっとしておいて?
愛なんていらないのだから。
仕事がわたしの恋人。
心変りしない絶対無二の存在。
「ふうん?」
「?」
槇原空也は、手のひらの熱を伝えるように、クリームを紗良の肌に浸透させる。
肌に触れる空也の手のひらの大きさと、その染み入り体の内側に侵入して広がる熱にたじろぎ、少しあがらい、そして諦めて受け入れるさまを間近で見る。
ほわっと紗良の体の緊張感が抜ける。
メイクショーのステージであることを空也も紗良も忘れる。
後は、空也の感じるまま、肌にのせていく。流行色は使うけれど、紗良自身が見て、不快感を感じない、ああ、鏡の自分は思い描く自分自身である、と感じさせるような内面を投影したメイクをする。
「あんたは愛されたいのに、安売りはしたくないんだな。
だから、こんなに妖艶な容姿に、オンナのいいにおいをさせているのに、隠してしまうんだ?
見てくれではなくて、ニオイで気がついてって主張しているんだ?本人のニオイは隠せないだろ?しかも生きる本能と結び付いている。
ニオイってエロいな」
空也の手によって、目の前の、先程まで地味な顔の仮面をかぶっていた女の仮面が剥がされていく。
空也がしたのは目元は三色でぼかし、ホンの少し、肌を整え、ホンの少しその肌に色を乗せただけ。
メイクをしている間、ちらりと鏡を見る女のその変化も見る。
現れだした妖艶なオンナに紗良は少し驚きたじろぐがそれも僅かな時間だけ。
そして受け入れていく。
その色っぽい彼女も、彼女の本質でもあるから、強烈な拒絶感は起こらない。
ああ、これがわたし自身。
「ああ、これが本当のあんただ。
愛を求めずにはいられない、焦がれるオンナ。
そんな目でじっと見詰められたら、どんなオトコでもクラっとくる」
紗良の耳にささやくようにいう。
「ほら。出来上り」
フラッシュがいくつもたかれる。
マイクを手にもったリポーターもいる。
「流石、榎原空也だけある」
紗良は口許をほころばせた。
その唇を求めて、男は寄ってくるだろう。
そして、彼女のいいニオイに捕らわれる。
それはまるで罠にかかった猛獣のように。
空也のショーは成功だった。
神野紗良は別人のように、艶やかなオンナになって、フラッシュの前に立つ。
ビフォアーアフターの際立ちが圧巻であった。
その日の午後、箇別相談コーナーで妖艶なメイクをしてほしいという依頼を彼は受けまくることになる。
「あなたには、色っぽいというよりカワイイの方がにあうよ?、、、その上で、このルージュをつけると、嫌みでなくちょっと色っぽくなる」
と何回言ったことか。
夕方、空也の仕事終わりにA社の神野紗良が待っていた。
「すごい反響が本社にあったようよ?」
そういう神野紗良は嬉しそうだ。
だが、引っつめの髪に銀の目がね。メイクは落としていないが、ルージュは地味な色味に変更している。
再び堅物OL全開にしている。
「せっかくきれいにしたのに、なんで変えたんだ?」
紗良は肩をすくめた。
「だって、あれから周りが煩くて、さやかとお昼ご飯してても店員は頼みもしないデザートを持ってくるし、お昼のサラリーマンに声をかけられるのよ?
イチイチ断る時間がもったいなくて!
だから、目立たぬように手直ししちゃった」
ああ、この女は仕事一筋のオンナだった。
美しい容姿を利用せずに、仕事で成功を得ようとしていた。
まだ彼女は恋を知らない。
槇原空也は思う。
恋をすれば、利用できるものは全て利用して、己は誰よりもきれいになって好きな相手の心を得ようとするからだ。
彼女が、自分から変身したいと思わせる男はいったいどんな男だろう。
槇原空也は思った。
変身していくその様子をみたいと思う。
彼女に変化をもたらす熱が自分であればと思うと、堪らなくなる。
つい、誘ってしまっていた。
「この後はどうするんだ?
おいしいコーヒーを出してくれるカフェがこの辺りにあるよ」
思いものかけないお茶のお誘いに、紗良ははっとし、そして戸惑うような表情が浮かぶが、それも一瞬。
何やら理由をつけて断られる。
彼女のガードは固い。
恋の兆しに敏感に反応し、そして避ける。
今までしてきたように。
颯爽と、後輩の女の子を連れて去る姿を目で追う。
彼女が自ら鎧を脱ぎ心を晒す男はどんなオトコなのだろうと、槇原空也は思う。
わかっていたが、それは自分ではないということだった。
槇原空也は神野紗良と会うたびに、変化を確認してしまう。
彼女はまだ出会っていない。
まだ出会っていない。
なんだかその都度ホッとする自分がいる。
彼女の鎧を誰にも剥がすことはできないのなら、誰にも手に入れられないということで、それはそれで良いのではないか?
それから何日もたって、懇意にしている俳優の、控え室におかれた雑誌を何の気なしにめくる。
槇原空也の目は飛び込んできたものに釘付けになった。
それはセクシーなドレスに身を包んだ神野紗良と、その後ろから彼女の手首を握り胸を開く端正な男の写真。
その恥じらいながらもうっとりとしたその顔は、神野紗良を知る自分は一度も目にしたことがないものだった。
「あの堅物、ちゃんと恋してるじゃん」
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