陰陽師の末裔

ハリマオ65

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24話:衛星放送、民営化、ファミコン登場、プラザ合意

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 その後、1981年5月には、富士通から、機能を上げたFM-8が、発売された。その翌年、1982年10月には、16ビットパソコン、PC9801が、登場し、一気にパソコン人気とユーザーを増やした。

 そして、以前、話したように、もし、汎用型パソコンが、NEC出れば、NEC株は、大化けすると予想した通りに、上昇していると笑いながら言った。実は、私も、親類に買ってもらい、その恩恵に浴してると笑った。

 しかし、NEC株が上昇するのは、これからかもしれない。下げ初めるまで、しっかり持っていた方が良いと言われた。その次ぎ、株投資かが注目するのは、コンピューターに使われる高機能半導体とICのメーカーだろうと予想した。

 また、詳しいことは、担当者から連絡させると言ってくれた。その後、1月18日、福岡県三池郡高田町「現在のみやま市」の三井三池鉱業所の有明鉱坑内火災、一酸化炭素中毒で83人死亡した。5月12日 NHKが、衛星放送を開始。

 この衛星放送には、雨宮も注目してみていた。試験放送の画像は、今までの画像に比べて、格段と見やすく、美しくなっているのを確認した。6月、京セラ、当時の社長、稲盛和夫を創業者として、第二電電株式会社「現在のKDDI」が誕生。

 電電公社社員だった千本倖生を専務に迎え入れ、第二電電企画株式会社として設立。翌1985年4月、電電公社の民営化と通信自由化に伴いNCC「新電電」の一つとして発足した。

 それに続き、日本専売公社の事業継承を目的とした専売改革関連法「たばこ事業法・日本たばこ産業株式会社法」が公布され、翌1985年4月1日に民営化されることが決定された。

 この新しい時代の息吹を感じて、雨宮夫妻は、5歳の息子、雨宮時雄と一緒に、東京駅から東海道新幹線で、大阪まで小旅行に出かけた。すると、時雄は、景色が流れていくのを見て、面白がっていた。

 大阪では、元の大阪万博の跡地、万博記念公演の太陽の塔を見て回った。その他、大阪名物たこ焼きをたべ、神戸港を見学して、2日目は、京都へ行き、生八つ橋を食べ、金閣寺、二条城、嵐山を巡ってきた。

 そして、夏になり、暑いので家の中でクーラーを効かせて過ごしていた。秋は、紅葉を見に、箱根へ行き、芦ノ湖の遊覧船に乗り、周りの高い山の紅葉を見て、楽しんで帰ってきた。

 そうして1985年になった。この年の2月、あの列島改造論を書いた、元総理大臣の田中角栄氏が、田中角栄が脳梗塞で倒れ入院。以降、政治活動の一線から姿を消すことになった。これを見て、雨宮は、新時代への移行を感じた。

 3月10日に青函トンネル本坑が貫通。これで、本州と北海道への道路が完成した。全長約54キロ、交通機関用トンネルとしては世界2位の長さであり、海底トンネルおよび狭軌のトンネルとしては世界一の長さと深さを持つ交通機関用トンネルである。

 その後、3月14日、東北新幹線の大宮~上野間が開通した。4月1日、日本電信電話公社「電電公社」が、日本電信電話株式会社「NTT」に、日本専売公社が日本たばこ産業株式会社「JT」に民営化された。

 この年、夏8月に雨宮夫妻と時雄が、御殿場へ行き、レンタカーを借りて、富士山周遊道路をドライブして、山中湖で一休みして、富士急ハイランドで、ジャイアントコースターに乗り、歓声を上げた。

その後も、多く乗り物に乗って、おおはしゃぎしていた。もちろん、多くの写真を撮ってきたのは言うまでもない。帰りの電車では、疲れてしまい、母に抱かれて、爆睡して帰った。

 9月13日、任天堂からファミコン用ソフト『スーパーマリオブラザーズ』発売。空前の大ヒットとなり社会現象になったほど盛り上がった。9月22日、アメリカのニューヨークでG5「先進5カ国」が、ニューヨーク。プラザホテルで開かれた。

 会議に出席したのは、西ドイツ財務相のゲルハルト・シュトルテンベルク、フランス経済財政相のピエール・ベレゴヴォワ、アメリカ財務長官のジェイムズ・ベイカー、イギリス蔵相のナイジェル・ローソン、そして日本の竹下登蔵相である。

1970年代末期のようなドル危機の再発を恐れた先進国は、自由貿易を守るため、協調的なドル安路線を図ることで合意した。とりわけ、アメリカの対日貿易赤字がひどく、実質的に円高ドル安に誘導する内容、これが、プラザ合意。
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