恵美子の波瀾万丈

ハリマオ65

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8話:美恵子の結婚式と出産

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 結婚式場と日程がわかったら前もって知らせてくれと言った。そして1時間ほどして箕島巌男が帰って行った。恵美子が会社に出ると今週の土曜日に結婚式場を探しにいかないかと箕島巌男が恵美子に言うと、川崎日航ホテルが良いわと答えた。

 じゃー結婚の日程を決めに行こうと言ったの1977年4月28日に川崎日航ホテルへ行く事にした。4月28日にホテルの婚礼係の担当者と会い、恵美子が6月の土日、空いてないかと聞くと、あいにく全部埋まってますといわれ、それでは、5月は聞くと16日土曜、30日土曜が空いてると教えてくれた。

 ドレスやお色直しの話しをし始めた時、電話が入り、6月20日土曜の午前11時からのコールがキャンセルになったと言われ1977年6月20日にして欲しいと言い、予定表に書き込んでくれた。詳しいお値段は、参加人数が決定してから、ご相談いたしましょうと担当者が言った。その後、結婚式の案内状を作成してもらい、投函して3月10日に参加人数が60人と決まった。

 その後も、箕島巌男は週に1-2回の国内出張をこなしていた。そうして1977年6月20日を迎えた、当日は梅雨の初期で、しとしと雨降りの日だった。それでも60人が参列していただき11時から結婚式で恵美子がバージンロードを最初に父と歩き、やがて箕島巌男さんとかわり歩いた。

 式も形式通り終了し、披露宴会場に行くと多くの人がフラッシュをたいて、写真を撮った。その後、余興や新郎新婦の両親への挨拶の言葉などをして、和やかなうちに結婚式を終えた。翌日6月21日から北海道、札幌、小樽を
2泊3日で新婚旅行に出かけた。

 その後、箕島巌男と恵美子が橫浜の2DKのアパートを借りて住み始めた。1977年6月25日からソニー橫浜研究所に出勤したが、橫浜駅からバスで25分かかった。箕島巌男は、いつも通りのソニー営業部での日々の仕事
が続いた。夏休みが終わると、9月が過ぎ、1977年10月28日、恵美子の妊娠がわかり出産予定日が1978年6月30日とわかった。 そして、12月になり恵美子のお腹が大きくなり、クリスマスパーティでも、たくさんのケーキを食べていた。

 やがて1978年を迎えた。もちろん、初詣ででは恵美子さんの無事出産と子供の健康を祈願してきた。1月5日に出社し、今年も全国を回り、新規開拓の営業チームの一員として交渉作業に参加してくれと言われた。その後1980年1月10日に沖縄・那覇に飛んだ。

 それから、頻繁に奥さんの恵美子さんに電話してきた。月曜日に出て金曜日の夕方帰って来る生活だった。1978年5月25日から産休に入り6月27日に近くの産婦人科に入院して1978年6月30日早朝に男の子を出産し箕島賢人と名付けた。やがて恵美子は8月30日まで産休をとった。
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